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喫茶「しらさぎ館」と左京の午後  作者: 泊波佳壱


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1/3

1 左京の午後

 ここは古くからの温泉が有名な観光地、出湯の香りに包まれた高級旅館が立ち並ぶエリア。

 その中心商店街から一つ通りを隔てて、古びたけれど妙に居心地のいい喫茶店「しらさぎ館」がある。

 木製の扉を開けると、昭和の香りがふわりと漂い、店内にはジャズが流れている。

 観光客も地元の常連も、なぜかこの店では肩の力が抜ける。


 その日も、午後の陽ざしが窓辺を照らすなか、店はほどよく賑わっていた。

 カウンターには常連の老婦人が新聞を広げ、奥のテーブルでは若いカップルがパンケーキを分け合っている。


 店員の美咲は、笑顔でコーヒーを運びながら、時折客と軽い会話を交わしていた。

 そこへ、ひとりの男が入ってきた。年の頃は五十代、スーツ姿だがネクタイは緩み、顔には不機嫌の二文字が貼りついている。

 男はドスンと音を立てて椅子に座り、メニューも見ずに「コーヒー、すぐ持ってこい」と言った。

 美咲が「はい、少々お待ちください」と微笑むと、男は「待たせるなって言ってんだよ」と声を荒げた。

 店内の空気がピリつく。

 隣の席にいた若い女性が、思わず顔をしかめると、男はそれに気づいて「何だ、その顔は。文句あるのか?」と絡み始めた。

 女性は困惑し、周囲の客も視線をそらす。


 そのとき、店の奥の席で文庫本を読んでいた男が、ふと顔を上げた。

 黒縁の眼鏡に、ゆるいシャツ。どこか飄々とした雰囲気のその男が、静かに立ち上がり、真っすぐに問題の男の方に向けて歩み寄った。

 目の前で、微妙に歩む向きを変えて、隣の席の女性の方に向き直り

「こんにちは。お隣、失礼しますね」

 そう言って、男は女性の隣の空いていた椅子に腰を下ろした。男=左京は、にこやかに問題の男に向き直る。

「いやあ、今日は暑いですね。コーヒーが待ち遠しい気持ち、よくわかります。

 でもね、ここの店員さん、豆を挽くところから始めるんですよ。

 急かすと、豆がびっくりして苦くなるって、聞いたことありません?」

 男は一瞬、何を言われたのか理解できず、ぽかんとした顔をした。

「それにね、隣の席の方、さっきからずっと『この店、落ち着くなあ』って思ってたんですよ。

 そこへ突然、雷みたいな声が飛んできたら、そりゃびっくりしますよね。

 僕も昔、雷に驚いて土手道から転げて草むらに落ちたことが有るんです。バッタ達と目が合いました」

 店内に、くすくすと笑いが漏れた。

 美咲も思わず吹き出しそうになりながら、コーヒーを運んできた。

「お待たせしました。深煎りのブレンドです」

 そう言いながら、男のテーブルの隅にコーヒーカップを置いた。

 左京はそのコーヒーカップを男の目の前に差し出しながら、「さあ、豆の気持ちを味わってください」と言った。

 男は、しばらく黙っていたが、やがて苦笑いを浮かべた。

「……あんた、変なやつだな」

「よく言われます。でも、変なやつって、案外便利なんですよ。

 怒ってる人も、笑ってる人も、どっちにも話しかけられる。

 怒ってる人には『変なやつが来た』って思われて、笑ってる人には『変なやつが面白い』って思われる。

 便利でしょ?」

 男は、ふっと肩の力を抜いたようだった。

 そして、コーヒーを一口飲み、「…うまいな」とつぶやいた。

 左京は、にっこり笑って

「豆、びっくりしてなかったみたいですね」

 と言った。

 店内は、再び穏やかな空気に包まれた。

「どうも、お邪魔しました」

 左京はそう言って、女性と問題の男に軽く会釈して席を立ち元の席に戻り、文庫本を開いた。

 ページの隅には、コーヒーの香りが染み込んでいた。

 しばらくして、問題の男は静かにコーヒーを飲み終え、「ごちそうさん」と言って店を出ていった。

 去り際、ちらりと左京に目をやった男の口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。


 美咲は木製の扉が閉まるのを見届けたあと、左京の席に駆け寄り、

「左京さんには、また助けられちゃいましたね。感謝です!」

 と言って頭を下げた。

「いやいや、僕はただ、バッタの話がしたかっただけです」

 左京はそううそぶいた。

 そのやりとりを見ていたさっきの女性も、席に着いたままだが左京の方を向いて、拍手だか手を合わせるだか、そういうしぐさをして見せた。


 喫茶「しらさぎ館」の午後は、またいつものように、ゆるやかに流れていく。


 左京は本を読みながら、時折窓の外を眺めては、何か面白いことが起きないかと待っている。

 そして、誰かが困っていたら、ふらりと立ち上がって、きっと読んでいた文庫本の中からでも、適当な話題を拝借してきては、周りを笑わせる事だろう。

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