アルト・ランチェスターという王子3
「フィリア嬢!」
スピーチが終わり、アルト王子が壇上から下りてきた。
大ホールから出て行こうとするフィリア様に向かって、王子が大きな声で呼び止める。
もうほとんどの生徒は退室していたが、まだ残っていた生徒たちも、なにかただならぬ空気を察知したらしい。
みんな興味はありそうだったが、空気を読んで素早く外に出て行く。
なにより、サディアス様の睨みが怖すぎた。あの視線は明らかに「さっさと出て行け」と言っている。
僕はどうしようか迷った。
でも――今回の騒動に深く関わっているし、ここで僕だけ逃げるわけにもいかない。彼女にもしも危険が及べば、助けるのも下僕の役目だろう。
そこで僕は出て行くふりをして、大ホールの隅っこに隠れることにした。こっそり様子を見守るしかないだろう。
「あの原稿、まさか、君の仕業か!?」
心臓が大きく跳ねる。
やはり、アルト王子はなにかを勘付いているんだ。
「……なんのことかしら」
離れた場所にいてもドキドキと嫌な鼓動を打つ僕と違い、フィリア様は冷静だった。
「とぼけるな! あんな恥ずかしい内容、私が書くはずがない! よくよく考えたら、君の昨日の行動はおかしかった。誰にも練習場所を教えていないのに急に現れて難癖をつけてきたと思えば、今朝は生徒会に押しかけてきて――」
「貴様……そんなことをしていたのか!」
「サディアス様、落ち着いてくださいませ!」
話を聞いて居ても立っても居られなくなり、割って入ってきたサディアス様を、またもやセレン様が止めに入った。今はアルト王子のターンだと、彼女は理解しているようだ。
「あの時、わざと書類をバラバラにしたな!? そしてなにか仕込んだんだ! あれほど練り上げたスピーチが台無しだ……! これでは仲間たちにも顔向けできない。私の評判だって地に落ちた!」
アルト王子は手にしていた原稿を握り潰し、苛立ちのまま床に叩きつけた。
……あ、あんなふうに我を忘れた王子を見るのは初めてだ。
完璧さを誇ってきた人間ほど、傷つけられたプライドは深く、その悔しさは計り知れない。今まで鉄壁のイメージを築き上げてきただけに、そのギャップは笑っていいのか……いや、気の毒のほうが上回る。
「…………」
フィリア様は静かに後ろを向き、床に落ちた紙をゆっくりと拾い上げる。
そしてアルト王子のほうを向き直し、彼の前まで歩み寄るとくしゃくしゃの紙をゆっくりと広げた。
「私はなにもしていない。ペンを返しただけ。……この原稿の、なにがおかしいと言うのです?」
「なにがって、おかしいところだらけだ! 私が書いていない文字が――」
そこで、アルト王子が口をつぐんだ。
「!? な、なんでだ? これはたしかに、私の書いた原稿……」
「でしょう? しっかり見てください。きちんと〝繁栄〟〝復習〟〝星が煌めいている〟と書いてあります」
「……!? 馬鹿な……」
アルト王子は言葉を失う。ついでに僕も、なにが起きているかわからない。
「普段から変なことを考えているから、読み間違えたんじゃなくて? 本番で浮かれて、つい心の声が漏れた……とか」
「そんなはずない! そんなはずは……そもそも、私は変なことを考えてもいない!」
「どうだか。それを証明する術はありませんもの。とにかく、自分の間違いを私に押し付けないでください。……大体、私は残念です」
「……残念?」
はあ、と深いため息をつくフィリア様に、アルト王子がいつもより低い声で問いかける。
「あなたの素晴らしいスピーチを、誰より楽しみにしていたのは私です。完璧なスピーチの中に綻びを見つけて、文句を言いに行くのが私の楽しみだったのに。今日はそれができなかったもの」
「く……!」
「では、私はもう行きますわ。お疲れさまでした。スターズのみなさん」
論破された王子は混乱し、なにか言いかけては口を閉じ、結局黙ったまま。そしてフィリア様はそんな彼に笑顔で手を振って去って行く――。
そして僕もまた、こっそりとその場を抜け出したのだった。
* * *
放課後、いつもの美術室に向かうと、既にフィリア様が待機していた。
「下僕~! 待ってたわ! ねぇ、早く紅茶を淹れて! 今日はとびっきり甘いのにしようかしら~!」
めちゃくちゃ機嫌がいい。
僕が入るなり、待ってましたといわんばかりに手を握って来る。……アルト王子には申し訳ないが、機嫌のいいフィリア様が見られてちょっと嬉しい。
「ね、言ったでしょう? 大丈夫って。作戦大成功よ! あれじゃ、アルト様の功績ポイントは上がらなかったでしょうね」
満足げにフィリア様は微笑み、うんうんと頷いている。
「改めて、下僕の探知魔法はすごいわね! あなたの頑張りに今回かなり助けられたわ!」
「え……いえ。僕より、この作戦を思いついたフィリア様がすごいかと……」
「なにを言っているの? あなたの筆跡コピーがなければこんなにうまくいかなかったわ。下僕の魔法もすごいのよ」
さらりと当たり前のように褒められて、僕は動揺した。
褒められた経験が、あまりなかったせいかもしれない。動揺した後に、じわじわと嬉しさがこみ上げて、それを隠すように口を開いた。
「……うまくいってよかったです。ただ、ひとつ聞きたいんですが……最後、どうやって王子を誤魔化したんですか? あれ、本物の原稿を渡したんですよね?」
「ああ、見てたの?」
「はい。大ホールの隅から。……心配だったので」
「ちょっと、あそこまでうまくいってたのに、最後まで私を信用してなかったの? 大丈夫って言ったのに」
不満だったようで、フィリア様は頬をぷくりと膨らます。……上機嫌だと、怒り方まで可愛くなるのか。
「違います。僕も共犯者ですよね。だからなにかあったら助けなきゃって思っただけですよ。主を守るのも、下僕の務めですから」
そう言うと、フィリア様は一瞬目を見開いた。
「……ふーん。いい心掛けね。下僕も成長してるじゃない」
下僕としてレベルアップするのって、いいのか悪いのか……。
「彼を誤魔化せたのは、元々本物を袖に折り畳んで忍ばせてただけよ。興奮したアルト様が偽物を丸めて投げてくれたおかげで、自然に入れ替えられたの。ほんと、運が味方したって感じね」
彼女は得意げに肩をすくめる。そんなマジシャンみたいなことを咄嗟にやってのけるなんて、いったい何者なんだろう。
「……なるほど。それで、偽物は?」
「もちろん、さっき燃やしておいたわ。証拠は残さないのが鉄則よ。不審に思ったアルト様が原稿に探知魔法を使ってきたら困るもの。スピーチが終わればすぐに燃やせるようにしておいたの。彼が偽物原稿を投げてくれたおかげで、そっちを回収する手間が省けてよかったわ~」
……どういう方向に動こうが、あらゆる手段で処理する手筈はできていたのか。用意周到すぎて感心に値する。
「それにしても――アルト様、耳まで真っ赤になって……ぷっ。可愛かったわね!」
「……まぁ、あれは激レアでしたね」
「初めて彼を可愛いと思ったわ! ふふふ!」
意地悪な笑みを浮かべる彼女を見て僕が苦笑すると、フィリア様はふっと目を細め、伸ばした手で僕の髪を撫でてきた。
フィリア様は僕を褒める時、少しだけ背伸びをしていつもこうして頭を撫でる。それをされると、まるで普通の男女みたいな錯覚に陥る。……彼女は悪女で、僕はその下僕なのに。
――僕は彼女に振り回されてばかりだ。
でも、こういう瞬間があるからこそ……離れられないのかもしれない。
「さぁ、紅茶で乾杯よ。今日の勝利に!」
僕らは笑顔のままカップを合わせた。
いつもの紅茶は、なぜか今日は少しだけ甘く感じられた。




