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フィリア・ヘイズという悪女5

長めです。ご了承くださいませ。

 それから私と下僕の、スターズへの嫌がらせ作戦が始まった。


「……あの、ずっと気になっていたんですけど、フィリア様はどうしてそんなにスターズを目の敵にしているんですか……?」


 ある日下僕にそう聞かれて、私はこう答えた。


「……あの三人が、私をかわいそうな目で見るから。彼らは異能が開花していない私を哀れんでいる。……それが、なにより屈辱的だったの」


 言いながら、胸がずきりと痛む。

 違う。本当は、あの三人だけはずっと私をそんな目で見なかった――いや、見ていなかったのだ。

 今世では私がスターズへの嫉妬を露わにしたせいで、三人が私を哀れむようになってしまった。

 でも、それは私の態度が三人を変えさせただけだ。

 今まで共に過ごしてきた本当の三人は、決して、私をかわいそうだとは思っていなかった。


 こうして私は下僕に同情を引き、脅して言い聞かせ――スターズの三人に功績ポイントを上げさせないよう、作戦を実行した。


 下僕の補助魔法は、ものすごい活躍を見せてくれた。特に、アルト様の回では。

 アルト様がスピーチをひとりで猛練習していることも、その場所も、さらには書いている文章も、私は五度目なので覚えていた。それに加えて下僕の魔法があったおかげで、思いのほかスムーズにいった。


 セレンに関しては、下僕は優しいから作戦を中断しようとすると思っていた。彼の補助魔法を私の少ない魔力で真似するのは本当に難しかったが、なんとか成功。

 ……ちなみにあの作戦は、二周目でセレンに同じことを頼まれた経験から思いついたもの。

 二週目以外では、図書室にこっそり隠しているのも知っていた。そしてその時の祈りは、きまっていつもより精度が低かったのも覚えている。

 だから今回も、同志と勘違いしている下僕にノートを預けると思ったの。


 サディアスは――積極的な女性に弱いと知っていたから、最大限にその性質を作戦に使わせてもらった。 ポニーテールが好きだから、本番も敢えてあの髪型で挑んだら効果は抜群だったみたい。


 みんな、ごめんね。大事な見せ場を奪ったこと、ここでこっそり謝るわ。


 でもね、こんなこと言ったらダメなんだろうけど……私、すごく楽しかったの。

 スターズのみんなとライバルになって、口喧嘩をして、時には本気で剣を交えて。

 これまでは、三人を追いかけるのに必死だった。なんとか横に並んでも、私がどこかでいつも引け目を感じていた――けど、今回は違った。

 みんなとやり合うことで、本当の意味で、対等になれた気がしたの。


 特に文化祭の演劇なんかは最高だった。

 私も功績ポイントを獲得するために、絶対舞台には上がりたかったから、悪女でいた甲斐があったわ。

 五度目の文化祭で、ようやく同じ舞台に立てて、好き放題して、本気で興奮しっぱなし。

 裏方もよかったけど、舞台に立つのは気持ちいい。悪役としてみんなと同じ目線に立てて、最高の景色を見られたわ。投票してくれたみなさん、ありがとう。

 あと……魔女ベルネットとして三人にかけた言葉は、本心でもあったの。


 一年生の時はひたすらひとりで頑張り続けた私が、二年生でこんなに心から笑える日がくるとは思わなかった。

 スターズとの時間が楽しかったのはもちろんだけど……もうひとり、忘れてはならない人がいる。


 下僕だ。


 下僕との時間は、想像していたよりずっと楽しかった。彼と出会って、私はこれまで知らなかった自分に出会えた気がする。

 最初は利害一致で結んだ関係にすぎなかったはずなのに――同じ時間を過ごすうち、私は彼の前では劣等感も見栄もいらなくて、ただ素直に笑えていることに気づいた。

 悪女を演じているのに、彼といる時だけは、ただの女の子に戻っている瞬間がある。

僅かな時間だけれど、自然に笑えるその時間が、私には愛おしくて、尊いものだった。

 たまに剣の稽古や勉強が忙しくって、美術室に行けない時もあったけど、あそこに行けば彼がいる。

 私のひとりの時間が、唯一終わる場所。私が誰かと、いられる場所。


 私にとって、あの埃まみれだった美術室が、こんなにも心安らげる場所になるとは思わなかった。


 下僕は私がなにをしても、結局は味方でいてくれたわよね?

でも、従順なあなたを見て時々こう思ったわ。 あなた、憧れる人を間違えているんじゃない? って。


 文化祭の舞台でも、本番中にこっそり助けてくれた。すぐにあなたのおかげだって気づいた。感じる魔力が、とっても温かかったから。

目立たない、小さな助け。でもああいうひとつひとつが、いつだって私を勇気づけてくれたのだと思う。


 私は今世、自分が嫌われ、災厄の犠牲になると決めた。


〝でもそんなのって……じゃあ、私の人生はなんだったの?〟

〝ループの異能に目覚めた時点で、結末は決まっていたの?〟

〝そんなの、あまりに悲しすぎるじゃない……〟


 それでも時々胸の奥で、弱い私が囁いてくる。

 もし私が完全にひとりだったら、どこかでこの囁きに負けていたかもしれない。


 ……でも、下僕がいたから。


 下僕に出会って、私の中の寂しさを、あなたが埋めてくれたから。

 私は今日も、前を向ける。


 それに、この道を選ばなければ、旧校舎の美術室になんて行かなかった。あの場所で過ごした時間も、全部あなたがくれたもの。だから私は、この選択に後悔はない。


 下僕と一緒に悪さをして、いっぱい笑ったわよね。ねえ、下僕はどれがいちばん楽しかったの? アルト様のスピーチ? セレンの祈りは……ないわよね。サディアスの時は、そういえば嫉妬してたわね。


 夏期講習では、彼の家に突撃してみた。

 屋敷に籠もっていると、ふと下僕の顔を思い出して……夢にまで出てきたから、気づいたら足が勝手に向いていたの。


 そこで彼の家庭での立場を知って、驚いた。彼にも家族の中で、私と似たところがあったなんて、思いもしなかった。

 でも、下僕の補助魔法のすごさをわからないなんて、あまりにも無能だわ。

 見た目の派手さで魔法の強さを決めるなんて、魔法を芯から理解していない者の考えだ。


 ……そんな一悶着もありつつマリエルと三人で絵を描いた時は、完璧に見せていた私の弱点がバレてしまった。どう頑張っても、絵だけは上達しないのよね……。


 そんな私を横目に、下僕は器用に絵を仕上げていくから、なんか悔しい。

 しかも、彼の描いた私はちょっと、美化しすぎじゃないかしら?

 アルト様の肖像画みたいにキラキラが飛び交っていて、大袈裟だわ。

 ……なんて思いながらも嬉しくて、帰りの馬車でずっと眺めていたの。


 中期では文化祭の演劇も印象的だったけど、なにより下僕とふたりで踊ったダンスが、私の人生でいちばん忘れられない思い出になった。


 彼の指先が大広間の音楽を外に連れ出して、不慣れなステップで地面を踏むたびに、くるくると頭上に広がる夜空が揺れた。


 その中心に、わたしたちがいた。


〝このまま時が止まってしまえばいいのに〟――なんて、この時くらいは、そう思っていいわよね?


 あと少し頑張れば、きっと全部うまくいく。

 こんなに幸せな時間を味わえたのだから、胸の奥が温かく満たされたのだから。

 もう私は、安心して死ねる。


『私は君と会ってから、明日が来るのがいつも楽しみで仕方がなくなったよ。』


 冬季休暇前、アルト様にそう言われるまでは、そう思っていた。

 私はそのセリフを言われて、頭を鈍器で打たれたような衝撃を受けた。だってその言葉は、前世でアルト様が放ったものと同じ。そこに込められた想いは違っても、意味は変わらないだろう。


 どうにも引っかかる。なんだか嫌な予感がした。

 災厄が狙うのは、本当に功績ポイント一位の者なのか。それとも――もうひとつなにか、大事な条件があるのでは?

 前世でアルト様が狙われたのは、もっと明確な理由があったのかもしれない。


 私は冬季休暇中、美術室から持ち帰った古書を机いっぱいに広げ、朝から晩まで、ただ文字を追い続ける。

 王家の系譜、禁忌魔術、災いの記録――いろんなものを読んだ中で、災厄という単語は出てきても、決定的な答えには辿り着けない。

 ついに最後の一冊になってしまい、その本を手に取ると、隙間から薄っぺらい小さな本が落ちて来た。


「……絵本?」

 

 それは色あせた布張りの、子供向けの絵本だった。


「なんで、こんなものが……?」


 そもそもこんな絵本が、学園の図書室に置かれていること自体が不思議だ。

 なぜ古書に紛れていたのか……気になって、ぱらりとページをめくった途端、私は目を見開いた。


 そこには、黒い霧が描かれていたからだ。 

 そんな絵と一緒に綴られていた文章は、子供にもわかる簡単な言葉で綴られていた。


「むかしむかし、この国に、光り輝くおうさまがいました。おうさまは強く、かしこく、だれよりも未来をしんじていました……」


ページをめくる。そのたびに、胸がざわざわと私になにかを訴えかける。


「でも国がかわり、おうさまはすべてをうばわれました。彼はしぬまぎわ、こう願いました。〝大きな光を、もつものよ。未来を夢見るものよ。わたしとおなじ、くらやみに堕ちよ――」


 読み上げる唇が震える。

 この僅かな文章を読んで、私はエスペランザのとある歴史を思い出した。


 ――今の王家が成立する以前、この国にはべつの王家が存在していた。歴史の教科書では、少しのページで済まされている話だ。

 内乱により王朝は滅び、旧王は処刑された。

 あまりに時代が古く、詳しい記録は残っていない――そう教えられてきたけれど、たしかに言われていたことがある。


 旧王は、非常に強大な魔力を持っていたと。

 国の誰よりも才に恵まれ、理想を掲げていた王だった。だが同時に、恐ろしく傲慢な独裁者でもあった、と。

 国の未来を語りながら、その未来を決めるのは常に自分ひとり。異を唱える者は排除され、才能ある者は〝王に従うのなら価値がある〟と利用された。

 輝く者は王の飾りで、逆らう者は罪人とする。

 ――そんな王にやがて国は疲弊し、民は耐えきれなくなった。貴族たちが反旗を翻し、王は王座から引きずり降ろされる。

 そして処刑される直前、彼は国に向かって〝呪い〟を遺したという。


 この話を、誰もがただの迷信だと思っていた。

 古い時代の王が、最期に吐いた負け惜しみにすぎないと、歴史の教師すら言っていた。


 絵本の最後のページには、黒い霧が〝選んだ輝くひとり〟を、闇に連れ去っていく絵が描かれている。


「きりは、弱いものをえらばない。だれよりも輝き、つよく前をむき、いきたいと願うものをつれていきます。そんな相手を、きりはずっと、希望があつまるばしょで、まちつづけるのでした……」


 本は、ここで終わっている。


「この話……同じ、だわ」


 旧王は、誰よりも自分の力と、自分の手で動かす未来を信じていた。だからこそ、すべてを奪われた時、その光は憎しみに変わった。

 自分が輝けなかったこの国で、自分よりも輝く者、自分のいない未来を生きたいと願う者を……許せないのだ。


 この国に、数百年の眠りを経て現れた黒い霧。霧からは強い怨念を感じ、あれは、呪いが生んだ黒い災厄と誰かが死んだ後に言われていた。

 その呪いの正体が、わかった。


「……災厄は、復讐なのね」


 かつての王の、強い強い怨念。光り輝き、未来へ進む者への呪い。

 希望が集まる場所には――きっと、未来の星を育てるエスペランザ王立学園が選ばれてしまったのだろう。

 そして今期――三人もの大きな光が揃ってしまった。だから、災厄は目覚めたのだ。


「この国の何百年も前の責任を……今を生きる私たちに押し付けられるなんてね」


 やはりこれは、逃れられない運命だった。

 希望が揃うのは、裏を返せば絶望と同じ。そんなの、いったい誰がこの時代で気づくというのか。私は本を持ったまま嘲笑を浮かべた。


 でも、これでわかった。災厄が狙うのは、功績ポイント首位の一番星だけではない。

 未来を信じ、生きたいと願っていること。

 これも、災厄にとっての重要な選択肢だったのだ。


 だから、一周目はアルト様。二周目はセレン。三周目はサディアス。

 誰もがその時いちばん輝き、いちばん未来を思い描いていた。

 四周目にアルト様が狙われたのも――きっと、未来を生きたいと願う気持ちがセレンよりも強く、すべてを合わせた時に、彼のほうが災厄の妬みの対象になったからだ。

 

「……私には、まだ足りない」


 災厄に狙われる対象の仕組みを理解し、私は静かに息を吐く。

 功績ポイント首位をとれたとしても、今の私には絶対的に足りないものがある。


 生きたいという気持ち、未来への希望。


 死ぬ覚悟ばかりを固めていた私は、災厄にとって選ぶ価値のない人間になってしまう。

 

 だからこそ、私は……見て見ぬふりをしていたこの希望を、解き放つ必要があった。

 ずっとずっと、心の奥にしまいこんでいた感情。きっとこれを自覚できれば、私は学園中の誰よりも、生きたいと願うだろう。


 私はその日の夜、学園の寮に忍び込んだ。

 休暇中で警備が薄くて助かった。それでも、若干危なかったけれど。

 寮の玄関付近に置いてあった生徒名簿を見て、下僕の部屋を確認し、迷わずにそこへ向かう。

 

 そして私は、彼と〝思い出作り〟に、一夜を共に過ごした。

 そこでいろんな話をした。

 彼は魔法の仕事に就きたいっていう夢ができたみたいで、なんだか私まで嬉しかった。卒業したら仕事先を紹介してあげるなんて言ったけど……できなくてごめんなさい。

 でもね、悪女の私の推薦なんて、ないほうが絶対にいいわ。


 彼に毛布ごと抱きしめられた時は、心臓が止まるかと思った。

 全身の体温が一気に上昇して、胸がドキドキして、わけがわからなかった。


「ねぇ……手、繋いでもいい? 私、こうしないと眠れなくって……なんてね」


 そう言って、下僕の大きな手に触れた。彼に触れると、世界が変わっていく。

下僕が私の隣にいるだけで、この世界に生きていてよかったとたしかに思えた。


 静かな寝息が聞こえて、私はその穏やかな寝顔をそっと覗き込む。

 睫毛が長くて、肌も綺麗。……近くで見ると、綺麗な顔立ちをしているのがわかる。


 でも、誰にも教えてあげない。

 これから気づく女の子が現れると思うと、ちょっと……いや、かなり悔しい。

 

 この夜、私は蓋をしていた自分の気持ちを思い知った。

 私は、下僕のことが好き。彼に恋をしている。

彼の大人になった姿が見たい。彼と、もっともっと時間を過ごしたい。ずっと一緒にいたい。そばにいて、笑っていてほしい。


 ――その想いは、私に大きな未練を残させ……自然と〝生きたい〟という気持ちを膨らませた。


 休暇が終わり、最後の仕上げに取り掛かる。

 私は美術室に行かなくなった。下僕とも、スターズとも、必要以上に関わらないことにした。これから最低な事件を起こす私は、この辺りで再度孤立したほうがいいと思ったからだ。


 そして私は卒業制作をぶち壊し、非難を浴びた。

これもすべて、悪女として未熟な私を完成させるためにやった。功績ポイントの首位は、努力で勝ち取れた。五周もしてやっとギリギリ勝てたのだから、やっぱりスターズは化け物だ。……でももう、目標達成は目の前にきている。


 私の行いのせいで、場の空気は最悪なものとなった。

 言い合いはしていたものの、どこかライバルとしても認め合っていた。そんなぬるい関係にあったアルト様にも、最後は完璧に見放されるのに成功した。もちろん、セレンにも、サディアスにも。

 三人――特にアルト様は、自分以外が傷つく姿を見るのを極端に嫌う。それをわかって、多くの人の努力を踏み躙った。


 スターズだけじゃない。同級生みんなから、私はこれをきっかけに嫌われただろう。

 この事件を起こしたおかげで、私が死んだあとに災厄について調べられても、私に恨みを持った人なんてたくさんいるだろうから、変に疑われることもない。

 私はなるべくして災厄に襲われた。それで済まされる。


 下僕を巻き込まないために、この場面では味方につくのを拒んだ。

 それなのに――同級生に連れていかれた彼は、最後まで私を心配している。だって、濡れた私が風邪を引かないよう、魔法で熱を送ってくれたんだもの。

 こんな最低なことをしたのに、やっぱり下僕は、最後まで憧れる人を間違えているわ。

 

 ――いよいよ明後日、災厄が姿を現わす。

 明日、この日記を埋めに行こう。そうでないと、もう埋めるチャンスがやってこないかもしれないから。だってもう、私に来世はこない。そんな気がする。

 私はきっと、私が望んだ結末に辿り着けるから。


 どうせなら、下僕と一緒に日記を埋めに行こう。彼の前で埋めたら、もしかしたらこの日記を探知魔法で見つける日がくるかも。……下僕はそこまで気は回らないかしら? 

 見られたら、このノートの仕様で私のこれまでの記憶も全部覗かれたりして。恥ずかしいから、やっぱり見つけないで。


 下僕と会ったら、泣くのを我慢できるのか。それも心配だわ。彼の前では絶対泣いてはダメよ。最後まで、立派な悪女フィリア・ヘイズでいなきゃならないの。だってそれが、下僕が憧れた私なのだから。


 私は未来を信じる。そして、誰よりも生きたいと願いながら死ぬ。


 お父様、お母様。

 ダメな娘でごめんなさい。でも私、実は裏で頑張っていたの。ヘイズ家の人間として、これが私の精一杯。


 アルト様、あなたが愛する国と、あなたを愛する国民を、これからも守ってくださいね。完璧でないあなたも、きっと誰もが愛するでしょう。

 セレン、妄想ノートの管理は、もうちょっと厳重に。あなたの祈りで、エスペランザは幸福に包まれるはず。あなたが誰かを幸せにした以上の幸せが、あなたに訪れますように。

 サディアス、あなたの恋愛を見守ることができなくて、本当に残念。その大きな身体と、優しい手のひらで握られる剣で、世界一の騎士になって。


 下僕。

 あなたの魔法が、この世でいちばん大好きよ。

 どうか、生きて。幸せになって。

 それと、ごめんなさい。私との思い出を、あなたに残させてごめんなさい。私と出会ったことで、傷つけてごめんなさい。ひとり残して、ごめんなさい。


 でも私は、あなたがいる世界だから、守りたいと思えたの。

 最初はスターズの三人を守れるならそれでよかった。でも、あなたを守れるならって、最後は本気でそう思った。


 あの災厄は、きっとまた現れる。でも、その時私の大切な人たちは狙われない。だってもうエスペランザ王立学園の生徒じゃないもの。

 遠い先の未来に関しては無責任だなんて責められる? でも仕方ないでしょう。私は悪女だもの。私が消えた先の未来なんて知らない。


 最後に……みんな、ありがとう。

 私、ここまできてようやくちゃんと〝私〟を愛せたわ。


 ああ、もし死んだあとにまた下僕に会えたら、そんな奇跡みたいなことが起きたら、言いたいことがある。でもそれは、また会う日までのお楽しみ。


 フィリア・ヘイズ


* * *


 綺麗な文字で、彼女の名前が書かれていて――そこで日記は終わっていた。

 日記を読んでいると同時に、フィリア様が記していた通り、このノートの〝仕様〟なのか、彼女のこれまでの記憶が映像と声になって流れ込んでくる。

 僕の知らなかった彼女の想いが、この日記に触れるだけで、すべてわかった。


「……フィリア様……」


 真実を知った僕は、未だに理解が追い付いていない。

 ただ茫然と、名前を呼ぶしかできない。

 ただひとつわかったのは――彼女は自らの死で、僕たちを救ったということだけ。

 彼女が手にした、ヘイズ家の異能で……。


「……?」


 もうなにも書かれていないと思った日記だったが、次のページだけ少し分厚いことに気づく。

 ゆっくりとページをめくると、そこには二枚のイラストが貼られていた。

 ひとつは、夏期講習で僕が描いた、フィリア様の似顔絵だ。

 そしてその隣には……いつ描いたかわからないが、たしかに、彼女が描いたであろう、僕の似顔絵が貼られていた。


「は、はは……フィリア様、全然上達してないなぁ……」


 相変わらずへたくそな絵。線も歪んで、バランスも悪い。

 だけど――僕の似顔絵の周りには、たくさんのキラキラが飛んでいた。


『お兄様、このキラキラはなーに?』

『え……っと。これは、僕にはフィリア様が眩しく見えてるから……気づいたらつい』

『やだ! ロマンチック! お兄様ったら、フィリア様が大好きなのね! 私も好きな人にだけ、周囲にキラキラが見えるもの!』


その瞬間、僕は長期休暇中のマリエルとの会話を思い出した。


――フィリア様の目に、僕はこんなふうに映っていたのか。


「……っ、う、ああ、うわああああ! ああああああああ!」


 日記を抱きしめて、僕は声を上げて泣いた。

 彼女が死んでから、初めての涙だった。


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