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下僕になった日

「……あるじゃない! 思ったよりもたくさん!」


 美術室の隅に積まれていた本を見て、フィリア様は嬉しそうな声を上げた。僕は興味がなかったから、本の存在など気にも留めていなかった。どんな種類の本が置かれているのかすらまったく知らない。

 ただ、旧校舎に放置されているくらいだ。そこまで必要とされていないものなのでは……? なんて、勝手に思ったりする。


「私もこの場所を借りるわ。本を読むだけよ。なにをしているか知らないけど、あなたの邪魔はしないからいいでしょう」

「はぁ……わかりました」


 僕もここで特別なことをしているわけではない。

 ただぼーっとしたり、置いてある古びた画材を使って絵を描いてみたり、風にあたりながら寝てみたりと、自由気ままに過ごしているだけだ。

 むしろ、彼女が僕と同じ空間にいることを拒まないのなら……緊張はするけれど、耐えられないことはない。


 フィリア様は本を数冊手に取って、窓際の席に腰を下ろした。僕は少し離れた場所で、床に直接座って今日出された宿題に取りかかる。


 旧校舎の美術室は、それほど広くはない。誰もいないことを前提とした、がらんとした空間だった。

 今ではもう、美術は選択授業と部活動でしか使われておらず、備品も新しくされ、ここにあったものは半分以上撤去されてしまっている。

 壁際には古いロッカーや画材棚が並び、中央には長机が数脚だけ残されていた。椅子は少なく、僕は床に座ったほうが落ち着くので、ほとんど使用したことはない。

 

 フィリア様が座ったのは、夕陽の射す窓辺の席だ。

僕の位置はそこから少し斜め後ろ、部屋の隅――とはいえ、顔を上げれば、彼女の横顔がちらりと見えるくらいの距離だった。


 室内には、僕がペンを走らせる音と、フィリア様がページをめくる音だけが響いている。


「……けほっ」


 しばらく時間が経つと、フィリア様が何度も咳き込むようになった。


「ちょっと、いくらなんでもここ、埃っぽすぎないかしら?」


 彼女の視線が本から僕へと向けられる。

 最低限の掃除しかしていないため、侯爵令嬢の彼女からすると、ここの環境は完璧とは程遠いといえるだろう。


「やることがないなら、掃除しなさい。よろしくね」


 僕の返事など、最初から聞く気がないようだ。

 でもまぁ、宿題も終わったし……たしかに、今の僕はやることがない。

 言われるがまま、僕は掃除に取り掛かることにした。とはいっても、自分はそこからほとんど動かない。


 使うのは魔法だ。


 僕の実家は、代々補助系魔法を得意とした家系。

 派手さはなく、ぶっちゃけ地味だが、掃除なんかには結構役に立つ。

指先を動かすと、部屋中の埃がふわりと舞い上がって一箇所に集まっていく。風を使って箒のように操りながら、細かい塵もしっかりと掃き集める。窓枠の汚れも蜘蛛の巣も、指の動きだけで簡単に袋の中へ吸い込まれていった。


 ……こんなもんかな。


 掃除が終わり、僕の視線は自然とフィリア様へと向いた。

 未だにものすごく真剣に本を読んでいる。タイトルからして――古文書や歴史書が多いようだ。


 旧校舎に置かれた資料を全部読むだなんて……想像以上に、彼女は知識への探求心がすごい。

 学園で授業中以外で勉強をしているところはほとんど見たことがないが、まさかいつも、放課後こうやって、ひとりで勉強していたのだろうか。

 でも、僕はそんな彼女を見てもそこまで驚かなかった。なんとなく、僕はわかっていた。


 フィリア・ヘイズという人は、とてつもなく〝努力の人〟なんだということを。

 才能やセンスももちろんあるだろう。それでも、努力をしなければ、あそこまでの好成績は出せない。

 それに――夕焼けが差し込むなか、黙々とページをめくる彼女は、言葉にならないくらい綺麗だ。

 まるでこの空間が、物語の一ページみたいに思えた。

 あのフィリア様と僕が、ふたりきりの空間にいるだなんて――。


 彼女に見惚れていると、不意に彼女が読んでいた本を閉じた。その音にはっとして、僕は我に返る。


「そろそろ帰らなきゃ。……あなたはまだここに残るの?」

「いえ。僕も寮に戻ろうかと……」

「ふーん。あなた、寮に入っているのね」


 たいして興味なさそうに、フィリア様は本を片付ける。彼女は王都に住んでいるから、このまま屋敷に帰るのだろう。きっと、迎えの馬車が来ているはずだ。

 彼女はそのまま、颯爽と扉のほうへ歩いて行った。


 ――行ってしまう。このまま。

 僕は、それでいいのだろうか。せっかく、同級生と会話ができたのに。


「あの!」


 気づけば、去り行くフィリア様の背中に向かって叫んでいた。


「……なに?」


 少し驚いた顔をして、彼女がこちらを振り返る。


「フィリア様――僕と、その、友達になってください!」

「……はぁ?」


 こいつはなにを言っているんだ。

 声に出さずとも表情だけで、彼女がなにを考えているかが読み取れた。


「私と友達、ですって?」


 彼女はこちらに身体ごと向けて、腕を組んでそう言った。その問いかけに、僕は強く頷いた。


「……実は僕……一年生の頃から……あなたに憧れていたんです!」


 それは、僕が誰にも言ったことがない本音だった。まさか、本人に言う日が来るとは思ってもみなかったが。


 我が道をゆく、その大胆さ。

 清々しいほどさっぱりきっぱりとした態度。

 誰になにを言われようが胸を張り、前を見据え――決して俯かない、その真っ直ぐさ。


 強い彼女に、僕はスターズよりも憧れていた。

 

「私、友達を作る気はないの。そんなに暇じゃないのよ」

「うっ……」


 ものすごく勇気を出して言ったのに、ばっさりと切り捨てられてしまう。

 だけど、僕はなんとか食い下がる。


「でもフィリア様、ここに置いてある本を読みたいんですよね? 今日だけで読み切れたわけがありませんし」

「……!」


 なにがこれほどまでに僕を動かしたのか知らないが、この機会を逃せば、本当にこの一年間も、友人がゼロな気がしたのだ。

 ――平気なふりをしていたけれど、実際はそんなの寂しい。寂し過ぎる!


「僕と友達になれば、美術室の出入り自由ですよ! そうでなければ僕が鍵を持っているので、入れない日もあるかもな~……なんて……」

「なによあなた。私と取引する気? はっ! 調子に乗らないことね! 私が本気を出したらあなたなんて――」


 言いかけて、突然フィリア様が口ごもった。……いったい、僕なんてどうされてしまうのだろう。


「そういえばさっきあなた、魔法で掃除をしていたわよね?」

「え? はい。……見ていたんですね」

「一応聞いておくわ。あなたの得意魔法は?」

「……地味ですけど、補助系魔法です」


 少し気恥ずかしくなりながらも、僕は続けた。


「特に探知系や精密操作が得意で……魔力の細かい制御や操作は自信があります。攻撃や防御に関しては大技は無理ですけど……裏方としてなら、それなりに役に立てる力かなぁと」

「……なるほどねぇ」


 神妙な面持ちをして、フィリア様がなにかを考えている。

 その後、フィリア様は表情をぱっと明るくしてこちらを見つめた。


「わかったわ。あなたの願いを聞いてあげる」

「! ほ、本当ですか!? つまり――」

「でも、友達はいらないから下僕としてね!」

「え」


 下僕? なにかの聞き間違いだろうか。


「私のサポート役として、今後は役立ってもらうわ。下僕としてなら仲良くしてあげる。喜びなさい!」

「い、いや、僕は下僕じゃなくて……」

「これからよろしくね、下僕!」


 フィリア様は僕の両手を握り、満面の笑みを浮かべた。

 これまで見たことのない、少女のような可憐な笑顔を見せられて、僕はなにも言い返せなかった。

いや、正確には、脳の処理が追いつかなかった。だって彼女がこんなふうに笑うなんて、知らなかったからだ。

 思考が停止しているうちに、フィリア様は美術室からいなくなっている。


 リアム・ミルトン。

 彼女にその名を教える暇もなく――この日僕は、彼女の下僕になった。


「……結局、友達できなかった……」



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