フィリア・ヘイズという悪女2
目の前には、私に手を差し伸べるアルト様。そしてその背後に、優しく笑うセレンとサディアス。
なにが起きているの?
混乱したまま、その手を取った。
その後、私の足はすぐに校庭へと向いた。なんとなく、あの樹に呼ばれている気がしたからだ。
死ぬ前に日記を埋めたところを、無心で掘り続けた。手が汚れるのも気にせずに。幸い、周囲には人の姿はなかった。
まさか、まさか、いいやそんなことあるはずない。ない……よね?
心の中で何度もそう呟いていると――見覚えのある日記帳が、土の隙間から顔を出す。
金色の模様が大胆に描かれた派手な日記帳……しかもページをめくれば、前世で書いた内容がそのまま残っている。さらにそれだけでなく、読んでいると当時の状況が映像になって、頭の中に流れ込んできた。
この時、私はようやく気が付いた。
私が持っていた〝異能〟――それは、〝ループ〟の能力だと。
いわゆる、死に戻りというものだ。死ななければ異能が発動しないため、これまで気づけなくて当然だ。
そしてこの日記は、唯一、私の記憶をループ後も残しておけるもの。きっと異能の副産物だろう。
ループの発動条件が〝死〟以外、今のところわからないけれど……やり直せるなら、今度こそアルト様を救いたい。
このままではあの災厄は、また予行練習の日に姿を現すに違いない。
今から行動すれば、きっと対策できる。
――そんな私の考えは甘かった。
『黒い霧? なんの話だい?』
『災厄という存在は知っていますが、実際に見られたと言われるのはもう何百年も前ですすわ。実在するかどうかも怪しいところです』
『変な夢でも見たか? それともフィリア、お前自身が変なやつなのか?』
アルト様もセレンもサディアス様も、誰も私の話を信じてくれない。……当たり前だ。みんなには、前世の記憶がないのだから。
さらに現代では災厄なんてのは、実在するかどうかも定かではないものと捉えられており、誰も危機感を覚えていない。
根拠のない不安な話をどれだけ訴えても、変な目で見られるだけ。そう考え直した私は、まずはあの黒い霧の正体を探ることにした。
あれはなにを恨み、どんな呪いを持ち、獲物を決めているのか。
学園に棲んでいる災厄ならば、学園内になにかヒントがあるはずだ。
私は目が回るほど広い学園の図書室で、片っ端から歴史書を読み漁った。僅かなヒントでもいい。なにか情報が欲しい。
でもまったく情報は掴めず、時間だけがあっという間に過ぎていく。
……本を読むだけではダメね。
前回とは違う未来を生み出さないと。
アルト様が災厄に狙われたのは、彼の才能を災厄が恨んだからだと言われていた。確信はないけれど、絶対に間違っているともいえない。
たしかに前世のアルト様は、常に成績トップを飾り、二年生になると生徒会に入り見せ場をものにして、最終的に功績ポイントでも一位を獲得した。
あまりに完璧すぎる存在。
今回は少し、肩の力を抜いてもらえないだろうか。
評価をスターズで分散させれば、アルト様が狙われるという未来はなくなって、災厄も大人しくしてくれるかもしれない。
でも、成績を落とさせるなんていうのは、成績を上げるより難しい。
だったら――セレンかサディアスが功績ポイントを多くとれるよう、協力したらいいんだ。
……そもそも、聖女のセレンなら、災厄が発生しないようにすることも可能なのではないか?
裏でひそかにそんなことを考えながら、私は今回、できるだけセレンと一緒にいるようにした。そんなある日、あるものを見つけてしまった。
セレンがたまに持ち歩いている〝秘密ノート〟だ。
彼女と放課後一緒に勉強している最中、不注意でセレンが教科書とノートを床に落としてしまった。その拍子に、秘密ノートの中身が見えてしまった。内容は……アルト様とサディアスの妄想物語の数々。
あまりの衝撃に言葉を失ったが、同時にこうも思った。
清楚で可憐で頭も良く、誰より優しい聖女。そんな彼女にも、こんな可愛らしい秘密があるのだと。
……それを知った瞬間、彼女も私と同じ人間なんだと強く感じられたのだ。
しかも、書かれている妄想話がなかなかにおもしろかった。
「……セレン、あなた、小説家にもなれる未来があったのね」
おもわずそう呟くと、セレンは目を丸くした。きっと恥ずかしかったのだろう。真っ赤だった顔が、徐々にいつもの白に戻っていく。
「……き、気持ち悪くないのですか!? 聖女でありながら、わたくしは身近なおふたりでこんな妄想を……!」
「全然。妄想に留めてひとりで楽しんでいるならいいじゃない。もっと見たいくらい」
「フィ、フィリア様……っ!」
セレンはひどく感動し、私に抱き着いた。
彼女はこの秘密ノートがなければ、聖女の一大イベントである祈りにも影響が出ると語っていた。
それから秘密を共有した影響か、前世よりもセレンと親しくなった。
ずっとひとりで抑え込んでいた感情を話せる相手ができたおかげか、セレンは見違えるほど明るくなった。
前世よりも成績は上がり、テストでアルト様を抜くことも。学園演劇では観客を魅了し、最高評価を得た。
――行動すれば未来は変わる。この〝やり直し〟には意味があると、そう確信した。
でもたった二年間では、災厄について調べるにはあまりに短い。
図書室の本を三分の一読み終えたところで、まだ希望は少しも掴めていなかった。唯一の可能性があるとすれば――セレンの聖女の力だ。
「ねぇセレン、私が一年生の最初、災厄の話をしたのを覚えてる?」
「ああ、はい。あの時のフィリア様、少し様子がおかしかったので覚えております」
「それなんだけど……もしもの話よ? 災厄が実際襲ってきたら、セレンの力でどうにか浄化できたりしない?」
「……それは、今のわたくしに対しての質問でしょうか?」
私が頷くと、セレンは困った表情を浮かべて、小さく首を横に振った。
「わたくしは、聖女としての目覚めは歴代最も早いと言われております。ですが、それでもまだ聖女としては半人前。祈りを失敗した経験がなくとも、その祈りは人々を癒し、願いを天空まで届けること……。災厄という大きな脅威を打ち消すほどの力を得るには、まだ経験も心も鍛える必要があります。数年間はかかりますわ」
どうやら今のセレンでは、災厄に打ち勝つほどの聖女としての力はないようだ。しかし、そんなの当たり前だ。むしろこの若さでそこまでできる聖女がどこにいる。
やはり、べつの方法を考えるしかない。
そうして迎えた、卒業式の予行練習日。
今回は、前日の功績ポイント首位発表者で、セレンの名前が挙がった。
だけども、前世みたいになにもかも一位を独占したわけではない。頼むから無事に今日が終わりますようにと、何度も何度も願った。
――結果、また災厄は現れた。前回同様、黒い霧の怪物の形をしたそれは、セレンに食らいついて彼女と共に消えた。
それからの流れは同じだ。災厄は強い怨念を持っていて、才能ある聖女のセレンを狙って……と、世間ではそんな声が上がった。
彼女を失った国は、前世と同じく失速し、聖女を失った悲しみに国民は打ちひしがれていくだろう。
なによりも――私は、彼女の死だって到底受け入れられない。
聖女として大事な人。それ以上に、友人として、大好きだった人。
――セレンが死んだ十日後に、また日記を同じ場所に埋めた。その日の夜、私は屋敷の屋根の上から飛び降りた。
――目が覚めた。また、入学式の日に時が巻き戻った。日記を掘り起こし、私の三周目はスタートした。
まずは図書室のまだ読んでない本を読み漁ってみる。二周目では三分の一まで読み切った。歴史書以外にも手を出さなければ、まだ災厄の解明には一歩も追いつけない。
それでも二周目を終えて気づいたのは、災厄は間違いなく〝功績ポイント首位〟の者を狙っているということ。……そしてその首位をとる人物は、間違いなくスターズのうちの誰かだ。
災厄が恨むのは、眩し過ぎるほどの才能という見解は、やはり間違っていない。
スターズの三人は、エスペランザの歴史の中でも今後名を残すほどの人物たち。誰もが憧れる、若き英雄たち。
功績ポイント制度は学園の歴史上なくすことはできない。もはや、災厄の発生を防ぐなんてのは、セレンの聖女の力が効かないとわかった時点で諦めた。
次に考えられる対策は――どうにかこの二年間で弱点を掴み、災厄を倒すこと……?
どうにかこの二年で弱点を掴めば、チャンスはあるかもしれない。僅かな可能性だったとしても、やれることは全部やるべきだ。
あの災厄には魔法が効かない。セレンの祈りも効果がないのは、二周目でわかった。
だったら……強力な物理攻撃なら?
一周目も二周目も、サディアスは剣を所持していなかった。卒業式の予行練習の場に持ち込まず、控室に置いていたはず。
まだ剣術が効くかどうかは試していない。……でも、彼を危険に晒すのはどうなのだろう。
私に戦うことができたなら……。あの災厄を前に、二度も共に横に並ぶこともできなかった。
私は選択授業では剣術を選んでいる。いいや、両親に選ばれた。
魔力の少ない私は、いくら知識をつけても魔法を継続して放出できない。それなら努力次第でなんとかなる、女子生徒の中では競争率の低い剣術のほうがまだ恥をかかなくて済む。そう判断されたのだ。
これまでもそれなりに頑張って、女子生徒の中ではそこそこの結果を出していたけれど……といっても、十位以内に入れたらいいほうだった。
「今回は剣術を頑張って戦ってみようかしら。……あの最低最悪な災厄と」
練習用の木剣を持ち、練習場を探していると、背後から声をかけられた。
「フィリア、剣の練習か」
「あ……サディアス」
「ちょうどいい。俺も裏庭で鍛錬をするつもりだった。お前の剣を見てやるぞ」
「えっ、いいの?」
サディアスに稽古をつけてもらえるなんてこの上ない話だ。
いつも彼がひとりで剣術を磨いている裏庭で、私は剣を握った。覚えている型を披露する私を、サディアスは無言で見つめている。
「……やはりな」
「えっ?」
「お前、全然集中できていないぞ。顔を見た瞬間にわかった。表情に迷いがあるやつは、それが技にも出る。そもそも……」
彼の視線が私の手を捉えた。剣を握る手は、おかしいくらい震えていた。
「なぜ震えている。剣を振るうのは怖いか?」
「いえ……怖いのは……自分が弱いこと、ね」
おもわず飛び出したその言葉に、サディアスは僅かに目を見開くと、鋭い眼差しを私に向けて力強く言う。
「だったら、強くなればいい。結果を出せば自信はついてくる。今のお前に足りないのは、自信を得るための〝実績〟だ」
「……サディアスも、結果を出して自身をつけたの?」
「ああ。それまでは、お前のように手が震えたこともあった」
「ええ! 信じられないわ。そんな時代もあったなんて」
「昔の話だ。今はまったく怖くなどない。俺はどんな相手にだって勝てる自信がある」
まさに自信満々なその言葉と笑みが、私の胸を強く打った。
もしかしたら、サディアスだったら……倒してくれるんじゃないかって。
彼を巻き込みたくはなかったけれど、これは同時に、彼の力を信じることでもある。
「本当に、どんな相手でも負けない?」
「当然だ」
「魔物でも、怪物でも?」
「ああ。すべてねじ伏せる。……なんだ、怪物と戦えるチャンスがあるのか?」
言葉に詰まった。功績ポイントで一位をとれば、災厄に狙われる。
それを彼に教えていいのかがわからない。
「うーん。ある、かも? わからないわ」
結局私は、笑って誤魔化すしかできなかった。
でも、彼は鋭かった。私が功績ポイントの動きをやたらと気にしているのに、サディアスは気付いてしまった。
そして、一位をとればなにかある、という結論まで出してしまったのだ。
やる気を出したサディアスを、私は止めなかった。私の中で、彼が今回の希望だったからだ。
でも、サディアスだけに任せない。私も少しでも役に立てるよう、剣術をこれまでの人生でいちばん頑張った。
必然的に、サディアスとの時間が増えて、彼の新たな一面にも気づいた。
ある日、練習した技を完全に習得し、喜びのあまり私はサディアスに飛びついた。
すると彼は顔を真っ赤にして動揺し、これまで見たことのない表情を見せたのだ。
「フィリアとセレンは仲間意識が強かったから、動揺しないと思ったが……すまん。俺は異性に積極的にこられると、どうにも調子が狂う……」
「ご、ごめんね。嫌な思いをさせちゃって」
「いいや、そもそも、俺に迫って来る異性などいなかったからな。驚いただけだ。嫌ではない」
べつに迫ってはないのだけど。心の中で私はつっこんだ。
「元気がある女性はいいと思うぞ。今日の髪型もよく……似合っている」
剣を振るうのに長い髪が邪魔で、ポニーテールにしている私を見て、出会ってから初めてサディアスに見た目を褒められた。どうやらこの髪型が好みらしい。……勝手におしとやかな女性が好みと思っていたけれど、案外、ぐいぐいこられるのに弱いのかしら?
彼は男兄弟しかいない家で育ち、幼い頃からずっと騎士になるための教育を受けてきた。だから異性と接する機会も、ほとんどなかったという。
私はずっと、一周目も二周目も、彼にあまり好かれていないんだと思っていた。……でも、それは勘違いだったみたい。ただ単に、恥ずかしかっただけなんだ。
セレンはあまり自分から積極的にアルト様やサディアスに話しかけるタイプじゃない。でも私は、三人に対して同じくらい積極的に話しかけていた。
それなのにサディアスったら、たまにそっぽを向いたりしちゃって。……でもそうか。あれも全部、照れ隠しだったのね。
可愛い一面を知って、なぜか母性本能がくすぐられる。
でもいつも強面でいるせいで、彼に憧れる生徒は山ほどいても、誰も話しかけられないんだろう。
……よし。無事に災厄を斬って、明るい未来に辿り着けたなら――。
その時は卒業後、サディアスの恋愛を私がサポートしてあげようっと! 不器用な彼の理解者として、少しでも恩返しができたらいいな。
――そんな私の浅はかな期待は、またもあっさりと散ってしまった。
三周目は、サディアスが功績ポイントで首位をとった。アルト様とセレンに若干劣っていた筆記テストを、これまで以上に頑張ったのが大きい。私もできる限りで勉強を手伝った。
そうして、やっぱり災厄は現れた。
今回は私の助言もあり、剣をすぐ取れる距離に控えていたサディアスが、アルト様が魔法を放つよりも先に黒い霧に斬りかかった。もちろん、私も今回は剣を握っていた。
でも、ダメだった。
災厄は斬撃なんてものともせず――狙いを定めて、彼を闇へとのみこんだ。
……ああ、また同じ展開。私はただ、大好きな仲間が殺されるのを見ているだけ。
私がサディアスに、怪物と戦えるなんて言ったから。そのせいで彼は死んでしまった。
サディアスが災厄に食べられて、すぐに日記を埋めに行く。
そして私は、握っていたなんの役にも立たない剣の切っ先を、自分の喉へ押し当てた。




