フィリア・ヘイズという悪女1
『いいかフィリア。ヘイズ家の異能は、国の希望だ。未来に進むために与えられる、特別な力なんだ』
これは、大好きな祖父の教えだ。
ヘイズ家は代々、ひとつの分野で常人をはるかに超える異能を開花させ、その力で国を支えてきた。
王家にすら頼られる誇り高き家系――それなのに私は、一向に異能に目覚めない〝無能〟だった。
エスペランザ王立学園。
私がここへ通うことは、生まれた時から決まっていた。そして同年代に、三人の優秀な入学者がいた。
歴代でも高い魔力を持つ完璧王子アルト。
異例の若さで聖女に目覚めたセレン。
既に騎士団の部隊長になれるほどの実力を持つサディアス。
彼らは学園――否、エスペランザの希望の星となる〝スターズ〟だ。
誰かがそう言いだし、いつの間にかその呼び名が定着した。
――そして私も、そのスターズの一員となった。
まだなにも力を持っていなくとも、これから異能を開花させる可能性を持つ私は、希望の星にカウントされていたのだ。
『君があのヘイズ家のフィリア嬢か。私はアルト・ランチェスター。彼女が聖女のセレン、彼が騎士のサディアス。君は知っているかな? 私たち四人は、既に学園で噂になっているらしい。なんでも、希望の星……だとか。恐れ多いけど、有難い話だ。よければこれから仲良くしよう』
入学式の日。アルト様が私に声をかけてくれた。
大勢の生徒が見守る中、私は差し伸べられたその手を握った。その時の三人の柔らかな笑みは、不安だった学園生活を、楽しみに変えてくれた。
私は異能を持っていないのに、彼らは私を仲間として迎えてくれたのだ。
それは私にとって、本当に嬉しいことだった。
異能が開花しないせいで、家では落ちこぼれ扱いされ、毎日肩身の狭い日々を送っていた私は常に居場所がなかった。
唯一味方をしてくれた祖父が亡くなってからは、家族とまともに話した記憶もない。
だから〝スターズ〟という居場所は、私に本物の家族みたいな安心感を与えてくれた。
だけど私は無能であるが故に、頑張っても頑張っても、三人には追い付けない。どれだけ願っても異能は開花しない。
でもせめて、それで落ち込む姿だけは見せるのはやめよう。
私はそう決めて、みんなの前では常に笑顔で明るく振舞った。
いちばん出来損ないの私がこれだけ明るいのだから、みんなが落ち込む必要はない。
だからといって、落ち込むなとも言わない。
せめて私の前だけでは、気持ちを楽にして、肩の荷を下ろしてほしい。
『私は完璧な姿を常に見せないといけないんだ』
『わたくしがもっと、聖女として成長すれば、皆さんの役に立てるのに』
『実技だけでなく、筆記でももっと上位をとり、周囲の期待にこたえなければ』
私には到底わからないほどの大きなプレッシャーを抱えた三人を、私はいつも慰める。
『大丈夫。私の前では、完璧でなくていい。そのままでいてください』
『もうじゅうぶん役に立ってる。あなたの祈りで、私も幸せになれる』
『周囲の期待は一旦忘れましょう。私はあなたの追う騎士道を応援するわ』
いつも明るくしていよう。笑っていよう。
彼らがみんなの星ならば――私は彼らにとっての星になりたい。
『ありがとう(ございます)。フィリア(様)』
そう言ってくれるだけで――私は満たされた。
三人の隣を歩ける時間が、私は世界でいちばん好きだった。たとえそれが、不相応な場所であっても。
完璧な王子アルト様、女神セレン様、屈強の騎士サディアス様――そして、天真爛漫なフィリア様。そう呼ばれ続けてきた。
無能な私でも、いつも笑顔でいることで、それなりに人徳はあった。
でもそれは、一緒にいる人たちがすごかったから。
実際に、私は魔力はほとんど持ち合わせていないし、剣術だって、全然得意ではなかった。それでも運動神経はもともと悪くなかったし、やろうと思えば勉強もそこそこできる。
しかし、その日々のコツコツした努力だけでは天才には追い付けない。
私がスターズに相応しくないという声は、何度も聞いたことがある。テストの結果だって、どれだけ頑張っても最高は四位。六位や七位に落ちる時だってあった。
スターズと名を並べられなくて、どこがスターズなのか。
それでも、三人は決して私を蔑んだりしなかった。
それは私が三人を妬んだり、自分がスターズだからと傲慢にならなかったからだろう。
学園生活の二年間。私はほとんどの時間を彼らと過ごした。
舞台演劇では、メイン役をこなす三人を裏方で支えた。サブメインキャラは悪役だったせいか、私には似合わないという理由で推薦されなかった。
ちょっとだけやってみたかったなぁ……とは思ったけれど、私が悪役となると三人もやりづらいと言っていたので、我慢しよう。
卒業制作では、スターズの銅像が創られて、私は感極まって涙が出た。でも、よけいに異能を開花させられなかったことが悔しかった。
最後まで私は、本当にこの場所にいてよかったのかと、心のどこかで疑ってしまったからだ。
そうしていよいよ、卒業式が間近に迫って来た。
異能が目覚めなかった私は、卒業後彼らと離れた道を歩むだろう。
アルト様は王太子として、セレンは聖女として、サディアスは騎士として、王宮で責務を果たしていく。
私はきっと――両親が決めた相手と結婚させられて、誰かの妻として生きていく。
スターズという家族と過ごすのは、ここでおしまい。
あまりにも寂しくって、ずっと卒業式など来なければいいのにと思っていた。
いつもの笑顔がうまく作れないまま、式の予行練習に挑む。
すると――突然、黒く大きな霧が大ホールを包んだ。
得体のしれない、奇妙な霧。霧と呼ぶにはあまりにおどろおどろしい。意志を持って蠢く怪物のようなそれは、その場にいる人間に襲い掛かる。
あからさまに危険な存在だ。やつに触れてはいけない。触れられてはいけないと、頭の中でサイレンが鳴り響く。
生徒が逃げ纏うなか、アルト様とセレンとサディアスが一歩前に踏み出した。
三人は戦う気なんだ。だったら私も――でも、私になにができるの?
足手まといになるのを恐れた私は、その場に踏みとどまるしかできない。その間にアルト様が迷いなく魔法を放った。でも、その霧は魔法を吸収し、なんのダメージも受けていない。
そして――そのまま狙いを定めたかのように、アルト様を襲った。
『……アルト様?』
アルト様は一瞬で闇に食いつかれ、跡形もなく消えた。
彼を食った霧も、その後すぐに消えてしまった。
後日、あれは呪いが生んだ、形を持った災厄だと発表された。
災厄というのは、強い憎しみや呪詛が形を成したものだ。標的と定めた者が現れると、その魂を喰らい尽くす。
あの災厄は最後、明確にアルト様を狙っていた。そして彼を食い――満足して消えていった。
いったいなにが、誰が、アルト様に強い恨みを持つのか。なぜ彼が標的となったのか。
あんなに優しくて、完璧で、素晴らしい王太子だったのに……。
『きっと有り余る才能を妬み、恨んだんだ』
『アルト王子、二年間のテスト成績だけでなく、功績ポイントも首位だったものね……』
みんなは口々にそう言った。そして誰もが、あの災厄はアルト様の才能を恨んだと推測し、納得した。
『あんな災厄の呪いの代償にされるなんて――なんて不運な』
災厄に狙われるなんて、運が悪かった。
そもそもあんな災厄が学園に残っていたことが、不運だった。
アルト様の死を弔いながら、そんな声が飛んでくる。しかし私は、彼の死をただの〝不運〟で済まされることに納得がいかなかった。
だって、お別れも言えないまま、もう二度と、あの姿を見られないまま――アルト様は死んでしまったのだ。
いちばんの希望の星だった彼を失ったエスペランザは、目に見えて失速した。
そしてセレンとサディアスもかつての勢いをなくし、悲しみに暮れていた。
……私はアルト様がいなくなってから、日に日に精神を蝕まれ、目も当てられない状況となった。
大好きな仲間の死を受け入れられなかった。
それでも、思い出せば辛くなる。私は学園時代の思い出を綴ったこの日記帳を、校庭のいちばん大きな樹の下に埋めて封印した。
そしてその帰り道、廃人のような状態で歩いていた私は、足を踏み外して階段から転げ落ち命を落とした。
……そう。たしかに死んだはずだった。
でも次に目覚めると、入学式の日に時間が戻っていたのだ。




