冷たい熱
今にも胸倉を掴みそうなほど距離を詰め、興奮状態のままフィリア様に詰め寄る。
「あら。私はただ寒いから暖かくしようとしただけですわ。あなたみたいに強い魔力は持ってないから、寒い時期はマッチが必須ですのよ」
「そんなことは聞いていない! それなら、わざわざ銅像の前で火をつける必要はない。大体ここは火魔法が効いて寒くないはずだ。君はあれが熱に弱い素材だと気づいて、わざとやったんじゃないか!?」
「言いがかりはやめて。彼女が私の腕を掴むから落ちたのよ。これは事故よ。事故」
――たしかに衝突があったのは事実だ。狙ってやったとしても、百パーセントそうだと言い切れる証拠はなかった。
それでも……僕だって、あれは意図的にやったものとしか思えない。これは、この場にいる全員が感じているはずだ。
「大体、よかったではないですか。スターズの銅像が未来への願いですって? 功績ポイント一位は私なのにおかしいじゃない。あんな卒業制作、認められないわ」
「君はまさか、それが理由で燃やしたのか!?」
「燃やす気はなかったと、さっきから言っているでしょう」
ふたりが会話する背後で、今にもサディアス様が怒りに任せて飛びかかりそうになるのを、セレン様が必死に腕で押さえつけている。
だが――そのセレン様の視線すら、もはや慈悲という色はひとかけらもなかった。
「それとも、そんなに腹が立ちますか? 自分が燃やされてしまったのが。そうですよね。あなたは目立ちたがりのナルシストで、自分がいかにすごいかを、大々的にアピールしたいお方――」
全部言い終わる前に、無言でアルト王子が手から水魔法を放った。
その水はフィリア様を頭上から濡らし――びしょ濡れになった彼女は、啞然として言葉を失った。
長い髪から、冷たい水滴がしたたり落ちる。
「君は一度、頭を冷やした方がいい」
アルト王子の声は低く、そこには突き刺すような冷ややかさがあった。
「……私になら、なにをしたってよかった。嫌味を言われようが、恥をかかされようが、見せ場を奪われようが構わなかった。君が私たちを快く思っていないことも、承知していた。それでもよかったんだ。……だが、今回ばかりは許せない。なぜなら、これは共にこの学園で過ごした仲間たち全員が、心血を注いで創り上げたものだからだ」
フィリア様の長い髪から水滴がぽたぽたと落ちて、地面を濡らす。
「こんな状態では、卒業式までの修復は不可能に近い。そんなのは、断じて許されることではない。……君が並外れた努力を重ねてきたことは知っている。それは、これまでの結果が物語っている。努力の重みを、君は誰よりも、その身をもって知っているはずだ。それなのに――」
アルト王子の光のない瞳が、びしょ濡れのまま顔を上げたフィリア様の瞳をじっと見つめた。
「他人の努力を平気で踏みにじるその行為に、私は心底、軽蔑したよ」
沈黙が流れる。
これまで一度だって、ここまで怒りを表しているアルト王子を見たことがない。そしてこれは、王子が本気でフィリア様を突き放した瞬間のように思えた。
アルト王子は泣きじゃくる制作委員たちに歩み寄り、必死に最短で修復する方法を探そうと慰めている。
制作委員たちはなんとかその言葉に頷いて、銅像にまた布をかけると、全員で運んで行った。
スターズの三人も、無言でその場を去って行く。
立ち尽くしたままのフィリア様に、誰も声をかけることはない。
そのうち、ほかの生徒たちもスターズに続くようにその場をぞろぞろと立ち去っていく。
いくら火魔法が効いていると言っても、濡れたままでは寒いだろう。僕はフィリア様が心配で、彼女のもとへ駆け出そうとした――が。
フィリア様が、そんな僕を睨みつける。
まるで〝こっちに来るな〟と言っているみたいだった。
躊躇が生まれ、足が止まる。
その時、不意に後ろから肩を叩かれた。
「おい、なにぼさっとしてんだよ。さっさと行くぞ。……えーっと、たしか、リアムだっけ。お前の名前」
「え……」
振り返ると、そこにいたのは学園演劇で裏方を仕切っていた同級生男子だった。
僕に背景の差し替えを無茶振りした、あの彼だ。
「お前があの悪女となんか関係あるのは知ってるけどよ、どうせ脅されてるんだろ? 今は関わってもお前にいいことなんかなんにもないって。ほら、さっさと行こうぜ」
「でも……あんな濡れたままじゃ……」
僕よりずっとガタイのいい彼に、強引に引っ張られる。
フィリア様はその場から一歩も動こうとしない。でも、彼女の表情はどこか、遠ざかる僕を見て安心しているようにも見えた。
……そこに残るのなら、せめてこれだけでも。
僕はそっと手をかざし、外暖炉で燃える火のそばにある空気に魔力をほんの少しだけ注ぐ。 炎を強くするのではなく――〝炎の熱〟がフィリア様のほうへ流れるように、風を調整した。
僕じゃなくても、せめてこの暖かさだけは、彼女のそばに寄り添えますように。
「なにしたんだ? 魔法か?」
「はい。暖炉の熱が、彼女の近くにもっと届くといいなって……」
「お前さ、お人よしすぎるだろ。卒業制作を燃やしたんだぜ? 自業自得だ。……でもさ、お前のお魔法、地味にすごいよな。俺、この前の実技テストで感動したんだよ。もう卒業目前だけどさ、これから仲良くしようぜ」
僕の肩を抱き、まだ名前も知らぬ彼は豪快に笑った。
こんなタイミングでまさか友達ができるとは……。ずっと願っていたはずなのに、なぜか僕は素直に喜べなかった。頭の中は、フィリア様でいっぱいだったからだ。




