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どんな夢より幸せな現実

 真っ暗な部屋の中。

 そう広くもないベッドで、僕はフィリア様と一緒に寝ている。床で寝るという提案は、どうしても許されなかった。

心臓の音がうるさい。彼女にまで伝わってしまいそうで、僕は息を潜める。

隣からは衣擦れひとつ聞こえなかった。話しかけてくるわけでもなく、ずっと黙っている。

 ……もう寝たのだろうか?

 こんな状況でも平然としているあたり、やっぱりフィリア様は僕を男として意識していないのだと思い知らされる。今度はべつの意味で、心臓がギュッとなった。


 彼女は僕のことなんて、ただの下僕としか――いや、待て。

 僕は、意識してほしいと思っているのか? 彼女になにを期待しているんだ?

 彼女と僕は、本来なら絶対に交わらないような関係性。僕にそんな資格、あるわけがないのに。


「……寝てる?」


 小さく、囁くような声が聞こえた。

 思わず息を呑んだ瞬間、ふわりとシーツが揺れ、ベッドが軋む。彼女がこちらを向いたのが気配でわかった。


「こっち向いて」

「……無理です」

「命令よ」

「……」


 仕方なく、ゆっくりと身体を返す。想像より遥か近くに、彼女の顔があった。


「……フィリア様、なんだかいつもより幼く見えますね」

「ふふ。そう?」


 彼女の瞳が、闇の中でも不思議と光ってるように感じる。


「……可愛いです」

「――え?」


 彼女がわずかに瞬く。その反応に、僕のほうが焦ってしまう。


「す、すみません! その、寝る前に見たら……眠れなくなるくらい、可愛いって意味で」

「……ば、馬鹿ね。なによそれ」


そう言うフィリア様の頬が、ほんのり赤い気がした。


「もしかして……フィリア様も緊張してるんですか?」

「してない……って言いたいところだけど、思ったよりしているわ」

「そう、ですか」


 照れくさそうに、毛布で顔の下半分を隠す。今日の彼女はずいぶんと素直だ。


「ねぇ下僕、卒業したらどうするの?」


 話題は、僕の未来の話へと移った。


「えっと……これでも長男なので、家を継ぐための準備ですね。でも、魔法に関する仕事もしてみたいです。いつになるかはわかりませんが」

「へえ。いいじゃない。絶対にしたほうがいいわ」

「……実は僕、自分の魔法が好きではなかったんです。地味だし、注目もされないし。でも、フィリア様がたくさん褒めてくれたおかげで自信が持てた。新しい夢を持てたのは、フィリア様のおかげです」


 そのまま礼を告げると、フィリア様は「あなたが努力したからよ」と笑った。素直なうえに優しい。いや……いつだって彼女は結局優しい人だった。今日はそこに素直さが加わっていて、その組み合わせがなんだか照れくさい。


「フィリア様はなにをするんですか?」

「なにも考えていないわ。功績ポイント一位をとれば、未来は選び放題だもの。まずはそれを叶えてから考えないと」

「……どこかに嫁いだり、なんかは?」

「……さあ。これでも侯爵家の娘だから、いつかはそうなる可能性もあるかもしれないわ」


 貴族なんだから、いつか結婚するのは当たり前だ。

 相手が自分で見つけられなくても、両親がどこかで見つけて来る。それが普通の世界。

 ……僕とフィリア様は、将来誰と結婚するのだろう。疑問に思うが、あまり深く考えるのは嫌だった。

 

「でもあと二年くらいは、好きにして生きていきたいわね。卒業したら、下僕も下僕じゃなくなるし」

「あ、そうですよ。僕を友人に昇格してくれるって話、忘れてないですから」

「はいはい。その時は魔法の仕事ができるよう、協力してあげなくっちゃね」


 彼女とそんな話をしたのが、もうずいぶん昔のことみたいだ。まだ一年も経っていないというのに。


「……思い返せば、本当に濃い前期と中期でした」

「そうね。アルト様のスピーチの言い間違いから始まって、セレンの秘密ノート事件!」

「その後はサディアス様が、まんまとフィリア様に踊らされて……」

「文化祭も最高だったわ! 全部がうまくいったの。下僕の協力あってこそよ」


 これまでの出来事を話していると、当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。

 その中で僕は、ふと気づいたことがあった。


「……フィリア様、実際は、スターズともうまくやれたのではないですか?」

「……どういう意味?」

「いがみ合っていたけれど、三人といる時のフィリア様、楽しそうでした。妙にしっくりくるというか。……功績ポイントで張り合ったりする前に、もしかしたら話せばわかり合えたんじゃないかって」


 僕が言うと、さっきまで楽しそうだったフィリア様が黙り込む。


「す、すみません。フィリア様がどれだけ嫌な思いをしたか、最初に聞いたはずなのに。軽率でした」

「……べつにいいわ。でもね、私、彼らと仲良くしなかったことに後悔はない。そうしていたらきっと今、あなたの部屋にはいなかった」

「……フィリア様」

「この一年、思ってたよりずっと楽しかったの。それって、きっとひとりじゃなかったからよ。私、あなたがいてくれてよかった」


柔らかに目を細めて、フィリア様が微笑む。

その笑顔が僕に向けられているという事実が、とてつもなく嬉しい。


「僕もです」

「……なんだか、まるで明日が卒業式みたいな雰囲気になっちゃったわね」


 顔を見合わせ、僕たちは同時に笑いだす。ああ、こういう時間を人は〝幸せ〟と呼ぶのだと、僕は初めて実感した。

 

 ――コン、コン。

 不意にまた、ドアが叩かれる音がした。


「夜分にすまない。寮の管理人だ」


 僕らは同時に固まった。これは――緊急事態では?

 無視するのもおかしいので、僕はフィリア様を残してそっとベッドから立ち上がり扉を開けた。


「寮の窓から、誰かが侵入したような形跡があったんだ。なにか知らないか?」

「し、知らないです!」


 声が裏返る。その様子を不審に思われたのか、管理人は「失礼」と言い、部屋の真ん中あたりまで入ってきた。


「……そこの毛布が膨らんでいるのは?」

「え、えっと、これは……! 抱き枕です!」

「……抱き枕?」


 瞬時に思いついた言い訳は、さらに管理人の眉間の皺を濃くさせる。

 ……女子生徒を部屋に連れ込んでいる、しかも侯爵令嬢なんてバレたら終わりだ!

 次の瞬間、僕は毛布越しに彼女を後ろから抱きしめた。毛布の中でびくっと身体が跳ねたのがわかったが、声を我慢してくれたのは有難い。


「こういう感じで使うんです。恥ずかしながら、僕はこれがないと眠れなくって……」


 じーっとこちらを見つめた後、管理人は納得したように頷いた。


「そうか。……まぁいい。きちんと鍵はかけておけよ」


 そう言い残し、ようやく部屋から出て行く。間一髪、どうにか誤魔化せた。

 安堵のため息をつくも、腕の中にいる彼女の苦しそうな声が聞こえてきて我に返る。


「申し訳ございませんフィリア様っ!

「……あなた、意外と大胆なのね」


 布団をめくると、顔を真っ赤にしながら彼女が言った。僕はますます赤くなって、謝るしかなかった。


「も、もう寝ましょう。大人しく。あんまり話していると、管理人さんにバレるかもしれません」

「……ええ、そ、そうね」


ぎこちない雰囲気の中、僕たちはまたベッドに入る。もちろん、その前に鍵閉めも忘れずに。


「ねぇ……手、繋いでもいい?」


 彼女の指が、そっと僕の手を探すようにシーツの上をすべる。指先が触れた瞬間、鼓動が跳ねた。


「私、こうしないと眠れなくって……なんてね」


 さっきの僕の苦し紛れの言い訳を真似して、フィリア様は小さく笑った。やはり、今日の彼女はいつもと違う。普段は見ることのない、幼い少女のような表情をする。

 繋がれた彼女の手は、とてもあたたかい。真っ暗な部屋に、キラキラとした光が差すようだ。彼女に触れるだけで、世界が変わっていく。


 彼女がいるだけで、僕はこの世界に生きていてよかったとたしかに思えた。

目を閉じる前に、僕は確信した。


 ずっと、憧れという言葉で蓋をして、目を逸らしていた、その奥にある本当の気持ちに。


 僕は、フィリア様が、好きなんだ。


 ゆっくりと目を閉じる。いつの間にか、僕は眠りに落ちていた。

 どんなに幸せな夢を見ても、今の現実には勝てないだろう。


 ――翌朝目覚めると、彼女の姿はもうなかった。


「……夢だったのかな」


 手のひらに残る温もり。シーツに残る香り。

 そのどちらも、昨夜が夢ではなかったと、僕に教えてくれているような気がした。



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