希望の星と悪女
僕の名前はリアム・ミルトン。十七歳。男。
エスペランザ王国の辺境、緑と丘ばかりが広がる片田舎にある、小さな男爵家の出身だ。
魔法が当たり前に存在し、豊かな自然が季節を彩り……身分の差こそあれど、争いなくみんな自分の居場所で笑いながら生きている――そんなこの国で、僕はなにひとつ目立つものを持たずに生きていた。
幼い頃から憧れていた、貴族が通う王都のエスペランザ学園に入学して、もう一年が経つ。
それなのにこの一年で僕が得られたものは……並の成績と、授業で教えられた知識。
未だに友人はゼロ。田舎出身の僕は、そもそも王都には知り合いがいない。
田舎には同年代が少なく、社交界にも参加してこなかったせいで、自分から声をかけるタイミングも掴めず……結果、このザマだ。
この春二年生になったばかりだが、きっと友人の数をまったく更新できないまま卒業を迎えるのだろう。
「きゃーっ! スターズよ~!」
今日も朝から、黄色い歓声が学園の廊下に響く。
俯きがちだった顔を上げれば、そこには眩し過ぎる横並びの三人の姿があった。
いちばん右で優しい笑みを浮かべ、鎖骨まで伸びたピンク色の髪を靡かせているのがセレン・バラード。
子爵家に生まれ、十二歳という歴代最少年齢にして神の祝福と呼ばれる聖女の力に目覚めた、神に愛されし存在。
エスペランザ王国では、じつに百年ぶりの聖女の誕生として、当時は田舎でも大騒ぎとなった。
聖女しか使えない治癒や浄化魔法はもちろん、彼女が祈りを捧げれば、国にさらなる平和をもたらすとも言われている。
左でひとつも表情を変えず、クールに前を見据え、長い銀髪を後ろで結わえているのがサディアス・エーディ。
現騎士団長の息子であり伯爵令息。
父をも超える剣術を期待される若き騎士。魔力には恵まれていないが、剣だけならこの学園で誰にも負けることはないだろう。
既に騎士団への試験には合格しており、卒業後はきっとエリート街道まっしぐらだ。いつも仏頂面なせいか、堅物なイメージがある。
最後に、真ん中で周囲の歓声に笑顔で応える金髪の生徒は、アルト・ランチェスター。
我がエスペランザ王国の王太子。剣にも魔法にも愛された天才である。
王太子という立場にありながら愛想もよく、身分問わず誰にも優しい人気者。ダメなところがひとつも見つからない、完璧王子。
彼らはこの学園――いや、エスペランザ王国が誇る希望の三つ星。
人々は敬意を込めて、彼らを〝エスペランザ・スターズ〟と呼んでいる。
これほどまでに突出した才能の持ち主たちが、同じ時代に揃うのは奇跡といえよう。
三人は確実に国の未来を背負って立つ存在。そして、言わずもがな全校生徒の憧れのスーパースターなのだった。
正直、僕には眩し過ぎて直視もできない。
三人が歩くスペースの邪魔にならないよう、廊下のさらに隅っこへとそそくさと移動していると、スターズに押し寄せる人たちにどんっ!と思いきりぶつかられた。
「ちょっと、そんなとこにいられたら邪魔なのよ!」
僕は苦笑する。
これでも必死に隅っこに避けて存在を消していた。それなのに邪魔と言われれば、僕はどこにいけばいいのやら。
「……はぁ」
人がいなくなった空間で立ち止まり、ひとりで大きなため息をついた。
憧れていた学園。それなのに、ここは息が詰まる。
僕はここへ来て一度だって、自然と笑えたことがない。彼らが星ならば僕は……塵か? 自分で言って虚しい。
しかしそんな僕にも、この学園で唯一、心から安らげる場所がある。
学園の敷地の端、今では誰も寄りつかなくなった旧校舎。
その一角にある美術室は、まるで時が止まったかのように静まり返っていた。
僕は実家が遠方にあるため、学園入学と同時に寮に入った。
寮の部屋はひとり部屋だが、そんなにいい部屋ではない。しがない男爵家のため、そこまで寮費にお金をかけられなかったため、グレードが低い部屋なのだ。
周囲の声が漏れ、物音が響き、ほっとできない。
完全にひとりになれる静かな場所を探し、一年の秋の終わりにこの場所を見つけた。
きっかけは些細なこと。
通りがかった僕に、先生がふいに鍵を手渡してきたのだ。
旧校舎の美術室の鍵を間違えて本校舎に持ち帰ってしまっていたらしく、片づけをしていたら偶然発見したという。
『悪いけど、旧校舎の職員室に戻しておいてくれる?』
……と、頼まれて、僕は鍵を預かった。
そして、せっかくだからと興味本位で立ち寄ってみた。それが、この場所との出会いだった。
以来、僕はその鍵をずっと持ち歩いている。
本当は返さなきゃいけないのだろうけど……バレる気配はまったくないし、卒業まで静かに使わせてもらうだけだ。これくらい、見逃してもらいたい。
静寂が満ちる、僅かに埃っぽい美術室。手入れがされているとは言いがたいが、だからこそ落ち着く。
窓から差し込む夕陽に照らされる空間は、まるでこの世界で唯一、僕が僕でいられる場所のように思えた。
――今日、この日までは。
いつも通りに授業を終えて、放課後、僕は旧校舎へやって来た。
足はまっすぐに美術室へと進む。階段を上がり右に曲がると……美術室の前に、ひとりの女子生徒が立っていた。
深紅のロングヘアが、開かれた窓から吹き付ける風にゆらゆらと揺れている。
窓辺の光を浴びるその立ち姿は、まるで絵画のように凛として美しい。
僕はその顔を、よく知っている。
でも向こうは、僕のことなんて知らないだろう。
――フィリア・ヘイズ。
同級生の彼女を、この学園で知らない者はいない。ある意味、スターズと同じくらいの知名度を誇る。……だが、意味はまったくの逆。
彼女は、〝学園一の悪女〟として、有名なのだ。
そんな彼女が、窓の向こうを静かに見つめている。
――よく見ると、目元がきらりと光り、その光が頬をつたっていく……あれは、涙?
悪女が、僕の前で、泣いている?
衝撃を受けていると、不意に彼女とばっちり目が合った。
「……見つけた。ちょっと、その鍵、私によこしなさい」
「……へ」
フィリア様はずかずかと僕に歩み寄ると、僕が持っている鍵を指さしてそう言い放った。
「聞こえなかった? その鍵! 美術室の鍵でしょ? さっさと私に渡して」
「え……いや……その……」
詰め寄って来るディープブラウンの瞳が、僕をキッと睨みつける。
さっき見えたはずの涙はもうどこにもない。……錯覚だったのか?
――そんなことより、なんでフィリア様がこんな場所に!?
フィリア様といえば……スターズからあぶれた、消えた星……なんて陰では言われている。
この国で唯一、異能者を輩出するヘイズ侯爵家の長女として生まれた彼女も最初は、まさに希望の星だと期待されていた。でも、彼女はスターズにならなかった。……正確には、なれなかったのかもしれない。
『フィリア様って、ほんとに嫌なやつよね……』
『見た目はいいのに、性格が最悪』
そんな声を、僕は何度耳にしただろう。入学してから一年間、彼女の悪い噂は絶えない。
たとえば授業中。
教授が熱心に魔法理論の説明をしていたとき、質問に答えられなかった男子生徒がいた。
『話を聞いてないからでしょ。そもそも、その程度の理解力でこの学園に入れたことが不思議だわ。……推薦? ああ、納得。上位貴族はいいわよねぇ。……え? 私? 私は推薦されて当たり前でしょ。この質問だって、すぐに答えられるわ。あなたと違ってね』
馬鹿にしたような薄ら笑いに、ばっさり切り捨てるその口調。
放っておけば無限に飛んでくる言葉の刃に、男子生徒はその日、午後の授業を休んだ。
またある時、失恋して泣いていた女子生徒がいた。周囲が落ち込む彼女を慰める雰囲気のなか、フィリア様は通りすがりにひとことこう言った。
『あなた、すごい顔してるわよ。髪も制服もぐっちゃぐちゃ。人前に出るなら、せめて顔くらい整えてからにしなさい。それと……学園になにしに来ているの?』
勉強ではなく恋を優先する同級生を、あからさまに見下す態度に口調。
失恋した直後に厳しい言葉を浴びせられ、女子生徒はその後、三日間学園を休んだ。
そしてなにより――忘れてはならないのが、入学式の〝あの〟事件だ。
スターズの候補者だった彼女に、アルト王子が声をかけた。彼の背後には、セレン様とサディアス様の姿もあった。
入学前から『今年はすごい生徒が四人も入学してくる』と噂になっていたため、本人たちもほかの三人を意識していたのだろう。もちろん、好意的に。
『君があのヘイズ家のフィリア嬢か。私はアルト・ランチェスター。彼女が聖女のセレン、彼が騎士のサディアス。君は知っているかな? 私たち四人は、既に学園で噂になっているらしい。なんでも、希望の星……だとか。恐れ多いけど、有難い話だ。よければこれから仲良くしよう』
そう言って、アルト王子がフィリア様に手を差し伸べたその瞬間――彼女はその手を、目も合わせずに払いのけた。入学者が揃う大ホール内に、乾いた音が響いたのは僕もよく覚えている。
『希望の星? 笑わせないで。私は慣れあう気などございませんので』
彼女のまさかの返答に、その場は凍りついた。
とはいえ、最初はまだ周囲も、彼女は少し変わり者なだけだと思っていた。
だがいつまで経っても誰の輪にも入らず、誰の言葉にも耳を貸さず、誰に対しても棘のある態度を貫き通す。
……特に、スターズへの態度の悪さは群を抜いていた。でも、スターズは心もほかの人たちより広かった。
アルト王子やセレン様なんかは、なんとかフィリア様を更生させようと、孤立していく彼女を気にかけていた。
……でも、フィリア様の態度は一貫していた。
再度差し伸べられた手すら、彼女は強く拒んだのだ。それから、スターズも彼女の更生を諦めたらしい。
僕は、なぜフィリア様はあんなにもスターズに対して冷たくするのか不思議だった。……あの事実を知るまでは。
実は、フィリア様は異能の家系に生まれながら――異能を開花させていなかった。
聞いた話によると(盗み聞きだけど)、ヘイズ家は基本的に十五歳までにはみんななにかしらの異能を開花させていたという。だけどフィリア様は、十五を過ぎてもなんの力も持っていなかった。
既に特別な才能を持つスターズへの嫉妬と劣等感……。
普通の人なら憧れるだけで終わる彼らと、フィリア様は対等になれるはずだったからこそ、よけいに敵視しているのかもしれない。
僕たちには想像もつかないほどの嫉妬心が、彼女を支配しているのでは――そんなふうに、ほとんどの人は感じ取っているだろう。
希望の星を妬み、八つ当たりし、誰に対しても優しい言葉をかけない。
たまに見せる笑顔は、どれも悪意に満ちた蔑んだもの。失敗した者を見て高笑いし、いつも誰かを見下している。
そんな彼女が〝悪女〟と囁かれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
それでも、そんな彼女に直接文句を言えないのには大きな理由がある。
フィリア様はとにかく隙が無い。彼女は異能こそ開花させていないが――恐ろしく優秀だったのだ。
座学ではいつも上位の成績。一年の学年末テストでは、スターズを抑えてついに一位に躍り出た。
騎士志望でもないのに、選択授業の剣術では、未経験から始めて女子でトップの成績を叩きだした。
魔力量こそ平均以下だが……これは血筋が大きく関係し、生まれながらに決まっているものなので仕方がないともいえる。
そのかわり、知識量では専門の教師ですら舌を巻いたという。自分が使うことのできない分野の魔法知識も、彼女は完璧に頭に叩き込んでいたのだ。
アルト王子にも引けを取らないこの完璧さこそが、彼女の異能なのではないか……そんな疑念も抱かれていたが、ヘイズ家の歴代の異能者を見ても、そんなことはありえなかった。
ヘイズ家は代々〝ひとつの分野に極端に特化した異能〟を持つ家系で知られている。
たとえば、火に特化して、どんな炎も自在に操れる者。植物と心を通わせ、希少薬草の栽培に成功し、王室御用達の治癒師となった者。
ほかにも動物の感情を読める者、未来が視えるなんて者もいた。それぞれ得意分野は違えど、誰もが一点特化の力を有していた。
フィリア様には、そういったものはない。
それでいて、彼女はなんでも〝こなしてしまう〟のだ。
ただ、いずれも誰かには及ばない。剣ではサディアスに、魔法ではアルト王子に、特別な力という面ではセレン様に……。
それでもなお、彼女は全方位で優秀な人だった。生まれつき容量が良いのか、それとも――。
「ちょっと、聞いてるの?」
「わあっ!」
気づいたらフィリア様の顔が目の前に迫っていて、僕は驚いて後ずさる。
「鍵を渡しなさいって言ってるの! 大体、なんであなたが鍵を持ってるわけ?」
「……いや、これは……というか、フィ、フィリア様は、なんでこんな場所にいるんですか?」
「へぇ。知っているのね。私の名前」
「そりゃあ……。有名人ですから」
「……ふふ。それはもちろん、いい意味で、よね?」
片側だけ口角を上げて、ニタァと笑われる。清々しいほどの悪役顔に、僕は口の端がひくりと震えた。
「私がどこでなにしてようが、あなたに関係ないわ。鍵を渡してくれたら、帰っていいわよ」
「い、嫌です!」
「……は?」
凄まじい睨みに、心の中で雄たけびを上げる。だけど、これだけは僕も譲れない。
「ここは……僕の憩いの場なんです。相手がフィリア様でも、譲れません。……この学園で、僕の居場所は……ここしかないんです」
フィリア様は、自ら孤独を選んだ人だ。でも、僕は違う。いつのまにか、ひとりになっていた。
人が集まる場所に行っても、誰の記憶にも残らない。
寮の部屋も狭くて落ち着かない。教室でも、図書室でも、カフェテリアでも……どこにも僕の居場所なんてなかった。
ここは、ようやく見つけた僕だけの場所。――それを奪われたら、僕は本当に、どこにもいられなくなる。
「……私、旧校舎に置いてある本を読みたいの。旧図書室にあった古い本をいくつかここに移動させてるって聞いて来てみたら、ここはいつも鍵がかかってる。だから待ち伏せするしかなかったのよ」
「……え」
しばしの沈黙のあと、フィリア様が淡々と話し始めた。
「……鍵はいいわ。そのかわり、私を中に入れて。探し物をするだけよ」
「……は、はい。それなら」
「さっさとしなさい」
「は、はい!」
思ったより、あっさりと譲歩してくれた。
僕が鍵を開けて扉を開けると、僕をぐいと押しのけて、フィリア様が先に美術室へ足を踏み入れた。




