悪役令嬢と、キラキラ
書庫室に着くなり、フィリア様はお目当ての補助魔法に関する本をいくつか手に取って読み始める。
彼女は本当に勉強熱心だ。こんな場所に来てまで、本を読んでいるのだから。
僕はマリエルに薦められて、普段はあまり読まない恋愛小説を読んでみた。思いのほか面白くって、ページをめくる手がとまらない。
物語は平凡な少女が、王子様と恋に落ちるというシンデレラストーリー。その中でヒロインの恋敵となるのは、身分の高い気の強い令嬢だ。元々王子の婚約者だったその令嬢は、あらゆる手を使ってふたりの関係を邪魔している。
「そういうキャラクターって、〝悪役令嬢〟っていうんだって!」
僕がちょうど令嬢が登場している場面を読んでいると、横からマリエルがそう言った。
「悪役令嬢?」
「うん。ヒロインとヒーローの恋を邪魔する〝悪役〟! この手の小説には、たいていひとりは出てくるの」
「へぇ……。でも、たしかに物語が一気に面白くなるよな。共通の敵ができるし」
「でしょ? でもね、私はちょっとかわいそうだと思うの」
マリエルは本のページを見つめながら、少し眉を下げた。
「だってその人、もともとは王子様の婚約者だったんだよ? 悪役になっちゃうのにも、きっと理由があると思うの」
――たしかに。
嫌なやつに見えるけれど、そうなるまでの背景があるのかもしれない。マリエルの言葉に、僕はおもわず頷いた。
ふと、近くの席で静かに読書をしているフィリア様の姿が目に入る。
存在が物語を動かして、周囲を翻弄して、それでもなにか理由があって悪役になる。
もしかして彼女も〝悪女〟なんかじゃなくて……〝悪役令嬢〟なのかもしれない。
「ところでお兄様、フィリア様、そろそろべつの遊びをしませんか!?」
読書に飽きたのか、マリエルがフィリア様まで巻き込んでそんなことを言い始めた。
「私、絵を描くのにハマッてるんです! よかったらみんなでお互いの似顔絵を描きませんか!?」
最初からお絵描きをする気満々だったのか、どこからともなく道具一式を広げるマリエル。
「お絵描き? ……わ、私はいいわ。ふたりでやりなさい」
「そんな! せっかくお会いできたのに、フィリア様がいないと楽しくありません! 一度だけでいいので、お願いです!」
「……う。わ、わかったわ。一度だけよ」
マリエルに泣きそうな表情でせがまれて、あのフィリア様が断りきれなかった。我が妹ながらすごい。
「じゃあ、お兄様がフィリア様を。フィリア様が私を。私はお兄様を描くわ!」
突如として始まった似顔絵大会。
僕がフィリア様を描くなんて……これは下手に描いたら殺される。僕は慎重にペンと絵具を動かした。
そうして一時間が経った頃、ようやくみんなの絵が完成する。
ひとりずつ見せて行こうという流れになり、まずはマリエルが僕の絵を描いてくれた。うまいとも下手ともいえない、平凡な絵。
「特徴を捉えてて、前よりうまくなっているじゃないか」
「ふふっ! 似てるわね!」
僕とフィリア様に褒められて、マリエルは満足げに笑っている。
次は僕の番になり、僕は一生懸命描いた絵をふたりに見せた。
「……!」
「すごーい! 上手! さすがお兄様!」
「……あなた、絵も上手かったのね。さすが、器用なだけあるわ」
フィリア様は驚いた顔をして、まじまじと僕の描いた自身の似顔絵を凝視している。
……正直言うと、絵は苦手ではない。むしろ好きなほうだ。
「これだけ上手かったら、美術の授業で一位を狙えそうなのに。この前の自画像だって、もっとうまく描けたんじゃない?」
「そんな! 自画像は苦手なんです。……今回はモデルがよかったので」
大体、上手に描いてスターズより目だったら困るじゃないか。
「お兄様、このキラキラはなーに?」
「え……っと。これは、僕にはフィリア様が眩しく見えてるから……気づいたらつい」
彼女の絵の背景に、キラキラとした輝きを足してしまった。これではアルト王子と同じだと思いつつも、気が付けば勝手に手が動いていた。
僕にとってフィリア様は――とても眩しい、特別な人だから。
「やだ! ロマンチック! お兄様ったら、フィリア様が大好きなのね!」
「お、おいマリエル!?」
突然なにを言い出すんだ!
「わかるわ! 私も好きな人にだけ、周囲にキラキラが見えるもの!」
「……へーえ。そうなの? 下僕?」
揶揄うように、フィリア様が僕を見る。
「好きというか――言いましたよね。憧れてるんです」
「ふふふ。照れちゃって」
「僕のことはいいから、次はフィリア様の番ですよ!」
強制的に話題を終了させるも、彼女はなかなか絵を見せたがらない。
「……や、やっぱり私のはナシにしない? 見てもつまらないわ」
「えぇ! 私、フィリア様の絵を楽しみにしてたのに!」
「で、でも……!」
なんとか絵を隠そうと必死になったフィリア様が、焦って手元からキャンパス用紙を滑らせる。
落ちて来た紙に描かれたマリエルの絵は……お世辞にも……。
「これ……私?」
バランスの取れていない目、口、鼻。トレードマークの丸眼鏡はなぜか四角いし、三つ編みも片方だけ異様に太い……。
「ち、違うの! これはマリエルじゃなくって、マリエルっぽいものというか……!」
「……ぷっ。ははっ! あはははは!」
フォローする彼女の声をかき消すように、マリエルの笑い声が書庫室に響き渡る。
「フィリア様みたいな人にも、苦手なものがあるんですね! ふっ! はははっ!」
楽しそうに笑うマリエル。改めてフィリア様の絵を見ると、あまりに独創的で僕も笑いがこみ上げてきた。
「で、でも、ある意味これも芸術……? ふっ」
「笑いが我慢できてないわよ」
「だ、だって……ごめんなさいフィリア様。さすがにおもしろいです……!」
マリエルがいるから怒れないのをいいことに、僕も我慢できず声を出して笑ってしまった。フィリア様は終始恥ずかしそうに顔を赤くしていたが、マリエルが大事そうにその絵を抱きしめている姿を見て、最終的にはこの無礼を許してくれた……と思う。
そうやって楽しい時間を過ごしているうちに、日が暮れ始めた。
迎えの馬車の音が聞こえる。フィリア様はこれから王都に帰るのだろう。
「そろそろ行かなくちゃ。楽しかったわ。ふたりともありがとう。……それと」
フィリア様は僕が描いた絵を手に取る。
「これはもらっていくわね。なかなかいい出来栄えだったから」
「! はい。どうぞ」
「……見てなさい。絶対、次はうまく描くわ」
負けず嫌いな彼女は、これから絵の勉強も始めるようだ。
僕はマリエルと一緒にフィリア様を見送った。遠のいていく馬車に楽しさの余韻と、寂しさを感じる。
「楽しかったぁ。素敵な人だね、フィリア様!」
「……だね」
彼女、学園では〝悪女〟で有名なんだぞ。なんて、野暮なことは言わないでおこう。




