ミルトン男爵家
長期休暇がやってきた。
寮生活の僕はこの休暇を利用して、辺境地にある男爵家に戻って来ている。
「……平和だなぁ」
寮の部屋と変わらない広さの殺風景な自室から、窓の外を眺める。
ゆらゆらと浮かぶ白い雲、青い空、広がる緑……。ただ静かに流れていく景色と日常に、僕はぽつりと呟く。
フィリア様は今頃なにをしているのだろう。侯爵家で派手に遊んでいるのか、それとも彼女のことだから、この休暇も本を読んだり鍛錬を積んでいるのかもしれない。
いくら考えたところで、休暇中に彼女と会う機会はないからわからないが――。
「リアム! リアム!」
すると、突然扉を激しくノックされる。聞こえてくるのは母上の声だった。
「お客様がいらしてるわよ! しかも、侯爵家のご令嬢様って!」
「……えっ!?」
まさか、フィリア様? いいやでも、家の場所を教えた覚えはないし、王都に住まう彼女がこんな辺境地まで時間をかけてくるはずがない。だけど、ほかに僕の知り合いで侯爵令嬢なんて……。
とにかく急いで扉を開けると、そこには慌てた顔の母上が立っていた。
「あなた、誰か来るなら事前に言いなさい!」
「ご、ごめんなさい。それで、どんな見た目の方でしたか?」
「赤い髪の、ものすごい美人さんよ」
思い当たる人物はひとりしかいない。
猛ダッシュで事実から玄関へ向かうと、そこには――。
「ごきげんよう。下僕。調子はいかが?」
涼し気な水色のワンピースと、青いリボンのついた大きい帽子を手に持ったフィリア様が立っていた。
「フィ、フィリア様!? なぜここに!?」
「生徒名簿に住所が記載してあるから、それを見て遊びに来たの。退屈でたまらなくって」
「こんな場所まで!? 馬車で五時間はかかりますよ!?」
「ええ。移動時間は風景を見ていたらあっという間だったわ。緑が多くていい場所じゃない。それで、いつまで私をここに立たせたままにするつもり?」
どうやら本気で、ただ遊びに来ただけらしい。
僕は急いで中に入るよう促すと、ちょうど母上が挨拶をしにやって来た。
「初めまして。リアムの母、カーラと申します。このたびはこんな場所まで息子に会いにきていただき、ありがとうございます」
「フィリア・ヘイズと申します。いいえ。こちらこそ、急に訪ねて申し訳ございません。これ、つまらないものですが」
「! 王都の有名パティシエが作ったフィナンシェ……! まあ、本当にありがとうございます!」
手土産に感激する母上を見て、フィリア様は優しく微笑んだ。学園の時とは違う、余所行きモードの彼女に僕は苦笑する。
それからわけもわからぬまま、僕はフィリア様を自室へ招いた。
「なんにもないわね。あなたらしいわ。それに、綺麗に片付いてるじゃない」
物が少ない部屋を見て、彼女は小さく笑った。
僕の部屋にフィリア様がいる……。
それだけで、ここがまったく別の場所みたいに思える。というか、なぜこんな状況に? 未だに頭が追い付かない。学園以外で会うのなんて初めてだ。彼女の私服姿が可愛くて、僕も少しくらい上質な服を着ていたらよかったと後悔する。
向かい合って座りながらひたすら緊張していると、侍女がお茶を運んできた。侍女がお茶を淹れ終わると、すれ違いざまに今度は母上がまたやって来る。
「あの、フィリア様はどうしてうちの息子とご友人に?」
どうやら母上は、僕と彼女の関係性が気になって仕方ないようだ。
「彼の魔法が、とても気に入ったのですわ。ミルトン男爵家は補助魔法の名家とお聞きしました。それまで本で学ぶばかりでしたが、実際に彼の魔法を見てその緻密さに感動しましたの。……今では、いろいろ助けてもらっています」
ものは言いようだなと思いながら、僕は黙ってお茶を飲む。
「まあ。そうだったのですね。でも、リアムの魔法なんて大したことありませんのよ。補助魔法の中でも、とても地味な部類しか使えませんから。探知とか浮遊とか。浮遊も少しずつしか動かせませんの。旦那様でしたら、一度に家具をいくつも浮かせられるのですけれど。留守中でお見せできないのが残念ですわ」
……ああ、また始まった。
たしかに僕は、父上ほど魔力が高くない。さらに言えば――。
「うちには娘もおりますの。妹はリアムよりもずっと魔法が得意でして。身体強化や速度付与のほか、光魔法と組み合わせた幻影魔法まで使えますのよ。書庫の整理だって一瞬で終わるんです。補助魔法も、やりようによってはずいぶん華やかなものになるのですわ」
わざわざ彼女の前で、僕と妹の〝格の違い〟を強調しなくたっていいというのに。
母上の笑顔の裏にある「あなたも見習ってね」という無言の圧が痛い。
「……お言葉ですが、ミルトン男爵夫人」
静かな声が、凛として部屋に響く。
フィリア様はそっとカップを置き、微笑みながら言った。
「魔法は、華やかさで測るものではありませんわ。彼の魔法は――繊細で、正確で、まるで芸術です。私が見てきたどんな魔法より美しい」
その言葉に、母上の笑顔が一瞬だけ引きつる。
「……まあ、お上手ですこと」
「お世辞ではありません。私、彼の魔法を見て初めて補助魔法の真価というものを知りましたの。無駄を削ぎ落とした、純粋な技。――本当に尊敬しています」
フィリア様は僕のほうを見やり、きっぱりと言った。
「あなたももっと自信を持ちなさい。情けない顔をしていたら、魔法まで弱くなるわ」
「えっ! す、すみません……!」
叱られたけど、不思議と嬉しかった。
……この家でこんなふうに、正面から僕を認めてくれる人がいることが。
「……なんだか、わたくし邪魔をしてしまったみたいね。おふたりでどうぞごゆっくり」
母上は苦笑を浮かべると、そそくさと部屋を後にした。扉が閉まる音がして、ようやく空気が軽くなる。
「……フィリア様、ありがとうございます」
「あら、なんのお礼?」
彼女はなにも追及してこなかった。その気遣いが、僕にとってとても心地よい。
「……それで、あの子が例の妹さん?」
「えっ」
扉のほうに視線を向けると、僅かに開いた隙間からひょこりと顔を出す妹の姿が――。
「マリエル!」
「お、お兄様……! 邪魔してごめんなさいっ」
マリエルはびくりと肩を震わせて頭を下げる。
彼女は僕の六つ下の妹だ。まだ幼いのに父上並の魔力量で補助魔法を使える。優秀な彼女は、間違いなくミルトン家の星といえるだろう。
「いいのよ。こちらにいらっしゃい」
「え、いいんですか!?」
フィリア様がマリエルを部屋に招き入れる。ここ、僕の部屋なんだけど……まぁいいか。
マリエルはフィリア様に近づくと、頬をピンクに染めてじっと彼女を見つめた。
「すっごく綺麗……! 本に出て来るお姫様みたい……!」
煌びやかなフィリア様を見て、マリエルは感激のため息をつく。たしかに田舎では、貴族であってもここまで目を引く美しい令嬢はいない。
「……見る目があるわね。マリエルっていったかしら。私はフィリアよ」
「フィリア様! 名前もお美しい……!」
「ふふ。あなたもとても可愛いわ」
フィリア様が同性に優しくしているところ、初めて見た……! いや、異性にはもっと厳しいのだけれど。
「まだまだ時間あるわね。げ――じゃなくて、あなた、よかったら書庫室を案内してくれる? 補助魔法の本を読んでみたいの」
「え? いいですけど……」
妹の前では、下僕と呼ぶのを躊躇したようだ。
それにしても、フィリア様は何時までいるのだろう。まだ昼過ぎだし、夕方にここを発てば夜には王都に帰れるが。
「あなたも来る?」
「は、はい!」
立ち上がった彼女がマリエルにも声をかける。
こうして僕たちは三人で、屋敷の小さな書庫室へと向かった。




