サディアス・エーディという騎士4
「……でもフィリア様、これ以上やったら本当に危険では……」
これがすべて作戦だとわかったら、この学園ごと破壊しそうだ。
僕は一抹の不安を覚えつつ、裏庭へ向かった。フィリア様にハンカチを渡すところを、サディアス様がちらちらと窺っている。そんなに気になるなら自分で返せばいいのに……。
けれど最終日、フィリア様はいつになく真面目に剣を振っていた。これまでのように「稽古をつけて」と絡むこともなく、ただ黙々と励んでいる
サディアス様も平穏に練習できて嬉しい……というわけではなく、逆にそわそわしていた。
――ああ、これが〝押してダメなら引いてみろ〟ってやつか。僕でもわかるくらい見事な駆け引きに、サディアス様はまんまと翻弄されていた。
そして極めつけは……。
「サディアス……」
夕暮れの光の下、稽古を終えて立ち去ろうとするサディアス様を、フィリア様が呼び止めた。
今日始めて声をかけられ、その一言で彼の肩が大きくビクンと跳ねる。
「いよいよ明日ね。あなたとここで会うのも、今日が最後……」
「……」
「楽しかったわ。でも、勝負には全力で挑むつもり。功績ポイントがかかってる大事な舞台だもの」
「それは俺も同じだ」
……まるで恋人同士の別れの会話のようだ。僕はいたたまれず目を逸らす。
「最後に伝えておきたいの。――明日、あなたが勝ったら……その時は、私のこと、好きにしていいわ」
しおらしく俯いて放たれた強烈な言葉に、僕もおもわずドキッとした。それを正面から受けたサディアス様は完全に石化状態である。口だけぱくぱくさせて、音が出ていない。
「それじゃあ、明日はよろしくね」
「お、おい……!」
風に揺れる長い髪を翻し、フィリア様は颯爽と去っていった。
サディアス様は固まったまま、ようやく声を発せてもまったく動けていない。このまま残っていたら、また僕に恋愛相談を持ちかけてきそうだと思い、慌てて僕もその場を後にした。
――いよいよ明日が本番。剣術試験男女一位同士の、決戦の幕が上がろうとしていた。
***
一学期末の学園行事として特別に設けられた〝剣術決勝戦〟。
開催場所は大講堂前の中庭。今日は観客席が設営され、生徒たちがぎっしりと埋め尽くしている。最前列には、アルト王子とセレン様の姿もあった。
生徒たちは誰もが両者の入場を待ち望んでいたが――同じタイミングで二名が入場した瞬間の声援は、大きく偏っていた。
「サディアス様ー!」
「騎士団長の息子にふさわしいお姿を!」
「スターズ万歳!」
その声は天を震わせるほどで、サディアス様がなにも応ずとも、いるだけで黄色い悲鳴を呼び起こす。
一方、同じ舞台に上がったフィリア様には、誰ひとり声援を送らない。しかし彼女は気にした様子もなかった。いつもみたいにただ、自信のある強い笑顔を浮かべている。
……というか、今日のフィリア様、めずらしくポニーテールじゃないか。
いつもの気高い雰囲気と違って、活発で爽やかな感じ……正直可愛すぎる。思わず見惚れてしまった。
そんな僕と同じように、舞台の上でも視線を奪われている人物がひとり。――サディアス様だ。
表面上はいつも通りの無表情で睨んでいるように見えるが……僕にはわかる。あの目線、全然切れ味が足りていない。鋭さを装っているつもりでも、完全に意識が崩れているじゃないか。開始早々こんな感じで大丈夫か。
「――始め!」
審判の合図と同時に、ふたりの剣が火花を散らす。
今回のルールは単純。レプリカ剣を使い、先に相手の剣を弾き飛ばしたほうが勝ち。力、技術、精神力、すべてが試される一騎打ち……だと開始前に誰かが語っていた。
僕の大丈夫か? なんて心配を一瞬で吹き飛ばすほど、サディアス様は容赦なく本気の剣を振るっている。騎士としての誇りは、結局色仕掛けにも打ち勝つのか。
だがフィリア様も必死にくらいつき、スピードと回避でなんとか捌いていた……けれど、やはり一手、二手遅れる。
観客席からは「やっぱりサディアス様が優勢だ!」と声が上がり、試合は一方的に見えた。
……フィリア様、大丈夫なのか!?
このままでは負けてしまう。まさか彼女も、こんなに本気で向かってくるのは予想外だったのか。
「っ!」
ついにフィリア様が足を取られ尻もちをつく。その額には冷たい切っ先が突きつけられた。
まずい。このままじゃ負ける。
「ここまでよくやった。褒めてやろう」
サディアス様も勝利を確信し、余裕を感じさせるその言葉と同時に剣を構えた。そして振り下ろそうとしたその時。
「そんなに私を好きにしたいのね!」
「―――!?」
フィリア様の突然叫びは、中庭全体に響き渡った。その瞬間、サディアス様の腕が硬直し剣がぴたりと止まる。
「昨日の秘密の稽古で言ったじゃない! 今日あなたが勝ったら、私を好きにするって!」
「な……!? い、いや、それは――」
サディアス様の顔がみるみる赤くなる。そしてここでお決まりの周囲のざわめきが襲い掛かった。
「本当にそんなこと言ったの!? サディアス様があの悪女に!?」
「放課後、裏庭でふたりきりのところを見た生徒がいるって……」
「まさか……力で女性を屈させようと……!?」
非難と疑惑の視線が一斉にサディアス様に突き刺さる。彼は剣を構えたまま、必死に叫んだ。
「誤解だッ!」
そのほんの一瞬の隙を、フィリア様が逃すはずがなかった。
「――もらったわっ!」
鋭い一撃がサディアス様の剣を弾き飛ばし、レプリカ剣が宙を舞う。地面に転がるカラーンと渇いた音が響いた瞬間、審判の声が中庭に轟いた。
「しょ、勝者、フィリア・ヘイズ!」
観客席がどよめきに包まれる中、勝ち誇ったように立ち上がるフィリア様。
「……俺が、負けた……だと」
サディアス様は呆然としたまま片膝をついた。
まだ現実を受け入れられないのだろう。英雄視されてきた男が、大衆の前で膝を折る光景――それは誰も予想していなかった結末だ。
観客が望んでいたのは、傲慢な悪女を英雄騎士が叩き伏せる、爽快な勝利だったに違いない。だが結果は真逆……。
白けた空気が広がり、誰もが気まずそうに顔を見合わせる。やがて、中庭はざわめきを残したまま、観客たちがぞろぞろと立ち去っていった。
「サディアス……」
アルト王子が心配そうに声をかける。しかし言葉はそこで途切れ、慰めも励ましも見つからない。
その隣でセレン様は俯いていた。だが僕には見えた。小さな拳が震えているのを。
――絶対怒ってる。
セレン様にとって、サディアス様にはアルト王子こそ唯一無二の存在。それなのに、フィリア様に心を揺らすサディアス様など許せるはずがない。解釈違いなのだ。
「ふふふ。残念ね。私を好きにできなくって」
フィリア様が屈み込み、覗き込むように言う。
「貴様、卑怯だぞ……! あんな話を持ち出すとは……」
「集中力が切れたあなたの責任でしょう? ああでもさすがに焦ったわ。自分を好きだと思っている相手に、本気で斬りかかってくるんだもの」
その言葉に、サディアス様の瞳が見開かれる。
「! まさか……!」
「言ったじゃない。あなたを尊敬できるようになって……いつの間にか、どんな手を使ってでも負かしたくて仕方なくなったのよ!」
「……き、貴様ァァァ!」
サディアス様は砂を掴み、怒りを露わにする。しかしフィリア様は笑いが止まらない。
「剣術も大事だけど、女性にも早く慣れないとね? 英雄騎士さん」
「くそ……くそが……! 人の気持ちを弄ぶ悪女め!」
「なんとでも言えばいいわ。負け犬の遠吠えにしか聞こえないもの」
「ぐっ……!」
言葉を失った彼を見て、フィリア様は満足げに背を向ける。だが去り際にふと振り返り――。
「……でも、あなたの剣術に惚れているのだけは本当よ」
最後の一撃のような言葉を残し、今度こそ歩き出す。
「行くわよ下僕。剣を持ちなさい」
「えっ!? は、はい……」
急に声をかけられた僕はレプリカ剣を持たされ、彼女の後を追った。そのまま中庭を抜けるとフィリア様は空を仰ぎ、大きく伸びをする。
「はーっ! 勝ったわ! これで功績ポイントゲット! 今回はかなり上がったはずよ」
「よかったです。途中、もうダメかと思いましたよ……」
「これで一学期にやり残したことはないわね」
アルト王子、セレン様、そしてサディアス様。
全員の功績ポイントを阻止した彼女は、最高にいい笑顔を見せていた。
「でも、本当に僕、今回は役立たずでしたね」
「なに言ってるの。下僕がいたからやりすぎずに済んだのよ」
「……そうなんですか?」
「そうよ。あなたがいたおかげ」
自覚はないけど、少しでも彼女の力になれたらそれでいい。……サディアス様からすれば、たまったものじゃないだろうけど。
――そして後日。
あまりの屈辱に落ち込んだサディアス様は、騎士団の期待を背負う身でありながら「名前に傷をつけた」と大熱を出して寝込んだという。




