サディアス・エーディという騎士2
あれから当日中に許可が下り、一週間後、正式な学園行事として〝真の決勝戦〟が行われることとなった。
「フィリア様、大丈夫なんですか? どうしてあんな企画を……」
放課後、いつもの美術室。
僕は紅茶を運びながら、恐る恐る切り出した。
「次の狙いは順番的にサディアス様なのはわかりますが……なぜ今なんですか? 急がなくても、中期にだって機会はあったはずです」
「下僕、成績表を見たでしょう?」
カップを持ったフィリア様が、片眉を上げる。
「筆記でいつもスターズ最下位だったサディアスが、今回セレンを越えたのよ。しかも実技は評価S。……彼ひとりだけ、功績ポイントを伸ばしている」
たしかに――。セレン様がまさかここまで調子を落とすなんて、誰も予想していなかった。
「筆記テスト後からずっとセレンの顔色が悪かったから、こうなる予想はできていたの。だったら悠長に中期まで待たず、早めにサディアスを落とすべきじゃない? 今日までに企画書を仕上げたのも、そのためよ。本来はこの作戦、中期にやるつもりだったけど……前倒しにしたって困らないわ。……期間がないぶん、詰め込んでいろいろ仕掛けないといけないけど」
そう語る彼女の横顔は、やけに楽しそうに見える。
「いろいろ仕掛けないとって、僕はいったいなにを……」
「下僕は一旦、なにもしなくていいわ」
「えっ?」
「ただ、興味があるならそばで見てて。楽しませてあげる。まずは明日の放課後、裏庭にサディアスを呼び出すわ」
その笑みを見て、僕は胸の奥がくすぐったくなる。
なにもしなくていい安心と、役に立てない残念さ――両方が同時に込み上げてきた。
***
放課後、いつもは旧校舎に直行する僕だが、今日はフィリア様のいる裏庭に向かった。
サディアス様を呼び出してなにをするのかまで聞かされていないけど、見学の許可が下りたので、素直に観察させてもらう。ここまできたら、彼女のやること全部が気になって仕方がない。もはや野次馬根性である。
なんて言いつつ、実際はフィリア様が心配だからとか、なにかあった際に助けられるかもとか、サディアス様に襲われないよう見張っておきたいとか……完全に忠誠心が生まれてしまっているのも、自分で情けなくなるところだ。
学園の裏庭では、よくサディアス様が剣の稽古をしていると聞く。その噂が広まってから、みんな彼を邪魔しないようにと気を遣い、スターズ以外の人たちはあまり足を運ばない。
暗黙の了解、といえばいいのだろうか。
最初こそ、サディアス様のファンたちが見学に来ていたが、サディアス様は女子に愛想を振りまくこともなければ、黄色い声に煩わしそうに眉をひそめていたとも聞いた。
稽古の邪魔をすると嫌われる。そう思ったのか、いつしか見学に行く者もいなくなったという。
いまや裏庭はサディアス様のテリトリーと言っていいだろう。
そんな場所に敢えて呼び出すなんて、フィリア様はなにを考えているのか――まさか、縄張り争いでもする気か?
僕は裏庭に堂々と足を踏み入れるのを躊躇して、茂みからこっそり様子を窺うことにした。完全に不審者だ。我ながらなにをしているんだと思う。
よく見ると、既に裏庭の中央には堂々と仁王立ちをして待機するフィリア様の姿があった。間もなくして、サディアス様が姿を現す。
「来てくれたのね。サディアス」
「こんな趣味の悪い手紙、無視してやりたいところだったが……。指定する場所が俺の稽古場となれば、避けては通れん」
サディアス様はフィリア様から事前に受け取ったであろう呼び出しの手紙を、そのまま地面に投げ捨てる。
「あら。なにを言っているの。ここはみんなの裏庭。スターズの権限で勝手に私物化されては困るわ」
「誰も寄り付かないのだからいいだろう」
「あなたのせいで寄り付かなくなったのよ、サディアス。その横暴な態度を改めることね」
「どの口が言っている。それに一年生の頃から注意しているが、気安く俺の名前を呼ぶな。虫唾が走る」
裏庭の中央で向かい合うふたりには、ただならぬ空気が漂っている。
やはり、スターズの中でもサディアス様がいちばんフィリア様を嫌っているのだろう。他二人もよく思っていないだろうが、ここまで素直に態度には出さない。
「そんなふうに言われると傷つくわ」
「嘘をつけ。……それで、なんの用だ。まさか今さら決勝戦を取り消してほしいなんて、そんな甘ったるいことを言いに来たわけじゃないだろうな」
「もちろん違うわ。ただ――お願いがあるの」
「……ほう? お前が俺に頼み事?」
珍しいものでも見るかのように、サディアス様が腕を組んで身構える。
「決勝戦までの間、私に剣の稽古をつけてくれない?」
「……なに?」
「昨日は大口を叩いたけれど、正直に言うと、今のままじゃ私はあなたに敵わないってわかってる。だけど――それでも足掻きたいの。勝てる可能性がゼロだとも思ってないから」
「……!」
あのフィリア様が、素直に劣勢を認める。意外すぎる一言に、サディアス様がわずかに目を見開いた。
……これはどう考えても、なにか裏がある。
「公式の行事として認められた決勝戦は全校生徒の前で行われる。見せ場のない負け試合なんてつまらないでしょう? もちろん、あなたに稽古を強要する気はないわ。気が向いたらで構わない。そのかわり、私もこの裏庭を稽古場として借りるから。それは文句ないわよね? ここは公共の場なんだから」
「……あれほど傲慢で、俺に頼るくらいなら死を選びそうなお前が……わざわざ俺に頭を下げるとはな。どういう風の吹き回しだ?」
「ふふ……そうね。心境の変化、かしら」
フィリア様が唇に指を当て、意味ありげに笑う。
「知りたいなら――これを受け取って」
次の瞬間、彼女は懐から封筒を取り出し、ひらりとサディアス様に投げた。
彼は素早くキャッチし、怪訝な顔で封を切る。
「……なんだこれは。改めて果たし状か? はっ! 慎ましくしたフリをして、結局挑発か――」
しかし、紙面に目を落とした途端、サディアス様の表情が凍りついた。
「……なっ……お、お前……これは……!」
動揺で声と肩が震えている。フィリア様、いったいなにを渡したんだ? 僕は思わず身を乗り出した。
「見ての通りよ」
彼女はにっこりと、悪戯に笑みを浮かべる。
「ラブレターですわ」
――ラブレター!?
フィリア様が、サディアス様に!?
「だ、だから、なぜお前が俺にこんなものを……!」
「心境の変化があったと言ったでしょう。私、最初はあなた含めてスターズが嫌いだったの。でも今は――私より剣術がうまいあなたを素直に尊敬できるようになって……いつの間にか……」
「っ!?」
フィリア様は途端にサディアス様と距離を詰めると、上目遣いに見つめる。
「それ以上は、言わなくてもわかるわよね?」
「……ち、近すぎる! 離れろ!」
「嫌だわ。顔が真っ赤よ。あなたにはすごく嫌われていると思っていたけど、女として意識してもらえそうでよかった」
「ふざけるな! 誰がお前なんか……!」
いつも仏頂面なサディアス様が、顔を真っ赤にさせて狼狽えている。こんな姿は初めて見た。どう考えてもフィリア様を意識しているのがバレバレだ。
追い打ちをかけるように、フィリア様はサディアス様の腕を掴むと、背伸びをして彼の耳元に形のいい唇を寄せる。
「私がしつこいのは知っているでしょう? 明日から覚悟していて?」
「……っっっ! くだらん!」
サディアス様はさっきよりも顔を真っ赤にして、乱暴にフィリア様の手を振りほどくと、逃げるようにその場を去って行った。
な、なんだかすごい光景を見てしまった。これ、セレン様が見ていたらブチギレ案件なのでは? だってあの人はサディアス×アルトの過激派だから……。
「下僕、出てきなさい」
急に名前を呼ばれて、僕はびくっと肩を跳ねさせる。どうやら、ここに隠れていたのは彼女にお見通しだったらしい。
「お呼びでしょうか」
僕は立ち上がり、制服に付いた葉っぱを払いのけながら彼女のもとへ従順に歩いて行く。
「ねぇ見てた? サディアス、耳まで真っ赤だったわ」
「はい。びっくりしました。サディアス様もあんなに動揺するんですね。……それで、今回はどういう作戦で?」
「そのまんま、色仕掛け作戦よ。い・ろ・じ・か・け」
やたらと色っぽい声でフィリア様がそう言った。
「みんなが知らないサディアスの裏の顔――それはね、あの人は女性に免疫のない、ピュアすぎる男ってこと!」
たしかにさっき、少しフィリア様に近づかれただけで、サディアス様は真っ赤になっていた。
「ただ女性に興味がないように見えるでしょう? でも実際は、恥ずかしくて異性とまともに話せないのよ。ほら、騎士の家系で育って、周りは男ばっかりだったから」
「なるほど……。でも、セレン様とフィリア様には普通に接していますよね?」
「それは特別よ。セレンは〝仲間〟として割り切っているから大丈夫。逆に私は異性とかいう前に〝敵〟として認識されているから。でもね、そんな私を急に異性として意識したら、あのピュア男子は簡単に崩せる」
「……つまり女性の武器を使って、決勝戦に勝利する、と?」
フィリア様は自信満々に大きく頷いた。
そうなると、今回僕の出番がないのは頷ける。
「これから決勝戦までの期間で、一気にサディアスと距離を詰めるわ。決勝戦が迫っている今、彼の邪魔をしないよう、この裏庭にはスターズすら近づかないはず。ふたりの仲を深めるには最適な場所だもの」
「剣の稽古をつけてほしいと頼んだのも?」
「合法的に接近するためよ。サディアスはああ見えて、セレンみたいな天使系女子よりぐいぐい迫って来る積極的な女性に弱いの」
だから、なんでそんな情報を知っているのか。
そう問いかけると「私はスターズをよく観察し、誰よりも理解しているから」と返ってきた。すべては功績ポイントを落とすため――なのだろう。
「決勝戦までは、私は美術室には寄らないわ。下僕は久しぶりにひとりの時間を楽しんでいてもいいわよ」
「……そう、ですか」
「……なによ。どうしたの?」
これまでも、フィリア様が美術室を訪れない日なんてあった。
さらにいえば、元々あそこは僕だけの憩いの場。ひとりで羽を伸ばせるなら、それもいいかもしれない。
ただ……今となっては、彼女のいない美術室に、僕は魅力を感じなくなっている。
そしてそれよりも、気になることがあった。
「……美術室に来ない間、フィリア様はサディアス様と過ごすんですよね?」
「そうね」
「しかも、かなり強引に迫る、と?」
「だって、色仕掛けってそういうものよ」
頭の中で想像してみる。
フィリア様が剣の稽古という名目で、サディアス様に接近し距離を詰め、休憩時間には汗を拭ってあげたり、わざと足を踏み外してあの逞し過ぎる胸筋に飛び込んでしまったり……。
作戦とわかっていても、胸がざわつく。
なんだろう。この気持ちは。というか、こんなに美人なフィリア様にそんなのをされて落ちない男がいるのだろうか。
彼女はたしかに悪女と呼ばれて、周囲に疎まれている。
でも、彼女を知れば知るほど――自分だけに見せる悪女の一面に惹かれてしまうのだ。
「……あ、もしかして」
口ごもる僕を見て、なにかを悟ったように、フィリア様がにやにやとした顔で肩を小突いてくる。
「下僕ったら、やきもち妬いてるのかしら~?」
「……!」
冗談っぽい物言いだったが、その言葉にはっとする。
……そうか。この胸のざわつきの正体はそれか……。
「……たぶん僕、作戦だってわかってても……フィリア様がサディアス様に近づくの、嫌なんだと思います」
ありのままの気持ちを声に乗せる。
すると、フィリア様は目を見開き、その後、頬をかあっと赤らめた。
「なに言ってるのよ! 馬鹿ね。作戦って言ったでしょ。本当に好意があるわけじゃないわ」
「はい。わかってますよ」
「……そんなに言うなら、明日から下僕もここに来たらいいじゃない。見学は許可するって言ったでしょ」
「え、いいんですか? 邪魔になるんじゃ……」
「私と下僕が交流あるっていうのは、サディアスも知ってるじゃない。いくらでも誤魔化せるから、堂々と見てなさい。あなたには、私の作戦を見届ける権利があるもの」
ふいっと顔を背けるフィリア様の頬は、やっぱりまだ赤い。
さっきまで挑発的に男を翻弄していた悪女が、いまは耳まで赤くしてそっぽを向いている。――そんな彼女を、可愛いと思ってしまった。
「はい。では、お言葉に甘えて」
こうして僕は、明日からフィリア様とサディアス様の稽古を見学することにした。




