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セレン・バラードという聖女3

「下僕、今、なんて言ったの?」


 翌日。

 早めに知らせたほうがいいと思い、僕は校舎の隅でフィリア様に話しかけ、秘密ノートを奪うのはやめようと告げた。


「作戦は中止にしませんか? 今回のは、セレン様の尊厳に関わると思います」

「アルト様だってだいぶ関わっていたわ。相手が美女だから優しくしたくなったのね」

「違います! アルト王子は功績ポイントは逃したけど、結果的にイメージ自体は回復というか、むしろプラスに働いた節もあるじゃないですか。でも、セレン様のはどうあがいても、誤魔化しがきかないと思うんです。彼女自身にトラウマを植え付けるかもしれない。それに……セレン様は、アルト王子とサディアス様に嫌われることを、ひどく恐れていました。もし秘密をバラして、持ち主がセレン様だとわかって、関係が破綻したら……セレン様はどうなるか……」


 僕みたいに、最初から友人がいない、居場所のないぼっちとは違う。

 セレン様はスターズであることに、きっと自分の存在価値を見出している。その居場所を奪う権利は僕にはない。


「下僕ならしっかり動いてくれていると信じてたのに。あなたも所詮そのへんの男たちと同じなのね。セレンに情が湧いたんでしょう」

「べつにセレン様に情が湧いたから、フィリア様を裏切るとか、そういうつもりじゃないんです。ただ、この作戦はどうにか変更できませんか? するにしても、なにかべつの方法で……」

「こんな直前に作戦を変えるなんて無理よ。加えて彼女が儀式をこのまま成功させたら、功績ポイントで追いつけなくなる。しっかりと出鼻をくじいておく必要があるの。……でも下僕がやらないなら、私がやるわ。それでいいでしょ?」

「……フィリア様は、自分のノートを見られてもいいんですか?」

「なんの話?」


 僕は知っている。彼女が旧美術室で、ノートになにかを書き綴っていることを。

 最初は勉強しているのかと思ったが、そうでもなさそうだ。なぜなら、僕が来るとすぐにそのノートを閉じているから。


「フィリア様も秘密ノートを持ってるんじゃないですか? たまに、こそこそなにか書いてますよね」

「あれはスターズに嫌がらせするための作戦ノートよ。たしかに、誰かに見られたら困るわね」

「だったら、セレン様のノートを奪うのもやっぱりやめましょう」


 面倒くさそうに、フィリア様が目線を斜め下に向けてそう言った。


「今回の件で、あなたはなにもしなくていいわ」


 期待が消えた冷めた眼差しに胸がずきりと痛む。それでも僕は――協力する気持ちにはなれなかった。心のどこかで、フィリア様を止めたいなんて思う愚かな僕が存在していたのも事実だった。


***



 放課後。

 日直だった僕は、教室に残って日誌を書いていた。いつもはこんなの適当にこなすのに、今日は頭が日誌とはべつのことで埋め尽くされて進まない。


 ……フィリア様、自分がやるって言ってたけど、どうするつもりなんだろう。僕がもたもたしているうちに、べつの策を考えていたのかな。

 今日は旧校舎の美術室にいるのだろうか。

 いたとしてもなんとなく、顔を合わせるのが気まずい。


「……リアムさん?」


 真っ白な日誌とにらめっこしていると、名前を呼ばれて顔を上げる。


「まだ教室にいたのですね。ちょうど探していたのです」


 そこにはセレン様の姿があり、僕以外誰も残っていないのを確認して、教室の中へと入って来た。

 彼女のために立ち上り、前の席の椅子を自分側へと向ける。彼女がそこに腰かけると、必然的に向かい合って座る形になった。


「僕になにか用事が? あ、それとも、今日もまたおふたりのお話を?」

「いえ。今日は違うんです。……あの、リアムさん。実はお願いしたいことがあって」

「? 僕にできることなら……」


 彼女はいつもの清楚な笑みを崩さずに、それでも僅かに視線を伏せたあと、また真っ直ぐに僕を見据える。


「……祈りの儀式の前に、必ず読むようにしている大切なノートがあるのです。これを開いて気持ちを高めることで、わたくしはいつもより集中して祈ることができます。言うなれば……わたくしにとってお守りのようなもの」

「ノート……ですか」


 それがなんのノートなのか、聞かずともわかってしまう。

 セレン様、祈りの前になにをお守りにしているんだ。


「はい。わたくしはいつもそのノートを見て、それを鍵付きのロッカーに戻してから祈りに向かっています。けれど今回はいつもと違って、儀式の時間が昼休みの後でなく、午後の授業終了後なのです。なんでも、礼拝堂の整備遅れが原因のようで……」


 セレン様が祈りを捧げるのは、学園敷地内に建てられた小さな礼拝堂である。

王都には王国信仰の中心となる大教会が存在し、国家規模の祭事や祈りは、すべてそちらで執り行われる。

一方、学園内の礼拝堂はあくまで教育施設に付随する小型の教会で、聖女候補が現れた場合にいつでも実技を行える場として整えられているのだ。

 ほかにも、心を浄化したい時、なにかを懺悔したい時など、礼拝堂の使い方はさまざまである。

規模は控えめながらも、聖樹から移された枝を収めた祭壇や、祈りのために初代聖女が描いたという魔法陣が床に刻まれており、その神聖さは大教会にも劣らない。

 そして在学中の若き聖女であるセレン様は、祈りの儀式を毎学期、この場所を使い全校生徒の前で行っていた。


「授業後すぐとなると、儀式の直前の授業がロッカーのある場所とは別棟でして……ノートを戻しに行く余裕がありません。それで……よければ、リアムさんに儀式の最中だけでも預かってもらえないかと」

「え!? ぼ、僕がですか!?」

「はい。儀式の最中、なにも持ち込んではいけないという制約はございません。中には願いを書いたメモや、思い出のアルバムなんかを抱えて参加している方もいます。……わたくし、そのお守りノートをどこかに置いていくのだけは、どうしても嫌なんです。もし誰かに中を見られたらと思うと……絶対に、祈りに集中できません……!」


 想像だけでもよほど無理なのだろう。セレン様の表情が青ざめていく。

 ついでに今の言葉を聞いて、彼女のいうお守りノートと、フィリア様がいう秘密ノートは同じものだと確信した。


「礼拝堂の控室に置いておけばいいのでは……」

「いけません! あそこには教師陣や、見学に来られる教会関係者が出入りし放題です。あのノートを預けられるのは、同志であるリアムさんしかいないのです。わたくし、あなただけには、そのノートの中身を見られても構いません。もしそれを見ても、あなたは決して笑わない。むしろ、喜んでくださると信じているから……」


 セレン様は僕を本気で腐男子と思い込んでいるが、実際は違う。アルト様とサディアス様の絡みを見たって、僕は喜びもしなければ興奮もしない。


「だからお願いです。明日、わたくしのノートを預かってくださいませんか」

「……そこまで僕を信用していいんですか? もし、誰かに見せたりしたら……」


 言いかけたところで、セレン様は首を横に振った。


「あなたはそんな人ではないと、信じています」


 少しの揺らぎもない瞳に、彼女の僕に対する信頼がどれほど重いものかをひしひしと感じた。信頼を向けられるほど、罪悪感も増していく……。

 

「……わかりました。その役目、引き受けます」


 せめて、最後はセレン様の頼みを聞いてあげよう。

 それがフィリア様に協力し、彼女を騙したことへの罪滅ぼしになるかはわからないが……。


「ありがとうございます! では明日、午後の授業終了後、同じ棟にある図書室の奥に来てください。そこでノートをお渡しします」

「わかりました」

「本当に助かります! リアムさん、感謝いたします」


 安心しきったその笑みを見て、僕の選択は正しかったのだと自分に言い聞かせる。でも今度は、フィリア様に対しての罪悪感が湧いてきた。


「……あ、そういえば……リアムさんは、フィリア様と仲がよろしいのですか?」

「えっ!?」

「たまに、おふたりでコソコソと話していますでしょう? ……アルト様のスピーチ後も、リアムさんが会場に隠れてフィリア様を待っていらっしゃいましたし――」


 見られていたなんて知らなかった。できるだけ周りに人がいないのを確認して話していたのに。……でもこの雰囲気だと、美術室の密会は知らなそうだ。


「いや、僕と彼女は、その……」


 なんと言えばいいんだろう。

 僕はどう思われてもいいが、僕なんかと友人だと思われたら、フィリア様に迷惑がかかる。

 かといって「下僕です」なんて口が裂けても言えない。


「もしかして、なにか脅されたりしていたりするのですか?」

「えっ!? そんなことは!」

「では、どこで親交を深めたのでしょう? わたくしからすると、おふたりが友人というのはとても意外で……」

「べつに友人なんて立派な関係ではないですよ。たしかに、フィリア様のような方が、僕のみたいなやつと話していたらおかしいですよね」


 誤魔化すように言うと、セレン様が「そんなことありません!」とすかさず言った。


「リアムさん。あなたはとても素敵な人です。だから、どうかそのままでいてくださいね。……フィリア様も、素敵な人だと私は思うのですが……でもやはり、彼女は可哀想なお方です」

「……可哀想?」


 小さくセレン様は頷いた。


「名門ヘイズ家の出生でありながら、フィリア様は異能を開花させられなかった。……本来なら、わたくしよりスターズという肩書に相応しい血筋を最初から持っていたはずなのに。彼女はきっと、わたくしを……いえ、スターズという存在を憎んでいるのだと思います。……フィリア様が異能がなくとも堂々と胸を張り、誰かを妬んだりせず、ありのままの強さと笑顔で生きていたら――彼女はきっと、誰もに慕われる人になれたはず。……わたくしは、そう思います」


 何度もアルト王子から差し伸べられた手を、劣等感から受け入れられなかった。

 それがフィリア様の運命の分かれ道だったと、セレン様は続けた。


「あの時、アルト様の手を取る勇気さえあれば、彼女の学園生活は変わっていたでしょう。わたくしたちも本気で、フィリア様を仲間に迎え入れたかった。異能がなくとも、ヘイズ家という血筋はご立派なものですから……。でも、フィリア様には勇気がなかったのです。そのせいで、学園での彼女の評判はいくら成績を上げたとてご存知の通り……。わたくしは、彼女を気の毒に感じております。いつか、救ってあげられたらいいのですが……」


 慈悲深い言葉だ。誰が聞いても「聖女らしい」と称えるだろう。

 でも――僕は頷けなかった。

 フィリア様がスターズの手を取らなかったのは、ただの〝勇気不足〟じゃない。彼女なりの理由があったはずだ。

 それを弱さと断定して、可哀想と言うのは……きっと、セレン様が無意識にフィリア様を下に見ているからではないか。


「……話が逸れてしまいましたね。それで、フィリア様とはなにがきっかけで?」


 もう終わったかと思ったら、再度尋ねられ、僕は咄嗟に答える。


「ああ、その、フィリア様が僕の魔法に興味を持ってくれて、そこから少し話すようになったんです。彼女は魔力が弱いですが、ほら、努力家なので! とはいっても、僕の魔法なんて大したこと――」

「へぇ。リアムさんの魔法は存じ上げませんが、たしかに、フィリア様は魔法について知識はつけていらっしゃいますものね。それでも、授業態度はいかがなものかと……」


 この時僕は、セレン様の瞳の奥に違和感を覚えた。そしてすぐにその正体を悟る。


 ――セレン様は、僕にまるで興味がないんだ。


 話しかけてくれるのも、ノートを預けてくれたのも、同志として都合がいいから。

 僕自身を見てくれていたわけじゃない。そして、今後も見ようとしていない。なぜなら、興味がないから。


 ……フィリア様は、どうだっただろう。

 彼女は僕の魔法を見て、少なくともその力を必要とし、認めてくれた。……褒めてくれた。

 下僕扱いで散々振り回すし、脅されたりもするけれど……少なくとも僕という人間と正面から向き合ってくれている。

 セレン様は優しい。でも、その優しさは無意識に上から差し伸べる手だ。

 フィリア様は厳しくて無茶苦茶だが、その厳しさは僕を同じ高さに立たせるためのものに思える。


「おや、こんなところにいたのかセレン」


 また扉のほうから声がした。そこには、アルト王子とサディアス様が立っていた。


 ま、まさかのスターズ大集合……!


 あまりに煌びやかな空間。こんなところに僕がいては、ただ空間を汚すだけだ。


「アルト様、サディアス様!」


 ふたりが並んでいる姿を見るだけで、セレン様の声がわかりやすく弾んだ。

 さらには、僕に目くばせをしてくる。きっと、これは同志だと思っている僕に、ときめきを摂取するチャンスだと伝えているのだろう。


「君は……ミルトンくんじゃないか」


 アルト王子が僕を見て目を見開いた。まさか名前を覚えてくれていたなんて。


「セレンと仲が良かったのか?」

「あまりに日誌が進まないので、なにを書けばいいか相談に乗ってもらっていたんです。あはは」


 セレン様はは僕のその誤魔化しに乗っかって、冷静に続けた。


「それとフィリア様のことで、少しお話をしていたのです」

「……参ったな。彼女の名前は今いちばん聞きたくないのだが」


 アルト王子が苦い顔をして、小さくため息をつく。その名を聞いただけで、黙っているサディアス様さえ眉間に皺を寄せた。


「まさか君も彼女に迷惑をかけられているのか? 以前、前髪に難癖をつけられていたな」

「いえいえ! まさか!」

「そうか。だが、なにかされたらすぐに私たちに言うんだぞ。……本当に問題児だな。だが彼女もまた、誰かに当たらなければ発散できないのだろう。哀れなことだ」

「甘いなアルト……俺はそうは思わん」


 腕を組んだまま、低い声でサディアス様が言う。


「あの女の性格を見ればわかる。妬みと強がりばかりで、素直さが欠片もない。……そんな心では、異能に恵まれなくて当然だ。俺からすれば、心を綺麗にしてくれるやつに出会えなかったことが哀れだな」

「まぁ、それも一理ある。彼女を見ると怒りと同じくらい、たまに悲しくなるんだ。なぜヘイズ家のご令嬢が、こんなふうになってしまったのかってね」


 アルト王子の言葉に、セレン様もサディアス様も大きく頷いた。


「あ……なんだか邪魔をしてすまないね。ミルトンくん。セレン、私たちはこのまま帰るが、君はどうする?」

「わたくしも門までご一緒させてください。……ではリアムさん、また明日」


 去りゆくスターズの背中に向けて頭を下げた。

 教室の床を見つめる僕の頭の中に、ある日のフィリア様の言葉が浮かび上がって来る。


『……あの三人が、私をかわいそうな目で見るから』


 ――当時は、そんなふうに見えないと思っていた。

 でも、フィリア様の見解は当たっていた。僕はなんでか、胸がずしんと重くなる。これは悲しいとかじゃなくて……スターズに対する失望だ。

 フィリア様が本当にただ妬んでいるだけでは、あんな成績は出せない。彼女が凄まじく努力している結果だ。

 でも所詮、努力は才能に勝てないと彼らは言っているようなものだった。その自信があるから、妬まれているから突っかかられていると思い込んでいる。


「……なんか、知りたくなかったな」


 ――僕は明日、セレン様からノートを預かる。

 それをフィリア様に渡すなんて真似をしたらきっと、一度決めたことを簡単に覆す僕を見て、彼女は失望するだろう。


 僕は、彼女がどれだけ必死に知恵を絞り、努力を重ねてきたかを見てきた。きっと、ひとりでなんとかすると決めた彼女は、僕の予想もつかない方法できっとノートを奪いに来る。そうなった時、僕は……。


 結局その日はギリギリまで日誌が書けず、美術室には行けなかった。


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