メッセージ
ふっと意識が浮上する。
頬の暖かさと、まぶたに滲む光。
頭の奥で、鈍い痛みが脈打った。
重たいまぶたをゆっくり開けると、ぼやけた視界の先に、見慣れないシーリングライトが白く点っている。
――全身が妙に重い。
(ここ、何処だっけ)
片肘をついて上半身だけで起き上がると、フローリングの床にヘッドセットが落ちて転がる。窓から明るい光が差し込んでいた。
(ああ。わたし、昨日ログアウトしたまま、寝落ちしてたんだ)
朧げだった意識がはっきりとし、真白のいない現実が痛みとなって胸に迫る。
その痛みに耐えかねて、璃海は床にうずくまり――小さく嗚咽した。
ひとしきりそうしていると、部屋の何処かでスマホが震える音がした。顔を上げると、ベッドサイドの目覚まし時計が、AM9:18 を示している。
(え……もうそんな時間?)
スマホはまだ着信を知らせている。
璃海はのろのろと立ち上がった。
スマホの着信者名は、[堀田奏衣]だ。
「もしもし、かなちゃん――おは、」
『りっかさん?! やっと出た! 良かったぁ』
奏衣が電話口で悲痛な声を上げた。
「ごめんね……」
掠れた声が出た。奏衣が一瞬沈黙する。
『りっかさん、大丈夫?』
「大丈夫ですよ。ちょっと具合悪くて、寝ちゃってたみたい」
『えぇっ?! 具合が悪いって、どうしたんですか?』
「ううん、大したことないの。疲れかな」
『とにかく連絡がついて安心しました。あのゲーム、なんとなく気味が悪かったから心配で』
奏衣の声には、安堵と不安が入り混じっていた。
「ほんと、ごめんなさい」
『それで……ゲームは、どうでした?』
「ゲーム、そうね……」
躊躇いがちな奏衣の問いに、璃海は昨日の出来事をなんと伝えればいいか悩んだ。
ゲームの中で自分の身に起きた異変。あれはVR酔い、というものなのか? 真白のことさえ忘れてしまうほどに?
そしてあの不思議な空間。ゴーストと呼べといった、得体の知れないモヤ。
けれど璃海は、不思議と彼のことを信用していた。
真白の手がかりを見つけるために、不慣れなゲームを始めたにすぎないのに、ゴーストや、NPCのロゼッタたちのことが気になって仕方がない。
「……なんていうか、思っていたよりいろいろな場所があって、あそこで真白を知っている人を探すのは時間がかかりそうだわ」
『そうなんですね。ムリしないでくださいね』
「ありがとう」
『あの、ところで……りっかさん、会わせたい人がいるんですけど。今から、時間ないですか?』
「会わせたい人?」
『はい。真白のことで、話したいことがあるそうなんです』
「かなちゃん、どんな話か聞いた?」
『いえ。会って話したいと言うので、りっかさんも一緒に聞いてもらえたら』
「もちろん、わたしも聞きたいわ。近くにカフェがあったと思うけど、そこで待ち合わせはどうです?」
『カフェ〈ふくろう〉ですね。早めに行って、一緒にランチしませんか?』
「じゃあ、ブランチってことで、11時でいい?」
『はい、11時に』
通話を切ると、部屋の静けさがいっそう身に染みた。
璃海は、乱れた髪を無意識に撫でた。鏡の中には、目の下に深い影を落とした顔が映っている。
シャワーを浴びて、昨日買ったグレーのシャツとデニムに着替えると、続いていた体の不調が少しマシになっているのを感じた。
そうだ――
フレンドメッセージ。
璃海は躊躇いながらヘッドセットを装着した。
目の前に、ログハウスの室内のような空間が広がる。
視界の右下に、[ゴーストからメッセージが届いています]という通知があった。
「ゴースト……」
通知をタッチすると、彼からのメッセージが現れる。
【ワールドID: TnR-###-Test-001】
【このIDを使えば、ポータルから直接来られる。わからなければ、フレンドリストの俺の名前のところで〔ワールドに入る〕を押せばいい】
ゴーストらしい、淡々とした文章。
それを胸の裡で幾度か繰り返す。
妹のことが心配で、不安なのに―― いつの間にか暖かなぬくもりを感じている。
それがひどくいけないことのように思えて、璃海は反射的にヘッドセットを外していた。
部屋の静けさが一気に戻ってくる。
時計を見ると、11時まであと10分。
「――大変、遅れちゃう」
璃海はヘッドセットに手を伸ばしそうになる衝動を抑え込み、約束のカフェへと足早に向かった。
カフェ〈ふくろう〉の扉を開けると、コーヒー豆をローストする香りがふわりと広がる。
昼前の店内はまだ空いていて、窓際には柔らかな陽が差し込んでいた。
「りっかさん、こっち!」
手を振る奏衣の姿を見つけて、璃海も小さく手を上げた。
「ごめんなさいね、待たせちゃって」
「いえ、今来たところです」
二人は窓辺の席に向かい合って座り、店員に勧められるまま、ランチプレートを頼んだ。
「それで、あのゲームはどんな感じでした?」
注文を終えると、待ち切れない様子で奏衣が小声で尋ねる。璃海は一瞬、言葉を探すように唇を結んだ。
「VRゲームって、初めてやったからわからないんだけど。 現実とゲームの境目が曖昧で、途中から何を見ていたのか、自分でもよくわからなくなって……」
「どういうことですか?」
「そのゲームで、わたしはkrikaってアバターになってるんだけど、やってるうちに璃海じゃなくなってたわ。krikaになって、真白のことも、これがゲームだってことも忘れてた」
「いくらVRゲームだからって……やっぱり、普通のゲームとは違うのかも」
奏衣は眉を顰め、水の入ったコップを強く握りしめる。
璃海は話題を変えるように、気になっていたことを尋ねた。
「それで、“会わせたい人”って……どんな人なの?」
「あ。大学の、薬学部の先輩です。わたしたちと親しいわけじゃないんですけど、わたしが真白を探しているのをどこからか聞いたみたいで」
少し鼻にシワを寄せてそう話す奏衣に、璃海は(あれ?)とひっかかりを覚えた。
「かなちゃん……もしかして、その人のこと苦手、とか?」
奏衣の指先がコップの縁を意味もなく擦っている。
「別に、そういうわけじゃないんですけど。彼を信用するかどうかは、りっかさんが直接話して決めてください」
「……わかったわ」
奏衣は小さくうなずく。
「12時半ごろに着くって連絡がありました。まだ時間ありますから、ゆっくり食事をしましょう」
ちょうどランチプレートが運ばれ、二人はめいめいの皿に手を伸ばした。 食器に触れるカトラリーの音だけが響く。
奏衣は時おり笑みを見せるものの、その瞳の奥はどこか落ち着かない。
食事が終わり、当たり障りのない会話を続けていると、小さくドアベルの音が鳴った。
ドアに顔を向けた奏衣の視線の先には、20歳前後の、痩せて背の高い青年がいる。
「カナちゃん、あの人?」
「はい。――西島先輩、こっちです」
奏衣は頷くと、軽く手を上げる。
璃海はカップを置くと、ゆっくりと立ち上がり、振り向いた。




