東方より来たる
「はぁ?傭兵だぁ?お前がぁ?」
ローサリムとドリジュラの国境沿いの砦前の事である。
崖に挟まれた山道を塞ぐ様に作られたローサリ厶の砦。
その前に布陣したドリジュラ軍。
そのドリジュラ軍に一人の異邦人が訪ねて来ていた。
「俺、強い。役に立つ。戦う」
ニコニコと笑いながら自分を売り込んで来る男。
「なんだこのガキ」
「東方民族か。このチビ」
ローサリムやドリジュラの国民と比べると貧相な体躯である。
女と同じぐらいだ。
むしろ傭兵稼業をする女兵士の方が逞しいだろう。
目の前の男はどう見ても十代の子供にしか見えない。
「いや、東の連中は若く見えるからな。年はいってるかも知れん」
「どっちにしろ要らん要らん」
ドリジュラ兵は野良猫や野良犬を追い払う様に手をシッシッと振る。
東方の国々へ至るルートはいくつかある。
砂漠越えか、山越えか、海越えか。
この位置から考えると、万年雪が振り続ける山々を越えて来たのかも知れない。
勿論どうでも良い事だ。
「確かにあのローサリムの砦は堅牢だ。だが俺達には秘密兵器が有るんだよ」
両側は登るのも難しい険しい崖。
石造りの砦はその崖と同程度の高さまで作られている。
今居るこの平地はやや窪地になっており、更には森まで距離が有り、遮蔽物も無い。
弓矢が届く距離でないので砦からの攻撃は無いが、距離を詰めれば矢の雨が降り注いで来るだろう。
「おい」
部外者に自慢気に語り始めた仲間を嗜める兵士。
「攻めあぐねている様に見えるが我等には勝算が有る。素性の知れない東方人を雇う理由は無い」
嘘である。
女であれば軍付きの娼婦として扱っても良い。
東方の者は医学薬学に精通する者も居る。
それならば雇っても良かった。
薬草や医療品は不足している。
それと一口に東方人と言っても、カタナと呼ばれる細身の剣で戦う恐ろしいサムライとか云う種族も居る。
サムライは盾も持たずにカタナ一本で戦場を渡り歩く狂戦士である。
幸いこの戦場には居ないが、サムライは雇い主が横柄だと突然斬りかかって来る異常者達だ。
ドリジュラ兵達にとっては魔女やドラゴン並に恐ろしい存在である。
サムライなら特攻用に雇っても良かった。
(しかしコイツは⋯)
ニコニコと笑うその黒髪の東方人はカタナ等持っていない。
薬等を持っている様子も無い。
鍛えてはいるのだろうが、どう見ても傭兵には見えない。
「なぁ東方人。ローサリムの連中についたらどうだ?あっちの小娘なら雇ってくれるかもよ」
一人のドリジュラ兵がニヤニヤと笑う。
ローサリムの砦を守る守備隊長の事である。
恐らくはローサリムの貴族なのだろう。
男達に混じって若い女が一人、砦の上から偉そうに指揮を執っていたのは皆が目撃している。
彼女が守備隊長になってからはあの砦の者に死者は居ない。
何故なら戦わないから。
前任者の騎士は良く側近を連れて砦から飛び出して来た。
此方側も死傷者は出るが、向こうにも死傷者は出た。
狙った訳でなく、矢がその騎士の馬に当たり、落馬して死んだ。
生きていたら身代金と交換も出来たのだが、死んでしまったのでお互いに困った。
頭は死んだが兵隊は元気なのだ。
膠着状態になってるうちに新しい女騎士が配置された。
そして今に至る。
ドリジュラ本国からは砦攻略を急かされた。
そろそろ作戦も大詰め、秘密兵器さえ届けば一気に攻め落とす算段である。
ドリジュラ兵士達は、砦の女騎士をどう犯すかで毎晩騒いでいる。
女兵士も何人か居るだろう。
こんな僻地には娼館が有る町や村等無い。
軍付きの娼婦も居ない。
彼等は国の為でなく、略奪を楽しみに戦っている。
「そうかい、わかったよ」
東方人の男は軽く頷くとドリジュラ兵達の前を通り過ぎる。
「あー本当に行った」
「マジか」
「あはは、賭けねーか。何本目で死ぬか」
「お、良いねぇ」
いくら戦闘が膠着状態で砦の隊長が保守的でも、許可無く近付いて来る者には洗礼を与えるだろう。
しかもあの男はこのドリジュラ軍からのこのこ歩いて行っているのだ。
「お、来た来た」
砦の屋上や窓から散発的に矢が飛んでいる。
警告射撃なのか単に下手なのか、のんびり歩く東方人に当たる気配は無い。
「よーし!当たれっ!死ねっ!」
「あははっ!運の良いガキだっ!」
娯楽等無い兵士達は、矢の降り注ぐ中歩き続ける男を見てゲラゲラと笑う。
その笑い声が段々と小さくなる。
「おい?おかしくねーか?」
東方人の姿はもうかなり小さく見える。
即ち砦にかなり近くに寄っている。
だのに矢が当たらない。
「まさか⋯」
ドリジュラの兵士の一人が訝しむ。
「東方の魔術師?」
オンミョージやシンセンと呼ばれる、特異な存在が居る事も知られている。
実在するらしいが、魔女やドラゴンと同じく実物を見た者はこの場には居なかった。
☆
「なんだアイツはっ!?何故弓が当たらんっ!?」
ローサリム兵士が怒鳴る。
最初は威嚇射撃だった。
ドリジュラ軍の陣営からたった一人で歩いて来る男。
鎧も纏わず、武器も携帯していない。
黒髪で背が小さく、独特の民族衣装から東方人だとは解った。
しかし特に許可無く立ち居ったのだ。
ドリジュラ側の使者と云う事もあるまい。
何の目的かは解らないが死んで貰う事にした。
射殺す目的で矢を射掛けさせた。
しかし当たらない。
的が小さいからなのかと思ったが違った。
最小限の動きで避けている。
まるで矢の方が避けているみたいに、その男には当たらない。
「くそっ!煮えた油でも落とせっ!」
「そっちのが当たらねーよっ!」
「あっ!」
男が駆け出した。
砦に向かって疾走して来る。
「扉ぁっ!」
「大丈夫だっ!閉まってるっ!」
ホッとする兵士達。
砦の壁面にピタリと張り付かれると厄介だが、それで砦に侵入出来る訳ではない。
いずれは逃げ出すはずである。
「なっ!なんだっ!?」
「はぁぁぁっ!?」
屋上の兵士達がざわつく。
多少の傾斜はついているが、ほぼほぼ垂直な砦の壁面をその男が駆け登って来たからだ。
「ほっ!ほっ!ほほほっ!」
砦は石を積んで作り上げた建築物である。
王都の最新設備等ではない為、表面には凹凸が有る。
だからと云って、手で突起を掴んで登るのも難しいだろう。
しかも男は足で立って走っているのだ。
「来るっ!」
「入れるなぁっ!」
ローサリム兵が弓矢を放ちまくるが全く当たらない。
男は壁面を走りながら矢を避ける。
そしてあっという間に―――
「やぁ、ニーハオ」
砦の壁面の上に現れた。
「なっ⋯⋯⋯」
「嘘だろ?」
ローサリム兵士達が呆然とする。
「あ、違った違った。えーと」
男は考えていた。
友好的に接しようと。
東方で出会った西方人の娼婦。
山越えをする時に助けて肌を重ねた少女。
彼女達とは閨を共にする時に身体を重ねて言葉を重ねた。
心は重ねていなかったがそれで頑張って勉強した。
(挨拶は万国共通。友好の証)
聞き取って貰える様に、ゆっくりと。
「さ・よ・う・な・ら」
ニコニコと手を上げながらそう告げる。
寂しそうに微笑む女達から教わった、友好的なはずの挨拶をする男。
その挨拶を受けてローサリムの兵士達は―――
「てっ!てててきっ!敵襲ぅぅぅぅぅっ!」
臨戦態勢へと入り、剣や槍を構えたのだった。
☆
「⋯⋯⋯⋯なぁ、あの東方人。壁登ってなかったか?」
「見間違いだろ?」
悪戯好きの妖精に化かされたみたいな気分になる兵士達。
そこに歓声が聴こえて来る。
「わははははっ!コレで我が軍の勝利は確実であるっ!」
ドリジュラ帝国貴族である軍隊長が上機嫌でやって来た。
ドリジュラ軍の基地より、秘密兵器を借り受け、今帰還したのだ。
「さぁっ!戦闘準備だっ!」
「はっ!」
もたもたしていると叱責と鞭が飛んで来る。
平民で構成されたドリジュラ兵達は、上司の命令に機敏に反応し、さっき見た東方人の男の事は完全に忘れ去った。
「ローサリムの軟弱野郎共を吹き飛ばしてやるわっ!」
弛んだ腹を揺らしながら、ドリジュラ帝国貴族の男がご機嫌で叫んだ。
お読み頂き有り難う御座います。