86「変わってしまう」★エヴラード・G・バーラム
「私たちは……神父から信仰を奪ってしまった……!!」
「いやあああああ!!!!」
織歌の叫び声が響く。
いや、織歌だけではない。僕も叫んでいた気がする。
だがどれだけの声をもってしても炎を止めることはできず、燃えていく女から呪詛のような懺悔だけが聞こえている。
若いカップルは自らの罪に耐えきれず、「お許しください」「この身を捧げます」と身勝手な懺悔と共にエンゼル神父の身にしがみつき、共に炎に焼かれていく。
「しんぷさま! しんぷさま!!!」
ガソリンをと人体を燃料に燃える炎の匂いがあたりを包み、黒い煙は彼らの罪の様でとても直視できない。
ほどなくして燃料を失った炎は静まり、残ったのは3つの黒い塊だった。
(これが人間だというのか……)
あまりの有様に絶句している僕を他所に、織歌は迷いなくその塊に縋りつく。
大粒の涙をこぼして、大声で泣き叫んでいる。
「やだ! しなないで!」
それはあまりにも酷な願いだった。
(もう遅すぎる)
燃え尽きた肉体は元に戻ることはない。
天に上った魂はもう降りてはこない。
(奇跡など……)
おこりはしないのだ、と、僕はその小さな背に伝えなければいけないのに。
「なんだと……」
この小さな子供にまつわるすべては、僕の想像を超えていく。
「しなないで」
小さな声でそう呟いた織歌の周りに、光の輪ができる。
その光はかつてエンゼル神父だったひとつの塊を中心に青白く輝き、エンゼル神父と無理心中をしたカップルから血のような赤色を吸収して染まっていく。
まるで海に流れた血のように、青と赤が交わっていく。
光はエンゼル神父の遺体を包み、黒かった塊は血色を取り戻し、そして――
「海魔は……魂の穢れ……」
――エンゼル神父そのものを蘇らせた。
「ああ、やはり私は……」
いや、エンゼル神父ではないのかもしれない。
彼にはまるで天使のような羽が6枚生えており、必死に顔を覆い隠す手の甲に、額に、目玉のようなものが見える。
まるで聖書で読み聞かせられた熾天使のような姿は、僕たちの知るエンゼル神父ではない。
「な、な、なにをしたんですか……」
「わからない!」
エンゼル神父の復活を喜ぶよりも、その異様な光景に恐怖が勝る。
織歌もその姿におののき、縋りつこうとする手を所在なさげに宙に浮かせていた。
「ひとつの命に……ふたつの魂。そして禊。ああ、そうか……ワダツミマサルもこうやって生まれたのか」
あまりのことに全員が絶句する中、たった一人だけが嬉しそうに手を広げ、異形となったエンゼル神父を抱きしめた。
「秘密がわかった! アンヘル、やっぱりお前はボクの子供だ!!」
「うっ、うっ、うっ……」
このふたりは親子なのか!? そんな質問も憚られるほど、エンゼル神父は慟哭している。
「信仰は私を救わず、友を害し、人を殺し……私を変えてしまった」
「アンヘル。何も恐れることはないんだよ。これでボクとお前は本質的に同じになった」
だがエンゼル神父の父を名乗る見知らぬ男――おそらくはこれがウヅマナキなのだろう――は、そんなエンゼル神父を優しく抱きしめて赤子をあやす様に穏やかに話しかける。
「ここのみんなもそうしてあげよう」
「できないっ……そんなこと……っ!」
「お前ならできる。ボクが選んだ人間だけを、同じ姿で蘇らせてあげる。もう誰もお前をいじめたりしない。だから――」
ウヅマナキの冷たい目線と目が合ってしまう。
値踏みするような瞳に見つめられると、まるで蛇に睨まれた蛙のよう。
いや、神を前にした羊のような、根源的な恐怖に足がすくむ。
「――殺せ」
その言葉を合図に、光の柱があちこちに上る。
ここにいる人々の多くは、それをまだ花火だと思って無邪気な歓声を上げている。
これが終焉の合図だと知っているのは、僕と織歌だけだった。
◇ ◇ ◇
その光が届く前、勝・ダミアン・シュヴァリエのいる車の側に、軍服姿の三人の男が集結していた。
ダミアンはそれを目ざとく察知すると、ファーマーズマーケットへ走ろうとしていたシュヴァリエを呼び止めて車に隠れる。
軍服の男達の中で、最も位が高いと思われる黒い長髪の男が声を上げる。
「ダミアン・ヘイダル! ミシェル・イス大尉! マサル・ワダツミ……を名乗る不届きな海魔!」
壮齢の男の声は低いが、はっきりとあたりに響き渡る圧がある。
一声発する度、艶やかな長髪が月夜に煌めいた。
「貴様らが殺したベインブリッジ少将に変わり、この姫宮一六八が琅玕隊総責任者の任に着いた。薄汚い身内殺し共、大人しく出てこい!」
車からダミアンが外の様子を見る。
車を囲む敵は3人、ひとりは姫宮一六八と名乗った男、残りふたりは車を囲んでいるせいで小さな窓からはよく見えない。
「くそっ、なんでこんな早ぇんだ!」
「こんな田舎まで的確に特定してやってくるのはあり得ない。偵察能力持ちか、移動能力持ちがいるとしか……」
「便利だな、霊力ってのは」
ダミアンは折神を持つ手を悩まし気に見つめ、そして折神を手放した。
捕まってやる気はないし、ベインブリッジを殺したことに罪悪感もない。
だが、ここで勝とシュヴァリエを巻き込むこともできない。
「シュヴァリエ、俺を突き出せ。で、てめえはあの日本人をうまく言いくるめろ」
「何を……」
「裁判はエヴにやらせる。なに、すぐに出てくるさ」
「だが」とシュヴァリエが何か言おうとした時、車が大きく揺れた。
ぎりぎりと音を立てて、キャデラックの鉄のボンネットに穴が開く。
まるで獣の爪に裂かれたような傷が車体に穴をあけ、月夜と花火の灯りが暗い車内を照らす。
「何っ……」
「おうおう、仲ぁええのう」
月光を背にした男の顔はよく見えない。
薄い色素の肌に、ローズグレイの髪が月光を受けて輪郭を作っている。
「赤いのがダミアンで、白いのがイス大尉じゃな。身内殺しは大罪じゃ。言い訳は聞かん、そこで死ね」
日本人訛りの英語だが、体格は日本人とは思えないほど大きく、肌も白い。
そういえば、かつて織歌が混血児の知り合いがいたと言っていた。
「名を名乗ったらどうだ、軍人殿」
シュヴァリエが尋ねると、男は不敵に笑いながら答えた。
「儂の名は若桜水虎。下手こいた織歌の代わりの新隊長じゃ」
水虎は広島弁です。
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