08「ヒロイン」★海神織歌
人目を避けて路地裏に逃げ込む。
騒ぎが収まるまで人に見られない場所にいたいが、地上にはそう上手い場所はなさそうだ。
ならば、と裏通りを探すと、チェーンのかかった鉄扉が目に入る。
『ここに隠れよう』
飲食店のゴミ箱や使われなくなった看板によって隠されているが、使われていない地下通路の入口だろう。
チェーンはしっかりとかかっているが、これは”私の霊力”で簡単に開けられそうだ。
胸元に忍ばせていた紙を取り出し、静かな声で「展開」と唱えると、金属音と共に鎖は千切れて地面に落ちていった。
『すごい力だな……』
『公爵家の使いがすっとぼけるな。折神だよ』
『おりがみ?』
とぼけた顔の兵曹を尻目に鉄の扉を開けると、案の定中には階段があった。
降りた先には放棄された地下鉄の廃線が広がっている。
鉄とカビ臭いが立ち込める、真っ暗な空間に顔がゆがむ。
少し先に地上と繋がってる排気口から薄い光が差し込んでいるのが見えて、引き寄せられるように歩いて行った。
『騒ぎが収まるまでここで休憩だな』
乏しい明かりが差す先に、倒れたまま放置された金属ロッカーがある。
ここに座れと言わんばかりの配置に笑みがこぼれた。
私たち以外の誰かもここに逃げ込んで、時間を潰したのかもしれない。
『……悪かった。俺が軽率だった』
私はハンカチを敷いて倒れたロッカーに腰掛ける。
だが兵曹はその場に立ったままで、謝罪と共に頭を下げた。
(私も怒っていたし、私がお前も怒れとこいつに言ったのだから、気にしなくていいんだがな)
兵曹はさっきまでの余裕ぶった顔から変わって、妙にしょぼくれている。
騒ぎを起こした反省、受けた侮辱に対するぬぐえない屈辱感、そしてそれは次から次へとやってくる。
どうやらやっとこいつも私と同じ土俵に上がってきたようだ。
ようこそ、ニューヨークへ。
『私は、日本じゃスターだったんだよ』
『………………ん?』
突然の話に兵曹はきょとんとしている。
無口な割にころころと表情が変わる奴だ、だんだんとこの厳つい顔にも愛着がわいてきた。
『まあ当然だな。日本唯一の女性将校、しかも海軍だし、あの琅玕隊に入隊するんだ』
『そんないいもんかね。末端は強制徴兵、即実践投入。地位と名誉はお公家様の旧体制派だけのもの』
『それは昔の話だ。今は海軍陸兵隊と統合してまともになった。私のような女でも海兵学校に特殊入学できる。まあ、女候補生は私しかいなかったがな』
『男に混じって訓練なんかしてたのか、ついていけたのか?』
『死ぬ気で頑張った。私は20年前の戦地で拾われてね、命の恩人の部隊にどうしても入りたかったんだ』
『……そうかい』
話し出すと男の緊張もほぐれたのか、声が柔らかくなる。
隣に座れという意味を込めてロッカーを軽く叩くと、大人しく座った。
『公爵令嬢の使いのお前は嫌な部分もさんざ見てるだろうが……世間一般じゃ琅玕隊は軍の花だよ。世界を脅かす海魔に対抗できる唯一の部隊、隊員の多くは海外で活躍している。霊力をもって異能を使い、鯨ほどもある海魔も一刀両断。公爵家の奴らは歌も歌うしな』
『歌ぁ?』
『……それが一番有名だろう』
『そうなのか。歌うだけでいいなら気楽だなあ』
こいつ”歌”のことも知らないのか……本当に日本人か?
突っ込んでやりたいが話が逸れる。
どうせニューヨークでも公演んだ、この叩き上げにはおいおい教えてやろう。
『そうして入った海軍、私は唯一の女性将校。そりゃあもうモテた。女学生は私の髪形を真似し、巷は勝手にブロマイドを量産し、実家にはとんでもない量の手紙が届く。日本で私を知らない者はいない。この世界が物語なら、私は間違いなく主役だった』
『……………………うん』
日本での輝かしい日々が懐かしい。
苦労もあったが、私にかかる沢山の期待が力になった。
だがそんな驕りはここでは通用しない。
『それがこっちじゃわき役もいいところ。外人で女子供でいいカモで、挙句の果てには犬扱い。乙女嬢が逃げる気持ちもわかってきた』
『織歌……』
『まあ、何が言いたいかと言うとな……』
兵曹が私を慰めようとしているのがわかる。
こいつはずっと私の父親気取りだが、私は上官だ。
貴様を守るのは私だ、とこいつに伝えてやりたい。
『貴様が味方してくれるのは心強いよ。
貴様と同じように、私も貴様の味方でいる。
悔しさには共に耐えるし、抗議するときは一緒だ。
次からはひとりで行かず、私の指示を待つように』
『…………わかった』
兵曹は神妙に頷いた。
この男の愚かなほどの正直さを、誠実さを、信頼してもいいと思えた。
私と同じように、向こうも思ってくれるといいのだが。
『……お前は、ヒロインだと思うよ』
兵曹がゆっくりと口を開く。
兵曹に日の光が当たっていて、天井の日差しがゆっくりと動いているのだとわかった。
どうやらそれなりに時間がたったようだ。
『俺はお前のためならなんだってやる。だからお前は、お前が正しいと思ったことをしてくれ』
『ヒロイン……女主人公か。うん、良い響きだ』
思わぬ長話をしてしまったが、無駄だとは思わない。
かくして私はヒロインとなり、名前も知らない従者と共に任務へと向かうのだった。
ニューヨークの地下には使ってない地下道がいっぱいあったそうです。
次話でやっと目的地に到着。
そもそも目的地で何をするのかもやっと説明します…!
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