75「シカゴ万博」★ダミアン・ヘイダル
大阪万博最終日にまにあってよかった!万博ネタです!
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地下道には荒い息と足音だけが響いていた。
胸に抱えている織歌の息が荒い。
恐怖と動揺で震える体を温めてやりたいのに、俺の心は冷え切っていた。
俺は人を殺した。
殺しなんて初めてじゃない。
自分のためにも他人のためにも、時には因縁なんてなくたって、何人も殺してきた。
だがそれらは全て目的と理由があることで、理性的で、人間的で、進歩的な手段のひとつだった。
(人を呪った……)
あの時の俺は、自分が獣になったかのようだった。
後先も考えず、ただ「殺したい」と思って殺した。
(野蛮人のように)
人間扱いされないことを恨んでいたのに、俺は自分から獣に落ちた。
「……もうすぐ、だから」
胸に抱える少女を穢さずに抱きしめる勇気が持てなくて、俺は静かに呟いてひたすら歩いた。
***
蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下道。
その出口のひとつから這い上ろうと鉄のはしごを上る。
「おかえりなさい」
暗い地下道の中に、真っ白な手が伸びてきた。
「エヴ」
エヴラードだ。
旧い友人の手に織歌を預けると、白い手に抱かれて織歌は地上へ登っていく。
俺たちはついに逃亡に成功した。
「他の方は?」
「エンゼルは誰が死んだとは言ってなかった。生きてるなら、すぐに合流するだろ」
「迷わないといいですけどね。ここは広いから」
シカゴ万国博覧会跡地――
三十年前に行われたシカゴ万博の会場だったこの場所は、かつての盛大な祭りのなごりだけが残っている。
大都市のはずれにあるだだっ広い公園が、この逃亡計画の合流先だった。
「エヴラードです。初めまして、レディ・オルカ」
「えぶ! しんぷさまのともだち!」
「はい。お友達です」
知らない間にエンゼルは織歌からかなりの信用を得ていたのだろう。
怯えていた織歌だが、エヴラードがエンゼルの友人だとわかるとその警戒を解いた。
「エヴ、せんせー!」
「ええ。弁護士なんですよ」
織歌は人見知りすることなくエヴラードに話しかけている。
その姿を見ていると、初めて会った時の敵対心むき出しの織歌の表情が夢のようだった。
(ガキの頃はこんな懐っこい性格だったんだな。初めて会ったときは、あんなにツンケンしてたのに)
初めて会った時の織歌は人攫いと悪徳警官にカモられて、敵意と警戒心がむき出しだった。
トラブルを仲介してやった俺にもきつく当たってきたくらいだ。
実はこいつが人好きで、好きすぎて4人も婚約者を侍らす女だったなんて、きちんと向き合ってみるまではわからなかった。
「こっち、だみあん! わたしのともだち!」
「知ってますよー。エヴラードのお友達でもあります」
「わたしのいちばん!」
「じゃあ、エヴラードの一番には、織歌さんがなってくれますか?」
「いいよ!」
そんなことを考えている間にも、織歌とエヴラードはぐんぐん仲良くなっていく。
織歌が大人だったらこいつも婚約者入りしてたんじゃないかってくらいの距離の詰め方だ。
「よくねえよ」
ガキ相手にみっともなく気が逸った。
思わず織歌の手を引き寄せると、エヴラードはお見通しだと言わんばかりに静かに笑う。
「みなさんが合流するまで時間がありそうです。散歩でもしませんか?」
(人の心を読むな。だから弁護士は怖ええんだ……)
ここにとどまり続けるのも危ないだろうし、俺はその提案を受け入れた。
織歌は俺の手を離すと、エヴラードが先導する後ろを小走りでついていく。
その様子を見ながら、俺は列の最後尾で後ろの警戒をしようと一歩下がろうとした――
「だみあん、きて!」
だが、数歩歩くと織歌は振り返って俺を待っている。
俺が合流すると、小さな手で俺の手を握り、エヴラードの元へ連れて行った。
ああ、今のこいつは覚えちゃいないんだろうな。
こうやって俺を救ってくれた、あの夜を――
***
「ここは1893年のシカゴ万国博覧会の跡地、ジャクソン・パークです」
ミシガン湖から吹く風が、エヴラードの声を俺たちに届けてくれる。
芝生の緑は夜の闇に溶けて姿を見せない。
手入れが行き届かず、ところどころ見えている赤い土だけが数少ない道しるべだった。
「ここにはかつて「ホワイト・シティ」と呼ばれる白い建物が沢山建った街があったんですよ。電飾に覆われて、夜も昼のように明るかったとか」
エヴラードが誇らしげにかつての栄光を説明してくれるが、目の前にある公園は建物などほとんど残っていない、まるで廃墟の様だった。
「なにもない」
俺の手を引く織歌がつまらなそうにつぶやく。
「もう「ホワイト・シティ」、解体しちゃったんです。残ってるのは科学産業博物館と、遊歩道とか池くらいですね」
「ダミアン、みたい! だして!」
「俺が出せるわけねえだろ」
さっきまでの大騒動が嘘みたいに、織歌は生来のやんちゃさを取り戻していた。
俺の手をぶんぶんと振って我儘を言ったかと思うと、エヴラードが指し示す方向に興味津々で目を輝かせる。
「石灯篭とかは残ってるかもしれないですね。織歌さんの国も展示を出してたんですよ」
「にほん?」
「そう、日本は最近勢いのある国ですからね」
「エヴのくには? なにだした?」
「エヴはアメリカ人だから、主催国としていっぱい出してたんですよ。巨大観覧車とか、美味しいチョコレートとか」
エヴラードと織歌の話に花が咲いているのが居心地悪い。
エヴラードは女の扱いが上手い、相手が好みそうな話題を選び丁寧に説明し、相手の話もゆっくりと聞くことができる。
俺と織歌は、今までこんな風に話していただろうか。
(……してるわけねえか。どっちもデリカシーなんてねえし)
明けきらない夜、だがうっすらと日は差してきた。
日の入りの乏しい明かりで織歌を失わないようにぎゅっと手を握ると、織歌はこちらに笑いかけてきた。
「ダミアンのくには?」
「あっ、織歌さん」
エヴラードの制止が間に合わず、織歌は堂々と触れてはいけない話題に突進してきた。
|俺の国《ネイティブアメリカンの大地》――そんなものはとっくに失われていることを今の彼女は知らない。
「色々展示されてたぜ、”人間動物園”とかな」
「っ……ボス」
エヴラードが笑顔を張り付けたまま「やめろ」と言外に伝えてくる。
だがベインブリッジを殺した余韻で脳の奥がまだ沸騰しているような感覚が消えない。
笑えない冗談をつく口が止められなかった。
「野蛮な過去を悔い改めた英雄がここで紹介されてた――動物園みたいにな」
「どうぶつえん……?」
「ガキの頃はよく言われたぜ、お前もああいう風に魅せろってな」
「ボス」
エヴラードが再び俺を制止する。
「今日はやけに感傷的ですね」
目の前の好青年はさわやかな笑顔を顔に張り付けたまま「いい加減にしろ」と伝えていた。
「……頭冷やしてくる」
エヴラードが真剣に怒っているトーンを感じ取って、さすがに頭が冷えた。
子供に聞かせる話じゃない――ましてや、惚れた女になんて。
俺は織歌の手を離すと、エヴラードを追い越して足早にその場を後にする。
「まって!」
見せる顔がなくて、織歌から逃げるように湖の方へ歩いて行った。
***
しかし、織歌は俺をひとりにはしてくれなかった。
「またんね! たわけ!」
「エヴのところ居ろよ! しつけえな!」
感傷に浸りたいのに、どれだけ歩いても織歌の小さな足音がついて回る。
だんだん腹が立ってきて全力で走ってみたが、それでも小さな織歌は喰らいついてきた。
石畳を走り、橋を越えると、白い花弁が振ってきた。
「さくら」
「サクラ?」
気づけばエヴラードを置き去りして、鳳凰殿跡まで走ってきてしまったらしい。
シカゴ万博で日本の庭園が再現されていた鳳凰殿には、日本から寄贈された桜がひそやかに咲いていた。
「はぁっはぁっ……よか……ふぜぇじゃな」
何を言っているかわからないが、織歌は満足そうな笑顔を浮かべてごろんと仰向けに寝転がる。
普段は化物みたいに強い女だが、さすがに子供の足で俺に追いつくのは大変だったらしい。
ぜえはあと荒い息を吐きながら息を整えようとしていた。
可愛い、助けたい。
もうこれ以上織歌を放っておけなくて、俺は織歌に手を差し伸べてしまう。
「俺の負けだ」そう言って織歌を起こそうとした手に、ぽたりと水が落ちた。
「ダミアン」
織歌の優しい声が俺の胸を締め付ける。
それは俺の涙だった。
何が悲しいのかもわからない、怒っているのかも、悔しいのかもわからない。
ただ途方もない無力感に襲われて、勝手に涙が出てきていた。
織歌は小さな体で俺を抱きしめる。
俺は膝をついて、織歌の体を抱きしめた。
「…………たすけてくれ」
――何から?
それさえもわからないのに、織歌は静かに答えてくれた。
「うん」
朝焼けを浴びて桜が輝く。
湖が煌めいて、美しい朝が来る。
「織歌、オルカ……!!!」
そんな朝に似合わない、吼える狼のような慟哭が静かな公園に響く。
それでも織歌は、俺を抱きしめていてくれた。
シカゴ万博跡地には日本から寄贈された桜が咲いています。
1923年にはまだ寄贈されていないんですが、万博の際に植えた桜が少し残っていました。
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