74「いい子」★ダミアン・ヘイダル
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臭い水が排水用の地下水路をちょろちょろと流れていく。
悪臭の漂う地下水路。
人知れず死んだ人間は、この臭い道を抜けて焼かれていく。
記録にすら残らぬまま。
物言わぬ死体がどんな人間なのか、知る術はない。
(来たか)
だが、今日の”死体は生きている”。
地下に反響する、どたどたとした運動神経の悪そうな足音。
明かりのほとんどない道であるというのに、足音に迷いはない。
「ダミアンさん!」
想像通り、その音はエンゼルが大切そうに白いシーツを抱きかかえながらとてとてと小走りしている音だった。
向こうも俺の姿を確認したらしい。
嬉しそうに大きく手を振り――
「わあー!」
「ぎゃん!」
――バランスを崩してずっこけた。
「この馬鹿!」
エンゼルが転ぶと同時に、大切に抱えられていたはずのシーツにまみれた何かが犬のような悲鳴を上げる。
俺は慌ててそのシーツを拾う。
そこには、ぼろぼろの入院着を着た黒髪の子供がいた。
きりっとした瞳は水に浮く花のような薄桃と薄水色、ぽかんと開いた口の端からは鮫のような鋭い牙がチラチラと見える。
くんくんと鼻を動かして何かを確かめようとする姿はまるで子犬の様だった。
「ほんとにガキになってんじゃねえか……」
「6歳で、記憶も6歳児に戻っているみたいです。ダミアンさんのことはお伝えしていますが、怖がらせないでくださいね」
「記憶がない」その言葉がひどく胸に刺さった。
織歌にとっては俺のことなど些細なことかもしれないが、織歌と言う存在はすでに俺の全てとなっている。
(もし、この子が俺を嫌いになったら……)
俺はどうしたらいい。
どす黒い感情が胸にあふれて、思わずこぶしを握り締める。
(手放すことなどできない。なら――)
「いいにおい……」
だが、俺の中で渦を巻くどす黒い感情は少女の言葉で簡単に霧散する。
シーツにくるまれた少女は蕩けた表情でくんくんと鼻をならし、うっとりと呟いていた。
「初めて会った時も、そんな面してたな」
この子は織歌だ。
姿かたちは変わっても、記憶が消えていても、何も変わらない。
俺たちは同じように恋に落ちて、同じように生きることができる。
小さな希望が形のない不安を消していく気がした。
気がしたのに――
「顔、どうした……?」
俺は織歌の顔に深く刻まれた濃い痣を見てしまった。
薄だいだい色の肌に、青黒い傷跡。
「……誰かに殴られたのか?」
思わず問いかけてしまったが、答えはわかりきっている。
この怪我は、俺がガキの頃何度受けてきた。
体の成長しきっていない子供に刻まれる激しい殴打。
泣きわめいて、許しを請うて、それでも殴られ続けたあの時――
仄かな希望では取り戻せないくらい、腹の底に憎しみがたまるのがわかった。
「な、なんでも……ない」
「ダミアンさん。これは治療と称して……」
「いわないで!」
説明をしようとしたエンゼルを織歌が止める。
この傷は彼女にとって恐怖で、そして抵抗できなかった自分への羞恥の証だ。
誰にも知られたくない。
俺は、その心の全てがわかってしまう。
【白人を殺し、人間を救え】
目の前が真っ暗になる。
キラー・ホエールの言葉を思い出す。
金を、地位を、友を、家族を手に入れても俺たちは何も変わらない。
なら、俺は――
「あのフランス人形は役に立たないと思っていたよ」
目の前が真っ暗になった時、背後から厭味ったらしい声が響いた。
「ベインブリッジ!!」
ベインブリッジは共も連れず、たった一人で現れた。
頭に血が上り、携えていた銃口を向ける。
「駄目です!」 とエンゼルが間に入らなければもう銃口は火を噴いていただろう。
「神父様。あなたは地上の栄光を捨てて、こんな地下で野蛮人共の手を取るというのですか?」
ベインブリッジは俺の脅しには乗らなかった。
奴もまた銃を構えているが、銃口も、言葉も、視線もすべてエンゼルに向いていて、まるで俺と織歌はここにいないかのようにふるまっている。
俺と織歌を守るようにエンゼルはベインブリッジの前に立つ。
神父の癖に意外とたっぱのある男が前に立つと、もうベインブリッジは見えなくなってしまった。
「イス大尉もか……やれやれどいつもこいつもヒーロー症候群だ。自分が主人公になれると思っている」
「私の友人を侮辱しないでください!」
悪の軍人と、正義の神父。
目の前に繰り広げられる光景はまるで映画の様で、そして俺と織歌はまるで観客だ。
話題の中心にいるというのに、口を開く権利を持たされていない。
「エンゼル、もういい。行こうぜ」
ベインブリッジだって、銃も折神も持っている男ふたり相手に本気で喧嘩するほど馬鹿じゃないだろう。
こちらも後の人生を考えれば将校を殺すわけにはいかない。
(互いに手を出せないことを知ってて、厭味のひとつでも言いたくなっただけだ。構うだけ無駄……)
少将なんて高い地位にいる癖に、なんて馬鹿で幼稚な男なんだろう。
俺は織歌の手を引いて奴の脇を抜けようとしたとき、違和感に気づいた。
「はぁっ……はぁっ……」
織歌の様子がおかしい。
小さな手が震え、息がまともにできていない。
顔は真っ青だというのに、額には汗がにじんでいる。
「おやお嬢さん。逃げてしまうのかい? せっかくいい子になれそうだったのに」
「あ……う、うう……」
「おや、まだ喋れないのか」
ベインブリッジに声をかけられると織歌の小さな体が跳ねる。
「わわわわたし……わるいこと、し、してない……なんで、いいいじわる、すすすするの……」
震える声で紡がれる言葉は、俺の知る織歌なら絶対に言わないであろう問いだった。
「いい子でいるから殴らないで」そんな言葉を、俺のヒロインは言わない。
言わせないと、心に決めていたのに……
「いい子は、死んだ子だけだ」
俺はもう、すべてがわかってしまった。
この子は俺と同じ屈辱を受けて、魂を穢されてしまったのだと。
――ガウゥゥアアアアアアッ!!
薄暗い地下通路で狼が吼える。
赤黒い炎をまとった狼はベインブリッジの肩を嚙み千切り、肉を焼き、骨を露出させる。
狼はベインブリッジから離れても、炎は蛇のようにベインブリッジの体にまとわりつき、生きたままじわじわと焼き殺していく。
俺の折神が、人を殺した。
「あっあっ……あああ……」
「ダミアンさん!」
織歌の怯える声と、エンゼルの叫びが、遠くに聞こえた。
「グゥッ……アハハハ……やはり、獣だ……!!」
それなのに、ベインブリッジの今わの際の言葉だけは、はっきりと耳に残る。
ベインブリッジは生きたまま焼かれ、肉を露出し、骨だけになって死亡した。
後に残ったのは奴の銃と、呪いが刻まれたかのように真っ赤に染まった骨だけだった。
ほんの数秒、 狼の吼え声とベインブリッジの断末魔が嘘かのようにあたりはシンと静まり返る。
「行ってください」
口を開いたのはエンゼルだった。
「彼を見送ってから、私も続きます」
「そいつは悪魔だ。最後の祈りなんていらねえだろ」
「悪魔じゃありません、ただの人間です」
エンゼルは怒りも悲しみもなく、ただ使命にかられた神父として俺に話しかける。
俺は固まってしまった織歌を抱きかかえ、地上への道を走りだす。
胸がざわつく。
これがどんな感情なのかは、今の俺にはわからない。
***
ひとり残ったエンゼルはベインブリッジの頭蓋骨の上で十字を切り、静かに祈った。
「永遠の安らぎを、その魂に与えたまえ。
主よ、あなたの光が、彼の行く道を照らしますように。
塵より生まれし命が、再びあなたの御許に還るその日まで……」
残された死骸は、文字通り狼の食べ残しだった。
肉はあえてすべて焼き切らず、最大限の苦しみを与えたまま焼き殺す。
ダミアンの怒りが、苦しみが、憎しみが、すべて表されている。
「アーメン」
まるで呪いだった。
「レッド・ボーン!! 事故か!?」
今の騒ぎを聞きつけて、地上で別の作業をしていたダクウェランが走り寄ってくる。
彼はダミアンに何かあったのかと、同胞の危機に血相を変えていた。
だが彼を迎えたのは陰鬱な顔をした神父ひとりと、謎の死体がひとつ。
異様な光景にダクウェランは理解が追い付かなかった。
「な……なにが……」
「これが本日お渡し予定の死体です。確かにお渡ししました」
だが陰鬱な顔の神父は説明することなく、そのまま去ろうとする。
この異様な光景を生み出したであろうこの男を引き留める勇気を、ダクウェランは持っていなかった。
「こいつは……なんなんだ?」
遺体の周りに広がっている貴金属はどれも高級品ばかりだ。
いつも処理しているぼろぼろの遺体とは違う。
ダクウェランは恐る恐る問いかけると、神父は静かに言った。
「”いい人”ですよ」
ダミアンは今香水をしてないんですが、織歌は本能的にダミアンの匂いが好きなんです。
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