71「そして夜が来た」★海神勝
織歌が攫われて7日目――今日が、ウヅマナキが指定した最終日だ。
「準備はすべて完了した」
高級ホテルの一室で、シュヴァリエは俺とエヴラードにそう告げた。
織歌が今どうなっているか、情報を握っていない俺にはわからない。
俺はただ、シュヴァリエがかき集めた情報を待つ事しかできない。
「ダミアンの調べで、病院には裏で死体を処理するルートがあることがわかっている」
「サー・ヘイダル。上手くやりましたね」
「潜入したエンゼルから明日そのルートを使って死体の処理をするという情報が入った。今夜、処理する死体と織歌をすり替えて脱走させる」
シュヴァリエの言葉に感情はない。
あいつが何を考えているのか俺にはわからない。
(わからないが……何かを抱えているのはわかる)
シュヴァリエがことさらに感情を隠す時は、何かを抱え込んでいる時だ。
織歌と初めて口付けをしたときも、それまでは鬼のような仏頂面でダミアンの後ろに立っていて、織歌がその感情を解きほぐすまでは何もわからなかった。
(だが、今は俺も、奴が何かおかしいのがわかる……)
シュヴァリエは何か嘘をついているのか、隠し事をしているのか、俺に怒っているのか。
どれも間違っているかもしれないし、正解かもしれない。
何かおかしいのはわかるが、それ以上がつかめない。
「地下通路の入り口でダミアンが待っているから、織歌・ダミアン・エンゼルの3人で脱出し万博跡地まで向かう。エヴラードは車と一緒に万博跡地で待機。――私と勝は病院内で追手の対処だ」
今の俺はシュヴァリエの秘密を「わからない」で終わらせることはしたくなかった。
こいつは織歌の婚約者で、俺の友人で、家族だ。
たとえ乙女の物語で語られない、存在しないはずの関係だったとしても。
俺はこいつらに家族ほど深い情を感じていた。
【ウヅマナキは同胞を増やすため、俺が蘇った理由を知りたがっている。
ふたりの魂を捧げて死の国から人間を蘇らせる秘術。
ウヅマナキがそれを使えば、この世界の人口は激減――人類は滅亡する危険がある】
……と、流暢に英語で話せばよかったのだが、こんな難しい単語の英訳などできるわけがない。
「”ウヅマナキ” ”俺” ”乙女” ”ふたり”」
「ミスター・ワダツミ、なんですかいきなり……」
「”ひと” ”死ぬ” ”あぶない”」
「……人が死んだら危ないだろう」
「”責任” ”取る”」
必死に紡ぐカタコトの英語を、シュヴァリエもエヴラードも理解できない。
呆れた顔で俺を見る藍色と緑色の瞳が冷たかった。
(だめだ。こんなうわべだけの台詞じゃ、なにも伝わらない……)
俺は立ち上がると、シュヴァリエとエヴラードの肩を掴む。
藍色と緑の瞳を、俺に残されたたったひとつの瞳で交互に見つめる。
「”俺” ”ひとりで” ”戦う!”」
「作戦のこと聞いてました?」
エヴラードの冷たい声にもめげず、俺は言葉を続ける。
まともな英語じゃなくても、俺が本気だという気持ちを伝えたい。
「”命あげる” ”お前たち” ”家族”」
「だから、ミスター・ワダツミ……」
「エヴラード、いい」
何か言いかけたエヴラードをシュヴァリエが止める。
シュヴァリエは何も言わず、じっと俺の目を見た。
「あなたひとりが残って、軍やウヅマナキと戦うと?」
「”そう”」
「その結果、あなたの情報がウヅマナキの手に渡るかもしれない。それが日本政府の望むところではなかったとしても?」
「”関係ない” ”政府”」
「では、あなたには何が関係ある?」
「”お前たちの” ”未来”」
シュヴァリエがハッと息をのむ。
目の前の男の影がかかった藍色の瞳は、ぞっとするほど美しかった。
「”すべて” ”捨てる” ”家族のため”」
シュヴァリエは瞳を揺らし、俺と目をそらす。
そして吐き出すようにつぶやいた。
「私だってそう思っていた。だが、その立派な仮面をみんなが剥がしに来る……それがこの国だ」
シュヴァリエの良いとも悪いとも言わないその答えを、俺は「良し」として受け取った。
「”俺は” ”やる”」
俺はひとりで戦う。
それが隠し事を続けてきた俺の償いだ。
◇ ◇ ◇
そして夜が来た。
俺はシカゴ滞在中ずっと来ていた袴姿ではなく、いつもの着古したシャツ姿で閉ざされた病院の門の前に立っていた。
外からの侵入も内からの脱走も阻む鉄の門が、夜風に晒されてぎいぎいと音を立てている。
『――展開!!』
俺は霊能力出力装置・折神に血を垂らし、織歌に習った通りに術を展開する。
――グォオオオ!!!
折神は地を這うような呻きと共に、龍の形を成す。
夜闇に現れた隻眼の龍は、鉄の檻をやすやすと破壊し、俺に道を開いた。
一歩も迷うことなく、悠々と歩を進める。
この道の先に何が待ち構えているかなど知る由もないが、びくびくと野良犬のように歩むことはしない。
何が来ても、俺はすべてに立ち向かい、すべて受け入れるつもりだった。
これだけ大騒ぎをしてるのに、敷地内は不気味なほど静かだった。
<人間には眠ってもらったよ。キミの相手は難しそうだしね>
俺の心を読んだかのように、脳に直接響くような声が聞こえる。
高くもなく、低くもなく、性別や人種を超越しているかのような男の声。
まっすぐに前を見つめていると、影も形もなかった場所に男の輪郭が浮かび上がる。
灰色がかった亜麻色の髪に、冷たい氷のような青い目。
一見柔和な印象さえ感じるその男こそ、この物語のラスボス……人類の敵。
『ウヅマナキ』
<情報を教えてくれる気になった?>
名を呼ぶとウヅマナキは嬉しそうに返答する。
俺が脅されるがままに頷くわけがない、そう知っているような余裕たっぷりの顔で。
<そうだよね。ヒロインの父親は、悪に屈したりしないよね>
俺は無言で答えると、ウヅマナキは薄ら笑いを浮かべて世闇に手をかざした。
――ズズズ……
ここにあるはずのない潮の匂いと水音をまとって、地面から大量の化け物がはい出てくる。
それは海辺に現れる海魔とは違い形を成すことさえ精いっぱいといった風な、目玉が大量に突いたタコの触手のようなモノだった。
<――ア、アアア>
形も作れず、声も出せない、魂のなり損ない。
何かを間違えれば俺もそうなるのだと、原始的な恐怖が心臓を掴む。
瞬く間に周りを囲まれてしまう。
だが視界の隅、院内で織歌とシュヴァリエが合流できたことを確認すると、スッと腹が決まった。
<ボクに会いに来てくれたことには感謝してる。だから織歌ちゃんには手を出さないよ――少なくとも、ボクは>
『グダグダうるせえ。俺はお前に屈しねえし、俺の家族も壊させない』
俺はシャツを脱ぎ捨てると、上裸になって刺青を晒す。
背中に描かれているのは英雄のなり損ない――蛟竜の如く、相対するウヅマナキに吠えた。
『俺はこの世界を生きる!』
この話を通して、勝もみんなに心を開きだしています。
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次回は10/8(水) 21:10更新です。




