67「北風と太陽」★海神勝
織歌が攫われて3日目――
Aチームは、ダミアンが情報と脱出ルートの捜索・エンゼルは内部に潜入と息つく暇もなく活動している。
Bチームの俺たちは織歌の親族とその弁護士という建付けで、正面から病院に乗り込むことにした。
「やあ。事前にお伝えしたように、ワダツミオルカ嬢の退院の手続きを行いたい」
「アンタは?」
「僕は父親の友人だ。彼女の父はこちらに」
エヴラードに促され、俺は職員の前に一歩踏み出す。
まともに話を聞いてもらえるように金持ちの格好をしておけ、というシュヴァリエの指示で俺は再び紋付羽織袴に着替えている。
これは日本の礼装――金と権力を持っている証の衣装。
寝台列車とホテルでは紋所のように効果を発揮し、かなりの好待遇を受け取ることができたが……
「……はっ。アリガト」
職員は俺の姿を鼻で笑い、揶揄うように適当な日本語を投げつけられる。
(……やっぱり。客商売じゃなけりゃこんなもんだよな)
目の前の日本人が金を持っているかどうかなど、客商売でなければ関係ない。
鼻で笑われるのも、相手にされないもの想定済だ。
「あなたが日本語で話す必要はない。通訳は僕が……」
この国で、俺は相手の反応など気にしないようになっていた。
俺を知るものはどこにもいないのだから、馬鹿にされようが、笑われようが失うものは何もない。
だが、今は違う。
「”エヴラード”」
――極道は、舐められたら終わりだ。
俺は補助に回ろうとしたエヴラードの肩を軽くたたくと、静かに微笑む。
そのまま目線を職員に向ける。
何も言わない。ただ、目を見るだけ。
だが、それだけで部屋の空気が一変する。
息をすれば殺す、無駄口を叩けば殺す、指一本動けば殺す、何をしても殺す――
言葉に出すような野暮はしない。
だが、俺の殺気は言語の壁を越えて職員に伝わったようだ。
「っ……」
職員の喉が小さく鳴った。
言葉の続きを失い、額にじっとりと汗を浮かべる。
常に飄々としているエヴラードすら、「これだからヤクザは……」と呆れと震えの混じった声で呟く。
この場は俺が支配した。
「では、話の続きをしましょうか」
エヴラードの声が、凍り付いた場に響く。
職員はかすれた声で「はい」と答え、静かに頷いた。
***
「だから……そんな子供のことは知りませんよ……!!」
「数日前にニューヨークで攫われた子供が、ここに収容されていると聞いている」
「どこの情報です? ただの噂でしょう」
「彼の娘が不当に拘束されていることは調べがついている」
「知りませんよ。この国で毎日何人の子供が失踪してると思います?」
職員を威圧し、舐めた口を利かない様にしたはいいものの、話し合いは難航しているようだった。
目の前で繰り広げられる流暢で早口な英語の応酬。
俺にはほとんど聞き取ることができないが、だいぶ白熱しているようだ。
「そのうちのひとりが、私の友人の大切な娘なんだ」
「そもそも、アンタらみたいな金持ちが毎月何人も放り込んでくるからだろうが! こっちも困ってるんだ!」
「他にも不当に囚われている子供がいるのか?」
「知らねえよ! 俺は何も知らない!」
「君は「知らない」「知らない」そればかりだな。ボクの飼っている犬の方がまともに吠える」
よくわからないが、激昂する職員と揶揄うようなエヴラードのやり取りを見るに、エヴラードがだいぶ挑発しているらしい。
(……あんまり怒らせると、意固地になって余計喋らなくなるんじゃないか)
せっかく威圧して職員を黙らせたのに、エヴラードの挑発に乗って職員の声が荒くなっている。
「うるせえな! ジャップの通訳如きが何のつもりだ!?」
エヴラードはどんな挑発をしているのか。
頭に血が上った職員はさっきまでの怯えはなくなり、俺たちに指をさして怒鳴るほど激昂していた。
(じゃっぷ……)
これが侮蔑語なのはなんとなくわかる。
さっきまで怯え切っていたのに、ここまで持ち直してしまった。
これではもう何も吐かないだろう。失敗だ。
(法に触れるだろうが、別の人間を攫って吐かせるしかないか……)
だが、エヴラードは余裕を崩さない。
職員の言葉を待っていたとばかりに、笑みすら浮かべていた。
「ああ、言っていなかったかな? 僕はローイヤーでもある」
(ローイヤー=弁護士だ! 列車で聞いた!)
聞き馴染みのある単語に、職員の顔が青ざめた。
「べ、弁護士……」
「たくさん喋ってくれてありがとう。これから先は別の場所で手続きを進めるとしよう」
「いや、俺はそんな子供のことなんて……」
「弁護士に嘘をつくのはやめた方がいい」
風向きがエヴラード優位に変わったのがわかる。
エヴラードは穏やかな微笑みのまま静かにたたずんでいるだけで、場の空気を掌握していた。
「ハビアス・コーパスを請求するにあたり、あなたの証言は大切に使わせてもらう」
「ま、まて……俺は証言なんて……」
「公聴会にはもちろん招待させてもらう……と言いたいが……目立つのはお嫌いかな?」
再び場に緊迫した空気が流れる。
職員は長考したのち、がっくりとうなだれて静かにこぼした。
「……勘弁してくれ。何も言えないんだ。俺には家族がいる。職を失うわけにはいかない」
「気持ちはわかるよ。ああ、そうだ。もし、退院させたい子供が知らぬうちに脱走してしまったら、僕の出番はないかもな」
「…………何をしたらいい」
「あと1週間、君は毎日まじめに働くだけでいい。いつも通り、何もせず、すべてを見て見ぬふりをするだけだ。得意だろ?」
エヴラードの言葉に、職員は静かに頷いた。
***
織歌をすぐに取り戻すことはできなかったが、エヴラードの交渉のおかげで外部工作がしやすい状況になったらしい。
俺たちは再びタクシーに乗り込み、帰路についている。
「”怒らせた” ”わざと?”」
「北風と太陽って知ってます? 怖がらせるよりも相手を乗せてあげるほうが、良い結果が得やすい」
無駄な長話をして相手の気を緩め、隙を見せた瞬間に最強の武器で瞬殺する。
確かに暴力を匂わせてビビらせるより合法的で、効率的だ。
「”……俺は” ”怖いよ” ”弁護士”」
「あはは。これでわかってくれました?」
無学な俺からしたら暴力よりもエヴラードの戦い方の方が恐ろしいが。
そう伝えるとエヴラードはあっけらかんとして笑う。
「この国で一番強いのは暴力じゃなくて、私なんですよ。だから思い詰めないで、いつでも私を頼ってくださいね」
「…………」
エヴラードの声は暖かくて、慈愛に満ちている。
この時、俺はこいつが味方なのだと本能で感じた。
すべてが物語のこの世界の中で、エヴラードは突然現れた異物のようだった。
だが、飄々とした顔の裏には熱い情があり、金にならない外国人のガキの誘拐騒動にも手を差し伸べてくれている。
こいつはきっと俺たちの味方になるべく登場した存在なのだ。
そう感じた。
「さて、僕たちの役目はここまでです。少し観光しませんか? シカゴは闇も多いけど、いい街なんです。この街の出身者として、あなたにもそれを知ってもらいたい」
「”遊んでる” ”暇は”」
「まあまあ」
エヴラードは俺の返事を待たず、運転手に行先を伝える。
「シカゴ美術館へお願いします」
L/Rの発音は海神親子の鬼門。
大人織歌も滅茶苦茶へたくそですが、自信ありげに喋るので流されてました。
ただ、ベインブリッジに矯正された後は苦手意識が強まっているようです。
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