65「お父さん」★エンゼル・A
「神父かよ、扱い辛いな……」
どうにか入院を果たしたD病院で、私は完全に厄介者だった。
私は車に飛び込んだ自殺志願者として拘束され、怪我がないこと・シカゴの神父ではないことがわかると、思惑通りにD病院に投げ込まれた。
入院時の措置として持ち物を没収され、衛生処理として入浴を行うため、衣服を脱ぐように指示される。
「……ぜ、全部脱ぐんですか……?」
「患者の衛生管理の為に必要な処理です。いやならスタッフが”手伝い”ましょうか?」
「自分で、できます……」
人前で肌をさらすのは好きじゃない。
が、脱がされるのはもっと嫌だ。
しぶしぶ神父服を脱ぐと、私の肌を見て職員がひそひそ話しているのが聞こえる。
「なんだあれ……痣か?」
「持病もちか、永く持たなそうだな」
私の体には昔から鱗のような痣がある。
幼い頃は何らかの病気だと思って医者にもかかったし、酷く心配した母は何度も神に祈っていた。
それが自分の血に流れる忌まわしい海魔の血の証であることなど知らずに――
(……落ち着かない)
自分が人間でない証は私の体にまとわりつき、人の目を引き、忌諱される。
全身を覆い隠してくれる神父服は私の心の鎧、すべての父である全能の神は私の心の拠り所だった。
だが今は、それらを失っても逆らわず大人しくしていなければならない。
「余計なものは持っていませんね。では、入浴処置を行います」
裸のまま、私は鉄の桶の前に案内される。
石炭酸系の薬液が鼻を刺す。消毒のみを重視して、人体のことなど微塵も考慮していないような薬品臭だ。
ここに浸かれというのかと、怯みそうになるが、ダミアンのことを思い出す。
(彼なら黙って入った……)
私は彼ほど器用ではないけど、せめて従順な患者でいよう。
神父という肩書は子供たちに接触する機会を与えてくれるはずだ。
私も、私のできる事をしなければ。
「わかりました……」
意を決して鉄の桶に足を入れようとしたとき、床に敷かれた簀子に足を滑らせた。
「ぎゃんっ!」
犬のような悲鳴を上げて前につんのめると、
――バシャアアン!!
と音を立てて鉄の桶をひっくり返してしまう。
「あっ……」
やってしまった……と思った時にはもう遅く、あたり一面臭い消毒液に満たされ、職員の衣服を濡らす。
強烈な臭いを放つ液体は職員の小綺麗な衣服を汚し、その臭いをまとわせる。
「あ、あの……あの……」
「くそっ、厄介者しか来ないのか……」
慌てて謝ろうとするが、職員は大きなため息をつくだけだった。
「精神錯乱している。水治療法から始めよう」
***
私は、何もかもが上手くできなかった。
半魔である私の体は水に耐性があり、冷水に沈められる水治療法はぬるい湯につかるような感覚でしかなかった。
知らなかったがなぜか電気耐性もあったようで、脳に刺さった電極も効果を発揮せず。
薬物治療では一瞬だけ反応するが、身体がすぐに解毒してしまう。
拷問めいた治療はすべて肩透かしに終わり、失敗を重ねる度に嫌な空気が流れていく。
「……もういいよアンタ。子供の相手くらいならできるだろう」
半日たって、音を上げたのは職員だった。
治療が意味をなさない、かといって反抗的なわけでもない、その上正常でもない……
扱いに困った職員は、私に子供のお守りという仕事を振ることにしたらしい。
(祈りが通じた……!)
職員にとっては苦肉の策だったろうが、私にとっては願ってもない話だ。
私なりに考えた作戦はすべて意味をなさなかったが、とにかく、私は潜入捜査しやすい身分を手に入れたのだった。
◇ ◇ ◇
【先日”治療”中に怪我をした女児がいるんだが、職員に心を開かなくてな。アンタも神父なら、子供手なずけるの得意だろ】
そう言い残して去っていった職員に案内されたのは、女児棟の入院室だった。
女児棟と言っても、室内は子供が楽しめるものなど何もない。
灰色の壁と、鉄格子でふさがれた窓があるだけの、牢獄のような場所だった。
(織歌さんはいないのか? 彼女が静かにしているはずもないし……)
騒ぎたい盛りの子供がいるはずの場所なのに、不気味なほど静かだった。
こんなところに閉じ込められて、あの織歌が黙っているとは思えない。別の場所にいるのだろうか。
彼女を見つけるのには時間がかかりそうだが……
(まずは、傷ついてる子供と話をしよう)
困っている人がいるのにそれを放り出して織歌の捜索に専念することは、私にはできなかった。
ダミアンが知ったら怒るかもしれないが、十字架を奪われても私には神父の役割がある。
「こんにちは。お話をしませんか?」
【治療中に怪我をした子供】――
名前も知らないその子はベッドの上で薄汚れたブランケットにくるまって顔を見せてくれない。
ブランケットのサイズからして、中にいるのはかなり幼い子供なのだろう。
人の声に怯えているのか、ブランケットごしにかたかたと震えているのがわかる。
「私もあなたと同じで、患者です。何も怖いことはしません。約束します」
自分が同じ立場だと告げると、子供は警戒心を少し緩めてくれたようだ。
恐る恐るブランケットから顔を出す。
「っ――!!」
そこにいたのは、まさに求めていた人だった。
「お、るか……さん……?」
織歌の体が子供になっている。
そんな話を半信半疑で聞いていたが、目の前の子供が【織歌】であることは直感でわかった。
黒い髪。桃色と水色の混ざった、特徴的な瞳の色。
迷いのない瞳と、堂々とした佇まい。
それは生意気とも傲慢とも揶揄されるが、己の出自を恥じる自分から見ればこれ以上ないほど眩しく見える。
まるで物語の主人公のようだった愛しい女性。
だが再会できた彼女は、怯える哀れな子供と化していた。
心の中まで見透かすかのような強い意志を持っていた瞳は輝きを失い、怯えるようにこちらを見ている。
私のことがわからないのか?
腫れた頬は”治療”と称した暴力の後なのだろうか?
あの美しく気高い女性の矜持が、何者かの暴力によって蹂躙されてしまったのだと、嫌でも理解できた。
「だれ?」
「……わ、私はエンゼルです。仲良くしてくださいね」
彼女には私の記憶がないようだった。
だが私の怒りも悲しみも、目の前の彼女に悟られてはいけない。
ぐちゃぐちゃになった感情を押し殺して微笑みを向けると、織歌は少し安心してくれたようだ。
「何か困っていることはありませんか?」
「…………」
普段の織歌では考えられないほど、子供の織歌は静かだった。
何か喋ろうとして口を開くが、すぐに悲しい目をして口をつぐんでしまう。
英語が喋れないのかもしれないし、話したくない理由があるのかもしれない。
なんにせよ、今の彼女を問い詰めても答えは出ないだろう。
「よく眠れてますか?」
「ん-ん」
簡単な質問を振ると、否定するように首を振る。
織歌の返答通り、目には隈ができていて、ほとんど眠れていないようだった。
「じゃあ、少し眠りましょう。私が近くにいます。怖い人は来ませんよ」
本当は今すぐここから連れ去りたいが、厳重な警備を考えると現実的ではない。
ならせめて、やっと再会できた愛しい人を少しでも癒してあげたい。
「…………でも」
「あなたのことは絶対に守ります。私はあなたの味方です」
「……………………」
渋々、といった顔で織歌は横になる。
横になるとうとうとと眠そうな顔をするが、何かに怯えるように体を震わせたままで、上手く眠れていないようだ。
「大丈夫、大丈夫……」
幼い子供の痛々しい姿に心が痛む。
安心してほしいと、ブランケット越しに小さな体をぽんぽんと叩く。
「――♪♪」
静かに眠れるように、祈る気持ちで子守歌を歌った。
幼い頃、寝かしつけでよく聞いていた歌だ。
歌っていたのは……父親だった。
ポーランド系の一族の自分にとって、歌詞も旋律も聞き馴染みのないものだったが、奴が日本の神だと知った今なら理由がわかる。
あれは日本の歌だったのだろう。
「………これは」
織歌が眠りについたとき、淡い光が彼女を包む。
小さく震えていた体はくたりと力を失い、その後すぐに静かな寝息が聞こえてくる。
眠ったのだ――まるで魔法にかけられたかのように。
「驚いた。それ、【破邪の歌】だっけ? キミでも歌えるんだ」
目の前の光景に驚いていると、後ろから声がかけられる。
そこにいるのは、アッシュブロンドにアイスブルーの瞳の、細身の男。
心臓が一瞬、音を止めた。
その男のことを、私はよく知っていた。
「お、まえは……」
「久しぶり、アンヘル。大きくなったね」
――おそらく、この世の誰よりも。
「ウヅマナキ……」
「こら、父親にそんなこと言っちゃダメでしょ」
男は笑って言った。
口の隙間から見える鋭い犬歯が、まるで鮫の牙の様で怖かった。
「ちゃんと呼ばなきゃ、「お父さん」って」
エンゼルはたとえ織歌じゃなくても、怯えている子供は見捨てません。
海魔が絡まなければ基本とても善良な人なのです。
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