63「rabbit」※閲覧注意
★★★閲覧注意★★★
この話には 児童への虐待・暴力描写 が含まれます。
精神的にきつい表現が続くため、読む際は十分ご注意ください。
※ 読み進めるかどうかは自己判断でお願いします。
※ 苦手な方は、この回は飛ばして次から読んでも大丈夫です。
――シカゴ、D精神病院。
その建物は町外れの灰色の空に、ひときわ暗い影を落としていた。
三階建ての赤レンガの巨塊。
壁は雨で黒ずみ、錆びた鉄格子が窓を塞いでいる。
建物を囲むように、あらゆるものを拒絶するかのように、鉄製の柵が外部からの侵入を阻む。
病院内は鬱屈としていて、初夏とは思えない寒々しい空気に満ちている。
ベインブリッジは嘆息すると、病院の中へと足を進めた。
中へ入ると、長く伸びた廊下が待ち受ける。
冷たい石畳の床には患者の靴跡が薄黒くこびりつき、消毒薬とカビの臭いが鼻を刺した。
壁には白いペンキが塗られていたが所々剥がれ、灰色の地肌が覗いている。
「ベインブリッジ少将、いらっしゃっていたのですか」
ベインブリッジの姿を確認すると、病院の職員が慌てて駆け付ける。
「私の友人が連れてきた子が気になってね」
「ああ……7日の……」
「そう、7日の」
この病院は十数年前に資金難で廃業しかけたところを、そのころはまだ資金に余裕のあった軍が”処理”様にするために支援して持ち直した経緯がある。
それ以来、軍にとって不要な者たちがここに落とされ、監禁され、不要になると処理された。
職員たちは処理目的で預かっている患者を特別な数字で呼ぶ。
それは処理までの日数――残された命の時間。
「決められた日付け以外で死なない様気を払っていますが……」
「おや、何かあったかね」
【7日後に殺す子供】について語る職員の表情は暗い。
ベインブリッジが尋ねると、職員は困ったようにつぶやいた。
「……元気が良すぎるんです」
***
海神織歌。
病院での呼び名は【7th】。
アメリカに身寄りのない6歳の日本人の少女は、突如見知らぬ病院に監禁された。
英語も話せず、頼るものもいない環境で織歌は――
女児病棟で天下を取っていた。
「コラ! 今は治療の時間だろう!! 室内に戻りなさい!」
「キャハハハ! くやしかったらつかまえてみんね!」
「オルカ! あいつ わるいやつ!」
まだ病院に来て1日しか経っていないというのに、織歌は適当な英語で他の子供たちと意思疎通を取ることができていた。
鬱屈とした病院に閉じ込められ、治療と称した虐待に子供たちは怯え切っていた。
だが、織歌は酷い扱いを受けると必ず仕返しをし、気に食わない治療からは逃走する。
あまりにも堂々たるガキ大将っぷりに、幼いながらも自然と子供たちからの人望を集めていた。
「先日は冷水治療をしようとした看護師を逆に冷水桶に突き落として……」
「はは。元気なことだ」
「今日も子供たちと協力して治療室から抜け出したようです」
困り果てたような職員の視線の先には、子供たちに囲まれる織歌がいた。
思えば、彼女の周りには常に人がいた気がする。
胸を張って、人の目を見て、言いたいことははっきりと言う。
簡単なことのようで、それをできる人間は少ない。
(これがカリスマというやつか……)
ベインブリッジは織歌の姿を遠い目で見つめた。
「……彼女とふたりで話したい。場を用意してくれ」
「はあ……しかし御覧の通り現在逃亡中でして……」
「魔法の言葉を使えばいい」
「魔法?」
「【家族が面会に来ている】と」
◇ ◇ ◇
『お母さん!?』
魔法の言葉の効果はてきめんだった。
先ほどまで中庭で暴れまわっていた織歌は、あっさりと面会室に駆け込んできた。
『日本語』はわからないが、おそらくは父か母のことでも呼んでいるのだろう。
だが、期待に胸を膨らませて、寂しさに目を潤ませて飛び込んだ部屋の中に、織歌の求めてる人はいなかった。
「やあ、久しぶりだね」
「あれ……」
家族に会えるとばかり思っていた織歌は、待ち構えていたのが別人だと知ると見るからに動揺した。
強がってはいるが、よほど寂しかったのだろう。
泣きたい気持ちをぐっとこらえるように、唇を噛んでいた。
「残念だが君の求める人はまだ来ないんだ」
「あっ、あんた……! あのときのくそやろう!」
だが生来の気の強さからか、目の前にいる男が自分を蹴り飛ばした男だと思いだすと、悲しみをすぐに怒りに変える。
暴力を振るわれた後だというのに、恐れる気配すら見せずきゃんきゃんと噛み付く姿勢は、子供ながらに大した胆力だと感心させられる。
「病院では悪い子なんだって?」
「なんね! あんたにかんけいなか!」
「ははは、なかなかユニークなイントネーションだ」
「ばかにしとるね! ばかたれ!」
「そうは言うがね。君があまり暴れると、君をここに入れた私が怒られてしまうんだ」
ベインブリッジは薄笑いを浮かべたまま織歌を見つめる。
部屋には椅子が並べられているが、警戒している織歌は扉の前から離れようとしない。
「大人しくできたら褒美をあげよう。ベッドで寝たくないか? ああ、日本にベッドはないかな」
「きたなかシーツよりずっときれいなふとんでねとっとね! ばっちいの、きさんらは!」
「おやおや、差別発言はよくないぞ。君らしくない」
「あたしのなにをしっとっとね! うそつき!」
一発撃てば二発になって帰ってくる口撃にベインブリッジは苦笑する。
少なくとも今の君よりは知っているよ、と甘い声で囁きながら織歌の元へ歩み寄る。
「君はまるで物語の主人公のように、清く正しく美しい女性だったよ」
「……ふん。わかりゃええったい」
褒めそやすと気を良くしたのか、織歌は照れながらぷいと横を向く。
お世辞も皮肉も言葉通りに受け取る、あまりにも素直な反応に呆気にとられてしまう。
ああ、ニューヨークで会った時もこんなことがあったな。
「だが……猿には過ぎた役割だ」
「ばかにし――」
――パァン!!!!
ガラスが割れたかと思うほどの破裂音が響く。
ベインブリッジの容赦のない平手が、幼い織歌の頬を打つ。
「口の利き方に気を付けろ、猿が」
軍人の容赦ない一撃は、6歳の子供には重すぎた。
衝撃で地面にたたきつけられた織歌は、脳が揺れてしまったのかすぐには立ち上がれない。
「っ……うっ……」
「おや、泣かないのかい」
織歌は泣かなかった。
必死で痛みをこらえながら、ベインブリッジを睨みつける。
こちらを覗くピンクと水色の神秘的な瞳が、ベインブリッジをどうしようもなく苛立たせた。
――パァン!
生意気だともう一度平手を打つと、織歌の軽い体は再び地面に崩れる。
「君の英語はひどい訛りだ。舌の使い方がわからないのか? ほら、舌を巻いてごらん」
ベインブリッジは織歌が亀のようにうずくまることを許さず、顎を掴んで上を向かせると、乱暴に揺する。
「あっ……うぁ……」
何か言いかける織歌を嘲笑いながら、「正しい発音を教えてやろう」と言って頭をゆする。
「Rだ、Rの発音が悪いな。ほら、I am a rabbit.(私はウサギです)、言ってみろ」
「あ、あい……あむ あ わびっと……」
「ダメダメ。酷い発音だ」
ここにきて、織歌はとうとう暴力に屈した。
言われたとおりに声を出すが、当然すぐには矯正できない。
震える舌で紡いだ言葉をベインブリッジは笑い、さらに平手打ちをする。
「ダメだ。もう一度」
「……あ、あ、あ…………」
「ほら、どうした? その可愛い口で言ってごらん。オウムの方がまだよくしゃべる」
折れた。
ヒロインの心を折ってやった!
どす黒い快感がベインブリッジの脳を焼く。
革手袋をつけたままの手を織歌の口に押し込むと、舌を掴んで引っ張る。
「悪い舌はこれか? お医者様に切ってもらおうか? おまえの汚い言葉は洗ってやらなきゃな」
「うっ…………おえっ…………」
小さな口に入り込む武骨な手に耐え切れず、織歌は嘔吐した。
吐しゃ物はほとんど透明で、碌な食事をしていないのがわかる。
そんな環境でも腐らず屈さず、気丈に子供たちの輪の真ん中にいたヒロイン。
その誇り高い魂は、圧倒的な暴力によっていともたやすく崩れ去ってしまった。
「自分で綺麗にするんだ」
ベインブリッジはうずくまる織歌の頭を踏みつけ、地面にこすりつける。
織歌の心を折って十分満足したのか、そのまま職員に「あと6日」と伝えると振り返ることなく去っていった。
そう、職員はずっといたのだ。
織歌が暴力を受けている時も、泣いている時も。
織歌の痛ましい姿を見て、職員の心は強く傷んだ。
震える小さな背中を優しくさすり、「大丈夫大丈夫」と慰める。
そして憐れみをもって伝えた――
「明日からは、いい子にできるね?」
――賢い奴隷であれ、と。
ハードなのはここまで。
次回からまたアホアホなノリに戻ります。
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次回は9/24(水) 21:10更新です。




