第二部【織歌救出編】62「天国と地獄」★海神勝
乙女ゲーム「海神別奏」は転生悪役令嬢によって破滅ルートへ向かっている。
ゲームのモブであったはずのヒロインの父親・勝はヒロインを全員救済逆ハーレムルートへ誘う使命を与えられた。
ヒロイン・織歌は着実にキャラクターを攻略するものの、ラスボス・ウヅマナキによって【シカゴ】に攫われてしまう。
【ここは『海神別奏』というゲームの世界なんです。
でも、破滅フラグを回避しないとみんな死んじゃうんですよ!】
二十年前に戦死した俺に、転生令嬢・乙女と名乗る少女が現れてそう言った。
そいつが話すのは、この世界が物語であるとか、自分が作者だとか、破滅へ向かっているとか、訳の分からない事ばかり。
はじめは心底どうでもよかった。
【この物語のヒロインは、あなたが拾った「織歌」なんです!】
だが、乙女は俺に役目を与えてくれた。
【あなたは娘である織歌の元へ行き、全員を救うための“逆ハーレム戦略”を進めます!】
俺が拾った赤子――家族になりたいと願って、叶うことなく死に別れた織歌。
その子を今度こそ守り抜け。
そんな機会を俺にくれた。
それは何の感情もなく生きてつまらない死に方をした俺にとって、初めて見た希望の光だった。
織歌は何があっても守り抜く。
そのためなら喜んで死ぬ、全てを捧げてみせる。
そう、思っていたのに。
織歌は攫われ、力を奪われ、命の危機に瀕している。
あれほど誓ったのに、願ったのに、俺は何も成すことができなかった。
◇ ◇ ◇
攫われた織歌を救うため、俺たちはニューヨークを離れシカゴに向かっていた。
ニューヨーク発シカゴ行きの寝台特急・一等車。
金持ちのために誂えた、まるで城の中のような豪華絢爛な車両。
その食堂車で、俺はシュヴァリエと謎の男と食事をしていた。
「僕はエヴラード・G・バーラム。弁護士をしています」
織歌奪還作戦の会議に当然のように居合わせた、攻略対象ではない男。
ある程度の物語の顛末を知っている俺ですら知らないその男の正体は、あっさりと判明した。
「”ロウヤー”」
「惜しい。ローイヤーです。でも素敵なイントネーションですよ」
エヴラードは金髪碧眼で、世間を知らない頃の俺が想像していた白人の象徴のような外見をしていた。
上等な生地のスリーピースのスーツに、優雅な所作からは育ちの良さがうかがえる。
シュヴァリエが言うには、WASP(White |Anglo-Saxon Protestant)という、アメリカ白人社会の中で最高位に存在するエリート中のエリートらしい。
(濃い奴が現れたな……)
この男のことは乙女から得た情報にも書いていなかった。
物語が本来の筋から大きく離れたがゆえに出てきた人物なのだろうか。
(物語が変わりつつある)
これはいい変化なのか、悪い変化なのか、俺にはもうわからない。
「サー・ヘイダルの金融・不動産・資金洗浄などを行っています。表向きの仕事もありますので、サー・ヘイダルとの関係はご内密に」
「表にも裏にも顔が通じる方だ。無理を言って付き合ってもらった」
「ボスの我儘ならともかく、シュヴァリエさんにも頼まれたら断れませんよ――ああ、どうぞ」
きな臭い話をしている最中、給仕がワインを持って現れたのでエヴラードが話題を止める。
「失礼いたします。ワインのおかわりはいかがですか? ミスター・バーナム、ミスター・イス――」
「お願いします」
「ああ、頼む」
給仕は一礼すると、丁寧な所作でワインを注ぐ。
上流階級を相手にしている商売のためか接客態度も上等なものだ。
存在感を放たず、しかし存分な快適さを提供する。
そんな給仕のサービスを、エヴラードもシュヴァリエも自然と受け取っていた。
「ミスター・ワダツミはいかがですか?」
「………… ”も” ”もらう”」
だが、そのサービスが俺にも提供されることは予想外だった。
他人事のようにぼんやりと眺めていると突然声をかけられて動揺する。
奪還作戦のため、俺は公爵家の縁者に見えるよう身なりを整えている。
紋付羽織袴に着替え、ぼさぼさだった髪は後ろに撫でつけるように流し、傷でふさがってしまった右目は眼帯で隠している。
出会ったばかりの織歌だったら「正月のヤクザだな」と笑ってくれただろう。
だが、ここまで着飾っていても、自分が接待される立場にいるとは思ってもみなかった。
(……アメリカに染まりすぎた。織歌に怒られるな)
知らないうちに、自分を下に見すぎていたようだ。
拙い英語で礼を言うが、給仕はそれを笑うこともなく、恭しく礼をして去っていった。
豪華な一等列車。
革張りの椅子に、ベルベットのクッション。
美しい男と賢い男を周りに並べて、他の客からの羨望の瞳を浴びる。
拙い言葉遣いをしても誰も笑わず、人として敬ってくれる。
俺の普段の状況とは天と地ほどの差があるが、目の前にいるエヴラードとシュヴァリエにはこれが日常だったのだろう。
同じ卓について同じ酒を飲んでいるのに、ふたりと距離を感じてしまう。
俺は注がれた酒をぐいと飲みほして、もやもやする気持ちを忘れようと努めた。
◇ ◇ ◇
勝が一等席に戸惑っている一方で、三等席にいるダミアンとエンゼルはまさに地獄の中にいた。
「インディアンがなんで席座ってんだ! どけよ!」
初夏の熱が社内を蒸し、大勢の人間が無理矢理乗り込んでいるせいで、酒やたばこが煮詰まったような悪臭が車内にただよう。
クッションもない木製のベンチに、ぎゅうぎゅうと押し込まれるように座っているダミアンに男が絡み、胸ぐらをつかんで揺さぶる。
突然の暴力に周りの客は驚いて騒動の元を見るが、中心にいるのがネイティブアメリカンだとわかると、嫌そうに距離を開けるだけで誰もが見て見ぬふりをした。
「……乗車賃払ってんだ、どこに座ろうが勝手だろ」
「散々鉄道建設の邪魔しといて、よく乗ろうと思ったな!」
奪還作戦のため、今のダミアンはマフィアのボスという肩書を捨て、ぼろぼろの身なりで労働者を装っている。
暴力という武器が無くなった途端、誰もダミアンを見ようとしないし恐れることもない。
「地面に座ってろよ、野蛮人」
「………………」
ダミアンは怒る気にもならなかった。
こんな挑発は、生きている間に死ぬほど聞いてきた。
何と言葉を返そうが無駄だということも、嫌というほど知っている。
(この扱いが悔しくて、だからのし上がったってによ……織歌のために逆戻りか……)
身分を隠してニューヨークを抜け出そうとしているのに、下手に暴れるわけにはいかない。
そう”賢く”判断し、席を譲ろうとしたときだった。
「よしなさい。先に座っていたのは彼です。人種を理由に席を奪うことは許されませんよ」
「ああ? 何で神父がインディアンを庇うんだよ!」
「あなたという罪人を咎めているのです」
ダミアンのために軽食を買ってきたエンゼルが騒動の中心にずかずかと割り込んでくる。
それはダミアンにとって全くありがたいことではなかった。
(この馬鹿、潜入任務だってわかってんのか? 目立つ真似すんじゃねえ……)
こんな労働者ひとりくらい、ダミアンの力でどうにでもなる。
それでもあえて引いた態度を取るのは、自分の正体をばらしたくないからだった。
だが空気の読めないこの男は、そんなことなどすっかり忘れて己の正義心の為に人を正そうとしているのだった。
「彼に謝りなさい」
「ああ!? ふざけんな!」
「いや、もういいから……」
「謝りなさい。あなたの差別的な態度を神は赦しません」
「テメエいい加減に――!」
エンゼルは冷静に話しているものの、ダミアンの制止の声など聞きもしない。
冷たい瞳でこんこんと説教をする厳格な神父の姿が癇に障るのか、絡んできた男の標的が明確にエンゼルに変わっていく。
逆上した男は拳をエンゼルに振り上げる。
殴られる――そんな瞬間にも、エンゼルは顔色ひとつ変えず静かに男を見つめていた。
「おい、神父様に手を出すのは違うだろ」
だが、神父への暴力を周りの客は許さなかった。
この国ではカトリックの神職者は尊敬の対象だ。
ダミアンが絡まれている時は見て見ぬふりをしていた男たちも、神父相手の暴力となれば見過ごすわけにはいかない。
次々に現れては、神父を守るように暴れる男をいさなめる。
「神父様の言う通りだ。もうその辺にしとけよ」
「クソっ――!」
「神父様、怪我はないか?」
「え、ええ。あっ、彼は……?」
「いいだろアイツのことは。トラブルになるからほどほどにしときな」
注目がエンゼルに集まったのをいいことに、ダミアンは静かにその場を去った。
三等車の端、ベンチの影に隠れるように地面に座り、帽子を深くかぶって周りの視線を遮る。
誰からも見えないように、静かに、影のように――
織歌がいた時の彼なら決して見せない姿で、ダミアンは静かに時が過ぎるのを待った。
***
一等席のシルクのベッドに横たわるシュヴァリエと、三等席の汚い床に座り込むダミアン。
同じ列車にいるのに、ふたりの間には大きな壁が生まれつつあった。
それぞれの思惑を載せて、列車はシカゴへ向かう。
20時間の長い旅路は、織歌に残された7日間のうちの1日を丸ごと消費する。
もう、あまり時間は残されていなかった。
【織歌処刑日まで、あと6日】
新キャラは「エヴラード」くん。
攻略対象かどうかも謎のまま!
新章をお楽しみに!
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次回は9/22(月) 21:10更新です。




