52「構いません。4人目にしてください」★エンゼル・A
「私の父――ウヅマナキ」
織歌さんの説明に合わせて、私の口から奴の名を口にする。
海神勝に対して、私は自分から正体を打ち明けた。
神の奇跡でも洗い流せない血を……認めたくなかった自分の本性を。
「”ウヅマナキ”」
「……私は、海魔と人間の混血。半魔なのです」
海神勝はどんな反応をするだろうか。
半魔という出自を棚に上げて、海魔である彼を殺そうとした裏切り者か。
卑しい身で神に使える汚い罪人か。
何と言われても、私はもう、すべてを受け入れるつもりだった。
「”ふうん”」
しかし、海神勝の反応はあっさりとしたものだった。
まるでとうの昔から知っていたような……
「聞いてください」
それでも、私は彼に伝えるべきことがあった。
エンゼル・A――いや、アンヘル・ジェリンスキという愚かな化物の話を。
◇ ◇ ◇
話はエンゼルと織歌が水牢に閉じ込められた時に戻る。
「日本の神話では、海底は死の世界、なんですよね」
体にまとわりつく海水に身を任せたまま、私は織歌さんに語り掛けた。
人の魂は海で穢れを落とし、永遠に老いない世界へと旅立つ。
浄化されなかった穢れ、罪の塊は形を成して人を襲う。
それが、海魔。
それらを統べる神は孤独だった。
彼は幾度となく人の世に混じろうと海を越えようと試みた。
人の子の技術が発達し世界の海がつながった時、ついに人間に化けてこの世界に降り立った。
人の世で仮に付けた名はヤン・ジェリンスキ。
ポーランド系の労働者の男の姿は、このニューヨークでは恐ろしいほど馴染んだ。
彼が何者なのかなど誰も興味を持たない。
それでも教会という小さなコミュニティの中で確かな人間関係を築き、孤児院を経営する女性と子供を作った。
そうして生まれた私は、アンヘルという名で孤児院の子供たちと共に暮らした。
貧しく、平凡で、それでも幸せだったと思う。
だが父が私たちを愛していたとは思えなかった。
アレは好奇心でのみ動く化物だ。
神である自分が人と子を作れるのか、生まれた子供はどうなるのか、それを調べたいだけの交配だった。
だからある日、アレは私を海底へと導いた。
半魔の私に死の国へ行く資格があるのか知りたかったのだと思う。
手を繋いで海を歩く。
水が足に絡みつき、波が体を揺する。
だが、浮力など無視して脚は地を踏みしめ続け、ただまっすぐ歩くことができた。
常人ならしなければならない息継ぎが私には必要なかったと気づいたのは、海の底へたどり着いた時だった。
私は――死の国へ行くことができた。
果てしない闇の中で無数の海月が輝き、人の形を失った化物が地を這っている、地獄と天界のどちらでもない冥府。
そこにたどり着いて、私は知ってしまった。
私は悪魔の子だ。
私の信仰する宗教とは全く違う概念の中に存在する異端者。
そして私の手を握る父は――人間ではないのだと。
地上に戻った時、私は恐ろしくて逃げだした。
自分が悪魔の子であるとわかってしまったのに、それでも信仰にすがって神父になった。
自分が何者なのかを知りたい、その勇気をやっと手に入れて再びニューヨークの地に戻ってきた。
だが、もうアレも母も……孤児院さえもどこにもなかった。
私はこの世界でただひとりの化け物として、自分が何者かもわからぬまま残された。
***
「この地下水牢は、アレが使っていた出入り口です。死の世界とこちらの世界を繋ぐ境界」
「それで破邪の折神が使えないのか……」
私は織歌さんに全てを明かした。
彼女は何と答えるだろうか……恐ろしくて顔を上げることもできない。
だが水は腰元まで迫ってきていて、私たちは互いを支えるように体を寄せ合う形になる。
「ごめんなさい、織歌さん。命まで奪うつもりはなかったのです」
私は愚かだ。
己の弱さを醜さを認めることができず、人を責めることで自分の正当性を確かめようとして……
その結果、無辜の女性を命の危険にさらしている。
私はやはり、悪魔なのだ。
「今までの全ての不運もみな、悪魔の子である私を神が罰そうとしているんです」
私が自嘲気味に話す言葉を、織歌さんは静かに聞いてくれる。
「それなのに私は神に許しを請うて、浅ましくも生きてきた。神は正しかった。私はついにあなたという罪のない人を殺しかけている……もっとはやく……罰を受けて死ぬべきだった」
神よ。
彼女に罪はないのです。
どうか彼女の命だけは、お助けください。
「罰なんかじゃありませんよ」
それはまるで天使のような声だった。
織歌さんは私の頬に手を添えて、私の顔を上げる。
目線が合うと、織歌さんの朝焼けと海の境目のような色の瞳がよく見えた。
「あなたの不運はすべて、あなたがぼんやりしてるからです。歩くときはちゃんと前を見なさい、部屋は片づけなさい、人を脅す時はちゃんと事前練習をしなさい」
「……ごめんなさい」
そして私は、ひとまわりも年下の女性に普通に叱られた。
「あなたは誰よりも人を愛しているじゃないですか。あなたが忌み嫌う海魔の父にさえ、決して人種で差別するようなことは言わなかった。人の命を祝福できる人を、罰する神はいませんよ」
その声は厳しくも優しく……母のような暖かささえ感じるものだった。
心臓が熱くなる。
彼女の瞳から目を離せない。
私はこの熱の正体に気づいてしまった。
「あなたを……愛しています」
こんなことは許されない。
悪魔を恐れて家族から逃げて、その罪から逃げて、神に全てを捧たのに。
私は神すらも裏切って……この女性を愛してしまった。
「私は婚約者が3人いますよ」
「構いません。4人目にしてください」
「神の誓いはよろしいのですか?」
「あなたの元にいたいのです」
彼女は違うと言ってくれたが、胸元まで迫りくる水はそんな私を罰するためにあるようだった。
それでもかまわない。
私はこの熱を、この女性と分かち合いたかった。
「どうか信仰を捨てないで。あなたの罪はすべて私が背負います。あなたのままでいてください。そんなあなたが……私も好きだから」
神よ。
あなたが私を罰するとしても、せめて最後の罪だけはお許しください。
私は織歌さんの唇に唇を重ねる。
キスなんてしたことはない。
やり方も知らない不器用な口づけを、織歌さんは暖かい体温で迎えてくれた。
水はもう首元まで迫っている。
背の低い織歌さんの足はすでに地面から浮いており、私の腕でのみ支えられている。
それでも、彼女の瞳に恐怖はなかった。
「……こんなことになって、本当にごめんなさい」
「最期に愛しい人と過ごせるのに、何を謝ることがあるんですか」
その言葉に、私は返事をすることができなかった。
水は私たちを覆いつくし、空気を奪って体を冷やす。
行く先はやはり、父のいる場所なのだろうか。
『織歌! エンゼル!』
迫りくる死に身を委ねた時、水中でもわかるほどの声が響く。
それは私がずっと命を狙ってきた――海神勝の声だった。
◇ ◇ ◇
彼はこの後海魔の力をもって結界を破り、私たちを助けてくれた。
当然この状況に怒り、私を殺そうと問い詰めた、というわけだった。
すべての説明が終わると、海神勝は頭を抱えてしばらく悩んでいた。
当たり前だ。
聖職者であり、半魔であり……なにより敵対していた者のことなど簡単には受け入れられないだろう。
「”戻ろう” ”とにかく”」
彼の言葉に従って、私たちは地上へ戻ることにした。
エンゼルが失踪した後、ウヅマナキも姿を消しました。
エンゼルの母は夫と子供は海でおぼれたのだと思いしばらく捜索を行っていましたが、数年たった後捜索を断念。
もう二度と海を見なくて済むように内陸に移住して、今もどこかで静かに生きています。
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