50「地下拷問部屋」★海神織歌
『――それで、私とエンゼル神父はここまで来た』
私は父を……いや、今は兵曹として話をしている海神勝に状況を説明する。
少し興奮の冷めてきた彼は静かにエンゼル神父の首元から手を離すと、私の言葉の続きを待っている。
『続けろ』
『兵曹、言葉遣い』
『…………続けて、ください』
『よかろう』
……この先の話に彼が怒りそうな部分がたくさんあるので、誰が偉いかはっきりさせておかないといけない。
場の主導権を奪い返せたので続きを話すとしよう。
私がどうしてエンゼル神父と婚約したのか――この【地下拷問部屋】で。
◇ ◇ ◇
私はエンゼル神父の後を追い、教会の中の司書室へ向かった。
司書室は教会の奥まった一角、扉には「PRIVATUS(私室)」と擦れた金文字が残るプレートが釘打たれている。
外来者はまず立ち入らない、神父と教会のごく一部の者だけが知る静寂の聖域。
三方の壁を重厚な書棚が覆い、本で埋め尽くされている部屋。
エンゼル神父はその中の一冊の本を取り出すと、その奥にあるスイッチを入れる。
ゴウン――と音を立て、書棚のひとつが扉のように開かれる。
その先には石造りの道が暗闇の中へ続いていた。
「隠し部屋、ですか?」
「ええ。この教会の建設時からありました。地下の海底洞窟につながっています」
「なぜそんなところに……」
エンゼル神父はその質問には答えず、私を振り返ることもなく前に進んでしまう。
暗闇の先に灯りはなく、夜のような闇が広がっている。
だというのに、あのドジっ子のエンゼル神父はどういうわけか、転ぶこともなく器用に歩いていく。
(――かなり頻繁にここにきているようだな)
ふと、警戒心が沸いた。
私は懐に忍ばせている折神に軽く触れる……今持っている武器はこれだけだ。
だが私の折神の能力は攻撃的すぎて、迂闊に使えば殺してしまう可能性がある。
【邪魔をするならあなたから殺します】
初めて出会った時のエンゼル神父の言葉を思い出す。
彼と接してみて、彼の人柄に触れることはあったが……海魔を前に冷静でいられない姿は目に焼き付いている。
【彼のことを知った上で、徴兵するかどうかを判断してください】
だが、同時に彼の口から出る愛にあふれた言葉も知っている。
私は悩み、祈るように折神を握りしめた。
◇ ◇ ◇
道の先には階段があり、ひたすら下へ進む。
元に戻れなくなるのではという不安すら湧いてくるほどの深さだ。
(海底洞窟か……。深さも場所もわからない以上、さすがに泳いで陸地に行くというのも無理だろう、逃げ場が無くなるな)
そんなことを考えているとエンゼル神父が立ち止まる。
真っ暗でな上に手持ちのオイルライターでは火をつけっぱなしにできず、ほとんど何も見えないが、どうやら目的地に着いたようだ。
「うわあ……」
教会地下の秘密の部屋……嫌な予感は当たった。
中は想像通りろくでもない場所で、石造りの壁には湿気を吸った十字架の装飾と、聖書の一節の写しが飾られている。
部屋の中央、黒革で補強された拘束椅子が鎮座している。
両腕・両脚・喉元、そして尾骶骨まで固定する金属ベルト。
人間の身体じゃなく、“異形”の身体を測ったサイズ感。
拘束具には聖句が刻まれた銀の鋲が打ち込まれ、ただの物理拘束じゃないのがわかる。
部屋の隅には、所狭しと並ぶ拷問具……が適当に置かれている。
「ちゃんと片付けましょうよ」
「で、でも、使いたいときに使える状態になってる方が便利ですから!」
「銀の棒に、斧に……これは棺桶ですか? 倒れたら危ないでしょう」
「だって海魔って毎回サイズ違うし、どれを使うことになるかわからないし……」
「海魔に使ってますね! ここで何の実験してるんですか!」
「この部屋は秘密ですが、海魔研究はちゃんと教会に話を通してます!」
もともと綺麗好きなたちで、軍の生活で整理整頓は徹底的に叩きこまれた私にとって、この部屋は存在自体が拷問だった。
今すぐ片づけたい……まさかエンゼル神父、ここを片付けるのを手伝えと言うんじゃないだろうな。
それにしても――
「海魔は穢れた魂ですよ。肉体的拷問なんて意味がないのに」
「……そ、んなわけ……ない。魂を持つものは救われる価値がある。海魔が魔に堕ちるのは、魂がないからです」
「カトリックの教義とエンゼル神父の解釈ですね。否定はしませんが……」
「見てもらいたいのはこの部屋じゃないです。さらに地下に、海魔を捉えてまして」
「あ! ちゃんと報告してくださいよ!」
「だから今しました!」
エンゼル神父が見せたかったのはこの汚い部屋ではなかったらしい。
今度は壁ではなく床にある黒い鉄の扉の閂を開け、さらに地下を目指す。
目的の最終地点、海底洞窟。
そこは、自然の海蝕洞を利用した水牢だった。
「海魔に何故拷問を?」
「知りたいのです。あれらには血があるのか、痛みがあるのか、悲しみがあるのか――魂が、あるのか」
「……我々の考えでは、海魔は死者の肉と魂を持つ存在です。あなたが考えているすべてを持っているでしょうね」
「そんなわけが……ない……」
「父は魂もしっかりとあるでしょう?」
壁はざらついた岩肌、手を伸ばしても鎖しかない。
天井は先ほど通った黒い扉が一つあるのみで、それも外から鍵がかけられ、閉じれば出入口は完全に封鎖される。
潮が満ちれば水位が上がる……岩肌の水痕を見るに、完全にこの場は水に埋もれてしまうだろう。
だが幸い今は大した水位はない。
「真実を受け入れられなければ相手を知ることはできないですよ」
私の言葉にエンゼル神父は無言で返した。
彼には考える時間が必要だろう。その間に頼まれた海魔討伐を行ってしまおう。
エンゼル神父の言う通り、水の中には蟹のような海魔――長い脚はすべて切り落とされているが――が囚われていた。
<……ニゲテ……ソノ……コワイ……>
まともに喋ることができないし、大きさも大したことはない。これは下級の化物型だ。
潮の流れに乗って迷い込み、エンゼル神父に囚われて逃げられなくなったのだろう。
大した強さでもないし、私ひとりでもどうにかなる。
「下級海魔ですね。すぐに祓えます」
そう言ってエンゼル神父に背を向けた時だった。
「いえ、祓わなくていいです」
かちゃり、とトリガーに指がかかる音と共に、後頭部に冷たいものが当てられる――銃口だ。
だがあまり驚きはない。
エンゼル神父を信じてはいたが、こうなることは覚悟はしていた。
「……どうしてあなたは」
「ワダツミマサルについて知るすべてを答えなさい。そうでなければ、撃ち殺します」
エンゼルは片づけが苦手です。
とても婚約なんて雰囲気ではないですが、この後どうにかこぎつけます!
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