46「Comme un griffon」 ★シュヴァリエ
私は夜目が効く。
月明りを宿した夜の海のような瞳は生まれながらに闇に強く、灯りひとつない空間でも標的を見失うことはない。
金縁眼鏡の男と勝を追いかけた先は地下一階の”仮眠室”だった。
(仮眠室という名の、客取り部屋だろうが……)
男は支配人の許可なく適当に侵入したのか、扉の錠がいびつに曲がり破壊されている。
『……ウヅマナキ……?』
〈キミは僕を知っているはずだ……の……なら……〉
『……何が…………織歌に……』
〈物語の……〉
暗闇の扉の奥で、何事か話している声が聞こえる。
勝は日本語で話しているようで、意味は理解できない。
だが緊迫した雰囲気が扉越しに伝わってくる。
あまり長話をさせると勝が暴れかねないので、私はそのまま扉を開いた。
「そこまでだ。その人を渡してもらおう」
停電はまだ直る気配がなく、地下の仮眠室には乏しい灯りのひとつもない。
だが闇に二人の男の輪郭が浮かんでおり、彼らは両方服を着ていそうなので”何も”始まってはいなさそうだ。
〈……ああ、迎えが来ちゃったね〉
「……っ」
金縁眼鏡の男の声は不思議な響きだった。
英語でもフランス語でも……日本語でもなさそうな響き。
だが、彼が何を言っているのか魂で理解できる。
だが彼の声を聴いていると脳が痺れるような感覚になる。
何か嫌な予感がして、私は勝と男の間に入った。
「彼は商品じゃない。悪いがこのまま連れ帰らせてもらう」
〈ミシェルくん、今大事な話をしてるんだ。もう少しだけ話させてくれないかな〉
ミシェル――こいつは私の本名を知っている。
私は彼の外見に記憶はない。
だが先住民に従う裏切り者として私は有名なので、一方的に知られているのかもしれない。
「彼はあなたと話をする必要はない」
〈関係大有りさ。フラグを折ったキミと違って、彼はルートもないのにこの話に乱入してる〉
「さっきから何を言っている」
不気味な男だった。
暗闇の中のはずなのに、ぎらぎらとした金の瞳と目が合っているかのようだ。
会話の応酬をしているはずなのに、まるで別の車線を走る車のようにすれ違う。
何よりも、この男と話していると皮膚を貫いて臓腑をつかまれているような感覚に襲われる。
『ウヅマナキ! そいつに絡むな!』
〈ああ、ごめんね。秘密だったね〉
勝が男に怒鳴るが、ウヅマナキと呼ばれた男は意にも介さない。
〈勝にひどいことなんてしないよ。安心してくれた? 織歌ちゃんと付き合ってないキミには関係ない話だから〉
「織歌がなんだって……?」
男はへらへらと笑ったまま片手で私をあしらう。
それはまるで先ほど男娼奴隷をチップであしらった私のような、自分が上位者だと信じて疑わぬ傲慢な姿。
反吐が出る。まるで鏡を見ているようで――
「”関係” ”ない” ”ない”」
勝が英語でウヅマナキの話を止め、私の背中を支える。
「”家族” ”だ”」
――ああ、本当にこの人は、織歌の父親なんだな。
織歌と同じ言葉を聞いて、背中に血の通った手のひらを感じる。
――私は覚悟を決めた。
「いや、違う」
〈「”ちがうの?”」〉
私の言葉に勝とウヅマナキが驚いている。
だが私は気にせず言葉を続けた。
「私はダミアンの瞳、勝の牙……そして、織歌の翼だ」
〈詩人だね〉
くさい言葉だ、というセリフをオブラートに包んでウヅマナキが嗤う。
こういう話は嫌いなんだろう、なら、もっとくさいセリフをお見舞いしてやる。
ウヅマナキという男は知らないかもしれないが、私は性格が悪いんだ――先住民を使って、白人に復讐をするほどに。
「私は織歌に憑りつく化け物の如く、彼女の側に居続ける」
〈騎士はやめるんだ?〉
「海のギャングには、化け物がお似合いだろう」
そう言い切った瞬間、プツン、と音を立てて再び明かりが灯る。
暗闇から突如現れた光に目が潰れそうだが、勝もウヅマナキには関係ないようで、静かに私を見ていた。
〈…………そっか、フラグが立っちゃったか〉
ウヅマナキはまたわけのわからないことを言った後〈まあそりゃそうか〉とつぶやいて両手を上げる。
〈わかった。キミは織歌ちゃんと関係がある。今日は引くよ〉
そう言ってウヅマナキは踵を返す。
扉の向こうは廊下になっており、仮眠室よりももっと明るい。
ウヅマナキは扉の向こうの光に溶けて、そのまま見えなくなっていった。
◇ ◇ ◇
停電などなかったかのように、町はいつも通りの賑わいを取り戻していた。
そのまま勝を引き連れてアパートに連れ戻すが、勝はドアノブを握ったまま顔に深い皺を刻んで悩んでいた。
「”どうする?” ”してたら”」
「セックスですか? 若い男女なら当然あり得ますし、別に気にしなければいいでしょう」
「”父親” ”俺”」
ダミアンも織歌も、軽薄ではないが堅物でもない。
愛情の強い彼らが体を重ねていても何ら不思議なことではなかった。
私はそれでもいいと思った。
ダミアンを利用しながら尊敬している。
織歌を愛しながら、彼女がダミアンと結ばれることを望んでいる。
このあいまいな状態こそが私の本心であり、そして私が出した答えはそんな彼らのために「化け物」でいることなのだから。
「”私はオルカです”……なら、Je suis Orka.」
「ジュスイ・オルカ……じゅすい……すい?」
「スィ! もっと、こう……口の奥から。舌巻かずに空気だけで出す感じ」
「……シュィ」
想像と反して、二人は幼児のようなフランス語講座をしていた。
ダミアンは私を部下にしてからフランス語を学ぶようにしていたが、その知恵を織歌に授けているらしい。
「よう」
「おかえりなさい、お父さん・シュヴァリエ」
開けた扉を軽くノックして存在を知らせると、二人は静かに笑った。
「フランス語ですか?」
「ああ。フランス語であなたを口説こうと思って」
「…………情熱的ですね」
織歌の純粋な好意が、私には苦しいほど嬉しかった。
胸が熱くなって、言葉が詰まる。
奪われた文化に、捨てた過去に、喪ってしまった時間に――織歌は愛情をもって触れ、そして抱きしめてくれる。
私はソファに座る織歌の元に跪き、彼女の細い足を手に乗せて足の先にキスをする。
スリッパを脱いで、裸足になった可愛らしい小さな足がびくりと跳ねる。
「Je suis à toi.(私はあなたのものです)」
突然の行動に全員しばらく沈黙していたが、ダミアンが最初に口を開いた。
「…………なんか言ってからやれよ。びっくりさせやがって」
「したいと思ったので」
「”おてんば”」
男たちにやいのやいの言われるが、私はそれを気にせず織歌を見上げる。
困ったような顔を向ければ、織歌の瞳の中に私が映っていた。
「Oui. Je t’aime.(はい。私もあなたを愛しています)」
舌ったらずなフランス語で織歌は返事をして、私の言葉を告白と受け止め、受け入れてくれた。
私は心の奥で嗤った。
フランス語で告げた愛の告白の意味を、彼女は知らない。
私はあなたの家族にはならない。
あなたという宝石を守り続ける化け物の如く、あなたに執着する。
私の本心は隠されたままだ。
ちょっとゆがんだ形で、シュヴァリエ攻略完了です!
次回はラスボス裏話、ウヅマナキのお話です。
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