41「海神勝の就活」 ★海神勝
――これは、海神勝の就職活動の記録である。
◇ ◇ ◇
『おはようございます!!!!!』
まだ寒さの残る春のニューヨーク。
澄んだ空気をぶち壊すような元気のいい娘の挨拶で俺の一日は始まる。
『おはよう……』
『コーヒーをどうぞ!』
織歌は元気だ、元気すぎる。これは間違いなく空元気。
先日シュヴァリエに振られたことが相当後を引いているらしい。
この可愛いヒロインは、幼少期はサル山のガキ大将、学生時代はサル山のアイドルとして生きてきたせいで、振られた経験が一度もなかった。
紆余曲折ありつつもダミアンとも最短距離で付き合うことができたこともあり、自分の好意が否定される可能性など全く考えていなかったのだろう。
振られた日は高熱を出して寝込んでいたくらいだが、どうにか持ち直して気丈にふるまおうとした結果が、この爆音だ。
『今日の私の予定は劇場地下にて海魔討伐関連・帳簿関連の書類整理の後、日米間の戦略協定調整に通訳として同席予定です。終日家にいないので、お出かけの際は施錠を忘れないようにお気を付けください』
『忙しいねえ……』
つらつらと述べられる織歌の予定――さすがに任務内容は小声で話している、は今日も忙しい。
海外派遣役の軍人は織歌ひとりのため、この子の仕事は日米間の調整から現場指揮、予算の管理に至るまで多岐にわたる。
『仕事の後はダミアンとドライブデート。ブルックリンブリッジから夜景を眺めつつ花束を贈り、口付けをして帰宅予定です』
『それは言わなくていい』
だが織歌は自他共に認める有能な人材らしい。
それだけの業務をこなしながらも、ちゃっかり婚約者との逢引の時間も確保している。
妙に詳細な予定は聞きたくなかったが、織歌の毎日は忙しくも充実していそうだ。
『俺も、何か手伝おうか?』
『ありがとうございます! では今日は英語の絵本3冊を読み切れるよう頑張ってください!』
『いや、勉強以外で……』
織歌に比べて、俺ときたら……寺子屋に通うガキのような毎日を送っている。
『仕事のことなどお気になさらず。今日から夜間学校ではないですか! あ、お財布にお金を追加しておりますので、入り用のものがあれば何でもご購入くださいね』
『……ありがとう』
それどころか娘に学費と小遣いまでもらっている身だった。
夜間学校――英語を話せない俺のような移民のために開かれた民間の語学学校だ。
忙しい織歌は俺の語学の面倒まで見切れないので、ダミアンの助言で学校に行くことになった……織歌の金で。
◇ ◇ ◇
「”仕事を” ”ください”」
夜間学校の終わる夜9時、俺は机に突っ伏して講師に泣きごとを漏らしていた。
「ここじゃみんな仕事探してる、まずは英語話せるようになんな」
「”ドム先生” ”したい”」
「俺を口説いてんのか、バカ。言い方、気をつけろ」
講師はよい身なりをした白髪の老紳士だ。
サルヴァトーレ・ドメニコ・カルボーネ――通称ドム。
隠居中の地元の名士だが現役時代はごろつきの面倒をよく見ていたらしく、その面倒見の良さが高じて今も民間講師をしている……というのを織歌に通訳してもらった。
「ドムセンセ、ソイツ ヒモ」
「オンナノコ オカネモラッテル」
夜間学校の生徒は皆俺と似たようなものだ。
働き盛りなのに英語の話せない、ノートも買えない男たちが角突き合わせて石版とにらめっこしている。
そのせいか、共通言語もないのに俺たちの間には妙な一体感があった。
「そりゃ、情けねえなあ」
「ナサケネエナ」
「ソノコ ショウカイシロ」
「”駄目” ”俺の娘”」
他の学校では英語を話せない、金もない苛立ちから喧嘩が絶えない場所もあるらしいが、この学校は穏やかなものだった。
「ボーイ。てめえあれだろ、ヤクザだろ?」
ボーイというのは俺のことだ。
ワダツミ・マサルという名前はどちらも非常に発音し辛いらしく、適当にあだ名をつけられた。
「”わかる?”」
「てめえみたいなのを見たことあるよ。闇で売られてた」
「”何を?”」
「ガキじゃねえんだからよ。わかるだろ……」
この一体感を作っているのは間違いなくドムだ。
それは彼が柔和な性格だからではなく、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持つ瞳に強者の貫録を感じるから。
要は、サル山のボスとしてふさわしい威厳があるからだった。
「英語も話せねえ、堅気じゃねえじゃ、まともな仕事はねえ。あきらめてまずは英語の勉強だな」
歳食ってるだけあってドムの言葉には説得力がある。
こんな状態で焦っても意味ない。着実に歩を進めるしかない。それはわかっているが……
「”なりたい” ”家族に” ”ちゃんと”」
娘に頼りきりでは胸を張って家族だと言えない。
それが嫌で気ばかり焦ってしまう。
俺が肩を落としていると、ドムは大きなため息をついた。
「あの黒髪の嬢ちゃん、あんたの妹か?」
「”妹?”」
「妹の単語も知らねえのか……家族だよ」
「”うん” ”家族”」
ドムの巻き舌の多い話し方の癖はダミアンに似ている気がする。
回らない舌でイタリア訛りの英語をまねて返答すると、周りからからかう声が聞こえる。
巻き舌はずっと苦手だ……単語一つとってもこれだけ苦労してるのに、働きたいなんてやはり無理があったか。
「……過酷で低賃金、ついでにトラブルの可能性あり。それでもいいならひとつだけ紹介できる」
だが、ドムは長考したのちに俺に救いの手を差し伸べてくれた。
「”ホント!?”」
「明日の学校の後、ヘルズキッチンの西40丁目のバーレスクの舞台裏に行きな。ボイラー室だ。何度も言うが、給料は安いぞ」
「”やる!”」
ボイラー室での勤務――たしか、蒸気発生装置を管理する仕事だったはず。
汗だくでスコップ持って火の番人をする、熱い・きつい・危ないと悪い条件が三拍子そろった仕事だ。
俺が生きてた頃の日本じゃ給金は悪くなかったはずだが、国と時代が変わると状況も違うらしい。
だが、働けるのなら何でもよかった。
「英語はちょっと話せりゃ十分。だが訳アリの場所だ。トラブルは自分で解決しな」
「"はあい"」
かくして、俺は職にありつけることになった。
給与の低いきつい仕事だろうと関係ない。
今の俺は「家族のために働く」という役割がどうしても欲しかった。
状況はちょっと変わってパパの就活体験記。
気になる方は、ぜひ次回も読んでみてください!
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