38「Hell Sub」 ★シュヴァリエ
対異常実体特別拘束班・特務E班、通称Hell Sub。
海魔と呼ばれるモンスターを退治するために設立されたその隊は、反抗的な軍人を任務と称して排除できる軍の裏の処刑場と化していた。
フィリピンに駐留していた時、現地で海魔は亡霊だと信じられていた。
アジア人は迷信深いと心の中で嗤っていたあの頃が懐かしい。
軍艦を降りて生身で奴らに立ち向かった時、その噂は本当だと身をもって思い知らされた――
夜の海が呻く。
バチッ、バチッと電線が弾けるような音がして、空気に粘ついた塩の匂いが混じる。
軍艦とは全く違う、頼りない小さな船が大きく揺れた。
霧が裂け、人影がぬらりと現れる。人に見えるが人ではない、真っ黒な影のような生き物、それが今回の海魔だった。
「はっはァ! 来やがったなクソ虫がァ!!」
E班のボンクラ爆弾魔……名前は確か、リッチ。
麻薬に狂った頭はまともに働いていないらしい、海魔を見つけると笑いながら全身に爆薬を巻いて特攻していった。
ドォンッ!!
彼は指示を待たず、勝手に一体に突っ込んだ。爆風と共に海魔の一部が吹き飛ぶ。
[キャアあああ!]
海魔はまるで女のように叫ぶ。
女の影の姿の海魔が吹き飛ぶさまは戦時を思い起こさせて気分が悪い。
だが絶命には至らなかったのか、影の海魔はめそめそと泣くようなポーズでうずくまるだけだった。
「撃へ撃へうへェええ!!」
攻撃を仕掛けたリッチの方がめちゃくちゃな状態になっていた。
奴の左半身は吹き飛び半分だけの体になっている……というのに、麻薬が痛みを飛ばすためか奴は笑いながら残った右手で銃を乱射した。
「チッ!!」
やたらめったらに撃ちまわるものだから、流れ弾がこちらに飛んでくる。
止めろと言っても半分だけの耳には届かないだろうから、私含め残った隊員は物陰に隠れてやり過ごすしかなかった。
はあ、とため息をついて時が過ぎるのを待っていると、脇から黒い僧衣の男が銃を持って歩いて行った。
「エンゼル、危険だ」
「邪魔すぎる。彼ごと排除します。ミシェル、いいですね」
「……どうぞ」
僧衣の男――エンゼル神父が銃を構えると、パァン!と音を立ててリッチの右半身も吹き飛び、絶命した。
エンゼルはそのままゆっくりと海魔に向かっていくと、今度は小さなナイフで黒い影の海魔を切りつける。
あまりに手際が良いせいか、海魔は逃げる暇もなく首を切られて絶命した。
絶命――死んだ魂にその例えが正しいのかはわからないが、とにかく海魔はびくりびくりと跳ねるだけで、喋ることも動くこともなくなった。
「……消えませんね。日本軍のやり方だと消滅するらしいんですが……やり方が違うんでしょうか」
エンゼルはその様をじっくりと眺めて、ぽつりとつぶやいた。
のたうち回る女の影を眺める神父の姿は、地獄の絵画のようだった。
「私が倒した個体は泡になって消えた。この違いは……上層部が日本のやり方を拒む以上、自力で解明するしかないだろうな」
「あちらは1000年近く研究しているんでしょう? 長い道になりそうですね」
意外なことに、エンゼルとの関係はうまく行っていた。
海魔が絡んだ時の彼は冷静で冷酷。人間の情を見せない分、軍としての動きは完璧だった。
「だから、長生きしてくださいね。ミシェル」
「こんな世界で長く生きてどうする」
「あなたがいなければ世界はもっとつまらなくなってしまいますよ」
だが海魔が絡まなければ、彼は素晴らしい友人になる。
穏やかでありながらユーモアもあり、嫌味なく人を肯定してくれる。
彼の存在がHell Subに堕ちた私を救ってくれる――地獄の底で自分を救ってくれるのが神父だなんて、皮肉なことだが。
私はこの状況に満足していた。
軍を降りて、主役を降りて、誰の目もない闇の底で親しい友人と過ごすのも悪くない。
私のお飾り人形としての物語は終わったが、その先にはミシェル・イスという男の人生が待っていた。
――これ以上、望むものなど何もなかったのに。
◇ ◇ ◇
【機密分類:極秘(TOP SECRET)】
発令元:アメリカ海軍アジア太平洋艦隊・人事監察部
対象者:ミシェル・F・L・イス大尉(ID No. ×××××)
発令日:聖暦1921年12月12日
【件名:精神医学的鑑定に基づく隔離措置および任務解除命令について】
診断結果:
当局指定の軍事精神科医による複数回の臨床評価および行動観察の結果、
下記の精神医学的異常が認められたものと判断する。
診断名:
戦時性妄想障害(Combat-Induced Paranoid Delusional Disorder)
— 精神的動揺ならびに対人攻撃傾向を伴う妄想症状を呈し、任務遂行能力ならびに対人指揮統制に重大な支障をきたすと認められる。
処遇指示:
当該人物は、即時**任務を解除(除隊処分にあらず)**とし、
シカゴ陸軍医療監察局付属精神医療施設・D病棟(施設コード:×××)**へ強制移送の上、無期限の観察隔離措置を講じること。
また隔離期間中における外部接触(書簡・面会・報道等)ならびに記録照会は一切禁止とする。
当該人物に関する一切の情報は「軍内処理中」に分類され、公的記録からの抹消を含む再評価の対象とする。
※本通達は機密保持の観点より複写・転送を禁じ、受理者は直ちに原本を破棄し、口頭伝達にて上級指揮官への通告を行うこと。
――――――――――――
それはあまりにもあっけない終わりだった。
麻薬中毒者を戦時下で見捨てた咎で、裁かれる代わりに精神病院に強制入院――端的に言えば、そこで死ねと言うことだ。
自分は軍を華やがせる人形の役割しかなくて、それ以外の道を探すことも許されない。
エンゼルに別れの挨拶さえできなかった。
奇しくもでっち上げの精神病と同じ症状に苦しみながら、精神病棟で死人のような暮らしをした。
だがそれすらも私の人生の幕間のようなものだった。
【“堕ちた英雄”をあなたの傍らに。国家の遺産、今宵限りの贖罪!】
堕ちた将校のブランドが良いと、裏の社会に売り飛ばされた。
抵抗する気力もない、この外見はどこまでも呪いのように私の人生を狂わせていく。
自分を買い漁らんとする愚かな観客を眺めていると、その中から赤い肌がぬらりと現れた。
「それは俺のものだ。言い値で買う」
一目で思考を奪われる、白い世界に垂らされた一滴の血のようなその男。
彼は私の物語を大きく変える男なのだと、直感でわかった。
軍→精神病院→闇オークションと人生のフルコースを味わってきたシュヴァリエ。
次回は織歌との関係の進展が始まります!
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※8月の間は
【毎週 月・水・金・土 / 21 :10更新】の週4更新予定です。
次回は8/11(月)21:10更新です。




