34「The curtain rises」 ★海神織歌
「私から主人を奪っておいて、この程度か……?」
シュヴァリエの冷たい声は、氷を握りしめた痛みのように私の心を刺した。
大量に煽った酒で目が回り、脳がぐらぐらと揺れている。
既に体は限界だが、私を支えるのは勝負への意地だけではない。
「まだいけるだろう?」
油断すればすぐに地面に落ちてしまいそうな体をシュヴァリエが押さえつける。
それは優しさからではなく、倒れる事すら許さないという拷問めいた厳しさから来るもの。
シュヴァリエの執念が私をこの場で踊らせ続けていた。
(ふざけるな……)
それはシュヴァリエへではなく、自分への怒りだった。
ダンスで勝負をつけることも、その前に酒を飲むこともすべて私は承諾した、それでダミアンへの気持ちを証明したいから。
だから、こんなところで腑抜けている場合じゃない。
「わ、私の本気を……死んでも証明してやる!!」
力を振り絞り、ハイヒールで床を踏みつける。
シュヴァリエの藍色の瞳をしっかりと見つめ、彼の元へ向かう。
何も伝えてはいないが、瞳だけで意思が伝わるはずだ。
私はシュヴァリエの前で逆立ちになり、そのまま前転して彼の頭を脚で挟む。
勢いのままに上半身を持ち上げ、そのまま脚を引いてシュヴァリエ胸元に飛び込むように体を回転させる。
縦回転するプロペラのような動きのスピンは綺麗に決まり、観客から歓声が沸く。
「……どうだ」
「素敵です」
成功だ。
したり顔でシュヴァリエに笑いかけてやると、シュヴァリエも不敵に笑い返してきた。
「きゃあっ!!」
「C.A.D.!」
そうこうしている間に戦いは佳境に入っていく。
C.A.D.が大きくバランスを崩し倒れそうになったところをハクレンが支える。
体力がない分技術で魅せてきたペアも、徐々に酒の威力に蝕まれつつあった。
「おい……限界なら言えヨ……!」
「まだまだあ~、大丈夫だって」
いつも強気なハクレンがC.A.D.を不安そうに見つめている。
私からは見えないが、C.A.D.はかなり限界に来ているらしい。
◇ ◇ ◇
「いや、無茶すんなヨ! なんで……」
ハクレンの言葉は演奏と歓声によって阻まれて織歌には聞こえていない。
だがC.A.D.にはしっかりと聞こえたその言葉に、C.A.D.は踊る足を止めないまま答えた。
「あたしさあ、自分に自信ないから、負けるのって全然悔しくなくて……」
「ならもう……いいヨ……」
「ダメ」
C.A.D.の足はふらついている。
プロダンサーとしての経験と体幹をもってしても、酒をさんざんに飲んだ後に慣れない男性役を担った体は限界が来ていた。
だがC.A.D.はいつものようなへらへらした笑顔で踊り続ける。
「あたしと違って負けても立ち向かうハクレン……かっこいーじゃんかあ……」
「そんなの……」
「あたしのかっこいー親友の前で、ダセエ真似できないじゃん?」
「…………」
ハクレンは今日初めて目線を下げた。
いつも気丈であれ、なよなよすれば食い物にされる……そう教えられてきたし、実際にそうだと肌で感じている。
それでも、親友のけなげな姿の前でハクレンの自信は揺らぎつつあった。
「格好いいって言うのは、こういうことヨ」
ぽつりとつぶやくと、ハクレンは自分から足元を崩した。
「ちょっと……!」
「親友に無理させてまで……負けを認めないほど馬鹿じゃないヨ」
バランスを崩した足を細長いヒールは支えきれない。
ハクレンはC.A.D.と手をつないだまま、自分を下敷きにして地面に倒れようとしていた。
「あぶねえ!」
だが、地面に激突する前に逞しい腕がハクレンとC.A.D.の脇を支える。
「格好良かったぜ、ハクレン・C.A.D.」
「”いい子” ”いい子”」
ダミアンと勝だった。
彼らは自分の勝負を――ほとんど勝負にはなっていなかったが――放棄して、倒れかけの女性ペアを支えた。
「2ペアつぶれた!」「織歌の勝ちだ!」と観客が悲鳴のような歓声を上げる。
ハクレンは地面に尻をつけたまま、踊り続ける織歌の背を見ていた。
彼女は自分の宣言通り、決して勝負を下りなかった。
「ワタシの負け。あいつの根性見せてもらったヨ」
でも、ハクレンは自分が負け犬だとは思わない。
勝負には負けたが、自分の誇りは守り抜くことができた。
「……ありがとうな、ハクレン」
ダミアンの手がハクレンの頭をなでる。
泣きたい気持ちになったが、それではあまりに格好悪い。
ハクレンはプイとそっぽを向いて、つれないふりをしてやり過ごした。
◇ ◇ ◇
――勝負はついた。
視線の先に脱落した2つのペアが見える。
もう残っているのは自分たちだけだ。
それを見て、ジャズバンドも演奏の雰囲気を変える。
テンポが速まり、曲が締めにかかっていく。
(ラストはきれいに飾ろう……)
私はシュヴァリエと目線を合わせ頷く。
トランペットが高く鳴り響き、ドラムが踊る。
速まるテンポに合わせてステップも早める、足さばきは軽く、ドラムのシンバルの音が連続して鳴り響き、終わりが近づく。
(ラスト、ドラムソロ……!)
これで終わりだ。
ピアノも管楽器も、ラストを飾るドラムソロに道を開ける。
ドラムの音に合わせ、私とシュヴァリエは身を寄せ合い、私は地面の上でラストのスピン。
バン!という響きで曲が終わり、シュヴァリエの胸元に体が戻っていく。
完璧だ。
これ以上ないきれいな終わり方に、観客も大きな声で歓声を上げる。
(ダミアンたちも見ているだろうか……)
だが、彼らを探そうとした視線は顎に添えられたシュヴァリエの指にさえぎられる。
そのままぐいっと顎を持ち上げられ――
「んっ――!!」
シュヴァリエに深く唇を奪われた。
演奏も歓声も止んだ無音の世界に、私たちの唇が奏でる水音だけが静かに響いていた。
シュヴァリエ編が開幕しました!
本格的に逆ハールートに入った時、ダミアンはどうするのか。
次回、ダミアン視点でお送りします。
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