30「火の狼の魂」 ★海神織歌
「あ、なんだって?」
父の説教は――ダミアンには伝わらなかった。
「えっと……「何を思っているかきちんと言え」と言っている」
「そんなこと言われる筋合い……いや、いいや。伝わんねえか」
キリっとした顔でダミアンを睨みつける父を前に、彼の言葉をそのまま通訳する。
ダミアンは一瞬怒りをにじませるも、怒鳴ったところでその言葉は私の通訳を挟むのだとわかると、呆れて言葉を止めた。
なんだか締まらない雰囲気になってしまったが、そのおかげで衝突は回避できたようだ。
「どうせ通訳挟むなら意味のある会話がしてえ。全部話すから、織歌、伝えてくれ」
「私の父がすまない……」
「いいよ。婚約者の父親に嫌われたくねえしな」
ダミアンは苦笑しながら私の頭をポンポンと撫でる。
そして、遠い目をしながら海を眺めて語りだした。
「別に大した話じゃねえよ。ガキの頃のギャングの折檻で、海辺のしつけ小屋に放置されたことがあるんだ」
「しつけ小屋……?」
「何もない空っぽな小屋の椅子に縛られて、満潮になると水が胸まで上がってくる。潮が引くまで何時間も、真っ暗な部屋で水に浸かりつづける……それがあって、今も海が好きじゃねえんだ……」
しつけだなんて称してはいるが、要はギャングの拷問だ。
またひとつ彼を知れたことが嬉しくもあり、計り知れない彼の苦しみに心が痛む。
「父には言わない。私に話してくれたとだけ伝えるよ」
「いいのかよ。パパ、怒ってんじゃねえの?」
「相手を知ることは、無理に裸にさせることじゃない」
私の言葉にダミアンは答えなかった。
だが、私の肩に手を置いて、好きにしろという意思を示してくれる。
私は父にダミアンが事情を伝えてくれたことだけを伝えると、父は静き、それ以上詮索してこなかった。
『――だけどな、ダミアン。琅玕隊は海で戦うし、海魔は恐怖を餌にする。恐れを抱いたままじゃ危険だ』
説教モードの父はまたしても言語の壁のことを忘れ、日本語で語っている。
ダミアンは気を使って静かに聞いているが、助けを求めるように私の顔を覗きこんだ。
〈通訳してくれ〉
「はいはい……」
折角いい話なのに締まらないな……そんなことを考えながら、かけられた声に返事をする。
『馬鹿! 海魔だ!!』
声を上げる暇もなく足元を強い力で捕まれ、水の中に引きずり込まれる。
(しまった……! まだいたのか!!)
言語型の海魔は、人と意思疎通を図ることで魂に侵入する。
瞬く間に海中に沈められ、タコのような足が全身に絡みつく。
単純な力ではなく魔力の込められた拘束は簡単に外せず、折神を取り出すこともままならない。
(どけ!!)
仕方なく父がやったように蹴り飛ばす。
効果はあるようで、攻撃にひるんだ海魔の触手が体が外れていく……まさか父の教えがここで生きるとは。
だが海中で海魔と戦うのは危険すぎる、一度海面に上がらなければ。
真っ暗な海の中では天地もわからないが、私は海面を目指して泳ぐ。
「織歌!」
私を呼ぶ声が聞こえる。
音が聞こえた先にいたのは――ダミアンだった。
彼は私の元まで沈むと、海中で私の体を手繰り寄せる。
(折神! 持ってきてくれたのか!)
彼の手には先ほど渡した折り紙があった。
ダミアンの手を包むように私の手を添える。
視界の利かない深夜の海の中、体温だけが互いの存在を教えてくれる。
(展開……!!)
ダミアンの手を支えながら、彼の折り紙に念じる。
折り紙は淡い光を発ながら私たちの手を離れ、海中で幾度も折りたたまれて形を変える。
そして形を成して現れた折神は――狼の形をしていた。
紅い狼は海中を駆け、海魔に喰らいつく。
海魔は私を惑わした声すらも発することなく、泡になって消えていった。
『こっちだ』
ぐい、と頭上から首元を引かれる。
少し遅れて現れた父が私とダミアンを海面へと導き、無事砂浜に戻ることができた。
「はぁっ……はぁ……」
苦手な海に飛び込んだせいか、春の海の寒さのせいか、ダミアンの体は震えている。
だが数度息を整えて、無理矢理体の震えを止める。
自分の弱さを見せたくないであろう彼の気持ちを汲んで、私は彼の様子を案じる言葉は言わないようにした。
「……ほら、言語型は危険だろう?」
「はぁ……お前が引っかかってんじゃ……ねえよ……」
声をかけると、皮肉めいた答えが返ってくる。
陸に上がったことで調子を取り戻したようだ。
『よくやった』
わしゃわしゃと後ろから父が私たちの頭を撫でまわし、そのまま私たちを追い越して歩いていく。
父は海中に潜る前に脱いでいたようで、上裸のまま脱ぎ捨てたシャツを拾っていた。
「パパ、いいモン入れてんな」
「ん? あ、あれか……」
ダミアンの視線の先にある父の背には和彫りの龍が描かれている。
父がヤクザというのは聞いていたが、背中の刺青はその象徴だ。
私は少し威圧感を感じるが、同業者のダミアンには何か感じるものがあるのか、きらきらと目を輝かせている。
「柄は? ドラゴンか?」
「えっ、いやそこまではわからんな……聞いてみる」
なんか話が変な方向に向いたなと思いつつ、ダミアンの元気が戻っているのは嬉しい。
父に話しかけると、父は照れながらも誇らしげに刺青の意味を教えてくれた。
――不良男子の会話に混じってしまった感覚があって、私はあまり居心地よくはないが。
「蛟竜、龍になる前段階の状態だ。実力を発揮できない英雄や豪傑の例えとしても使われる」
「あんまいい意味じゃねえな。なんでそんなもん入れてんだ?」
「……お父さん、言われてますよ」
ダミアンの言葉をそのまま伝えると、父は笑っていた。
「かっこいいじゃねえか。地を這う者が天を目指すって――だそうだ」
「……そうだな」
ダミアンは砂浜に腰掛けながら長い髪を弄っている。
西洋文化と異なる男性の長髪はネイティブアメリカンの文化のひとつらしい。
手入れの施された豊かな赤い髪が、彼の指の中で踊っていた。
「シンクゥテメトゥ」
それは聞き慣れない言葉だった。
ダミアンは目線を髪に向けながら、ポツリと呟いた。
「"しんくぅてめとぅ"」
意味がわからず、父は言われたまま鸚鵡返しをする。
ダミアンは苦笑しながら「俺の本名だ」と答えた。
「助けてくれてありがとうな、勝」
ダミアンは簡単な英語で礼を述べ、父に手を差し伸べる。
父の英語力に合わせて言葉選びを単純にした分、彼らしからぬ素直な物言いになって可愛らしかった。
「"いいってことよ"」
父はダミアンの手を取り、軽く揺する。
私の大切な人たちの間に友情が芽生えたことが、今日の訓練の何よりの収穫だった。
ダミアンの本名はレナぺ(デラウェア)族の言語の組み合わせで、以下のような意味です。
xinkw=シンクゥ / 偉大な、火とも解釈できる
teme=テメ / 狼
etu=エトゥ / 魂の簡略語
次話はアメリカンデートの定番、クラブダンス回!
ハクレンとC.A.D.(C.A.D.)もまた出てきます
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