28「やっと戦うよ、海魔と」 ★海神織歌
『お父さん。今晩海魔討伐に出ますので、準備をお願いいたします』
ニューヨーク生活2日目。
春の朝の冷たい空気に触れて、入れたてのお茶が白い湯気を昇らせる。
そのお茶を父に渡しつつ、今日の予定を伝えた。
『ああ、やっとやるのか。もう戦わないのかと思ってた』
『まだニューヨークについて2日目ですよ……』
海魔討伐の単語に父は「やっとか」と嘆息していた。
そんなに待たせただろうか……だが、経験豊かなベテラン兵がやる気でいてくれるのはありがたい。
『今夜はダミアンが来ますので、彼の訓練を兼ねて下級の海魔を討伐しましょう』
『ダミアンも来るのか』
『はい。仕事終わりに時間を作ってくれるそうです』
【どこにでも行ってやる】その言葉通り、彼は琅玕隊にも協力してくれるらしい。
とはいえ彼の人生の象徴でもあるマフィア業はそのままだ。
敵だらけの彼の身を軍に渡すわけにはいかないし、緊急時はヤクザでも徴兵しているので、問題がないことは目の前の父の歴史が証明している。
『昨日の今日で? マフィアのボスが時間作ったのか?』
『ええ、大変ありがたいです』
『……あいつお前にべた惚れじゃねえか』
『えへへへへへ』
マフィアとヤクザ――国は違えど根本的に近い部分があるためか、ダミアンが時間を作ったという事実に父は私より驚いていた。
彼の忙しさを考えると昼に会うことはほぼ絶望的だ。
だが、海魔討伐は基本夜間に行うため、むしろ都合がよかったかもしれない。
『それまでの時間はニューヨーク生活の準備ですね』
『そうだな。この家なんもねえから、飯を買わないと』
『それもありますが……』
父には何よりも最優先でやってもらいたいことがある。
私はテーブルに荷物を広げる――辞書、教本、単語帳、英字新聞……私が学生時代から使っていた道具たちだ。
『お父さん、英語の勉強をしましょう』
父はすごく嫌そうな顔をして「万能チート……」と呟いたが、しばらくして覚悟を決めたのか、小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
高級住宅街の住人が寝静まった深夜2時、ダミアンは約束通り来てくれた。
ボンネットの長い黒塗りのセダン。
運転はシュヴァリエ、私を真ん中に、右にダミアン、左に父が座る。
後部座席は広く、私と父とダミアンの3人が乗っても余裕があった。
「今日は私の仕事について説明したくてな。彼にも来てもらった」
「デートかと思って時間作ったのによ……そういうプライベートとビジネスの境目がないところがデリカシーがないんだよ」
「まあまあ。私の仕事も知ってほしいんだ」
今日のプランを説明するとダミアンは呆れ顔だったが「まあ、お前らしいか」と言って笑って許してくれた。
「仕事だから、もう一人の”婚約者”さん同伴なんだな。名前は何だ?」
「ああ、そうだ。ちょっと複雑なんだが、すべて説明するから……」
「そいつに話させろよ。おいアンタ、いつまでも女に隠れてやり過ごしてんじゃねえぞ」
そして当然、ダミアンの興味は父に向く。
私が説明してもよいのだが、男の面子で生きてきた彼はいつまでも私が間に入るのをよく思わないだろう。
……付け焼刃だが、父に英語を叩きこんでおいてよかった。
「名前は?」
態度は威圧的だが、ダミアンは英語の不得意な父が聞き取りやすいようゆっくりと簡潔な単語で話しかけてくれる。
単純な挨拶と単語は昼のうちに教えてあるから、父でもわかるはずだ。
ダミアンのこういう細かな気遣いに彼の優しさが滲んでいて、好きだなと改めて愛情を嚙み締めた。
「マサル・ワダツミ」
「ほら、喋れんじゃねえか」
――いくらなんでも、名前は言えるだろう。
「仕事は?」
「私は、帝国海軍陸兵隊 二等軍曹・海神勝。
日米両政府の協定に基づく、特別任務により当地へ派遣されている正規軍人です」
「……文章そのまま覚えただろ」
――大当たり。
これを間違えると後々えらい目に合いそうなので、この文章はそのまま覚えてもらった。
「歳は?」
「”私は” ”28歳です"」
「なんだ意外と若いな。もうちょっといってるかと思ったぜ」
――た、たどたどしいが答えられた!
もはや子を見守る親の気持ちになって父とダミアンの会話を見ているが、どうにか答えられそうだ。
「織歌との関係は?」
――難しくなった。
ダミアンの顔が悪戯っぽく笑っているから、ここはからかい交じりの意地悪質問なのだろう。
そもそも関係性がややこしいから説明は大変だ。
私が口を開こうとすると、父は私の肩に手を置いて、「大丈夫だ」と言わんばかりの視線で頷いてきた。
「”私は” ”父親です” ”死にました” ”20年前に”」
「で、できてる! 完璧ですよお父さん!」
「待て待て待て」
意地悪な問題に完璧な回答をした父に万雷の拍手を送っていると、ダミアンが頭を抱えている。
「意味が通じてねえだろ……なんも理解できねえよ……」
「いや、本当にこのままなんだよ」
父の初級英会話レッスンはここまでだ。
私はダミアンにあらかたの状況を説明した。
「――つまり、日本のお姫様の魔法で作った新種の海魔かつ、20年前に死んだ織歌の親父だと……」
「”はい”」
「うるせえな……。で、蘇ってやることが娘のデートの監視かよ」
「”はい”」
「やりづれえ……」
ダミアンは私の言葉をすべて信じてくれた――父親同伴のデートという状況も含めて。
「……キスするときはあっち行ってくれよ」
「”いやです”」
「行けよ!」
「私は気にしないぞ」
「俺が気にすんだよ!」
何はともあれ、状況は大方説明しきった。
会話が一区切りついた時、運転席のシュヴァリエから声がかかる。
「海が見えてきました」
「ああ、そのままビーチに行ってくれないか?」
車の窓から真っ暗な海が見える。
マンハッタンは世界最大級の港湾都市なので、本来は深夜であろうとも貿易船や密輸船で賑わっているはずなのだが、海魔の影響でそれほど多くの船は出せていないらしい。
それでも黒い海の上で船の明かりが輝いている。
海魔という脅威が迫っている中でも経済活動を続ける、この国の人々の逞しさに少しだけ胸を打たれた。
「……ビーチ、行くのか?」
「ああ。海魔は文字通り海に出るから」
「おいおい、泳ぐんじゃないだろうな」
「泳ぎはしないが……濡れるかもしれない」
だが、ダミアンの声は暗い。
よく考えたら海に行くとしか伝えていなかったので、船着き場だと思っていたのかもしれない。
海魔討伐=人気のない浜辺に直行というのは私たちだけの価値観だったのか……思わぬところで文化差を知ってしまった。
「すまない。きちんと説明しきれてなかったな。服が汚れるからあなた方は遠くで見ていてくれればいいから」
「……いや、行くよ」
ダミアンは強がっているが、海に行きたくないという態度が駄々洩れだ。
しかし本人が行くと言っているのであれば、彼の面子のためにもこのまま続行するしかない。
「”泳げない?” ”ダミアン”」
「……うるせえなあ」
気を使って黙っていた私をよそに、父の容赦のない質問が飛ぶ。
息を吐くように答えるダミアンの声を聞いて、私はやっぱり、彼のことはまだ何も知らないのだと痛感した。
海魔討伐のために赴任した設定がやっと動き出します!
次話は勝・ダミアンとのビーチで3人デート回!
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【毎週 月・水・金・土 / 朝7:00更新】の週4更新予定です。
次回は7/25(金)朝7:00更新です。




