02「ヒロインの織歌ちゃん」★海神織歌
※2025年8月。エピソード順番入れ替えを行いました。
物語は続く。
作者によって物語が狂わされていても。
そのことを主役が知る由もなくても。
プロローグを終えた物語は、静かに本編へと繋がっていく。
◇ ◇ ◇
カップの中で金色の紅茶がやさしく揺れる。
寝台列車の窓辺に差し込む朝の光が、白いテーブルクロスを照らす。
窓の外に見えていた草原の景色はいつのまにか工場の煙に変わり、サンフランシスコからニューヨークまでの長い列車旅の終わりが近づいていることを教えてくれる。
「おかわりの紅茶をお注ぎしてもよろしいでしょうか、ミス・ワダ……ワダツミ?」
食堂車から窓の外を眺めていると、銀のポットを掲げたウェイターが声をかけてきた。
私の名前――海神 織歌はどうも発音しづらいらしい。
寝台列車旅で数日の付き合いになるウェイターの舌を最後まで困らせてしまっていた。
「おかわりをお願いします。それと、呼び方は織歌でいいですよ」
「申し訳ございません。ミス・オルカ」
そっと差し出したカップに、湯気を立てながら紅茶が注がれていく。
その様子を眺めつつ、手元の新聞に目を向ける。
折りたたまれた角の隅に、小さく印字された1923年4月7日の文字。
船も列車も遅れはない。予定通りにニューヨークに着くことができそうだ。
(完璧だ)
私は表情に出さないように気を付けつつ、心の中でほくそ笑む。
シニヨンにした黒い髪と、清純を絵にかいたような白いワンピース姿の私はどこからどう見ても日本の旅行者。
この列車にいる誰も、極秘任務中の軍人だとは思わないだろう。
どうして私が正体を隠しているのか――事の発端は20年前に起きた海魔による対馬襲撃、通称・海魔大戦。
長らく歴史の中に現れなかった海魔の襲撃に、公家の一族によるお飾り組織と化していた伝統ある「海魔討伐隊」はすぐに動くことができなかった。
日本の危機に対して、軍は海魔討伐隊と海軍陸兵隊を統合した新組織「琅玕隊」を結成。
3年に渡る長い戦いの末、どうにか危機を脱したのだった。
だがそれはすべての始まりに過ぎない。
その海魔大戦をきっかけに、日本近海にしか現れなかった海魔は世界中に出没するようになった。
世界中に現れる海魔という化け物に対し、討伐実歴がある日本は『琅玕隊』を世界各国に派遣して討伐に協力する提案をした。
当然、自国に日本の組織を置くことに懐疑的な国も多く、提案を受け入れる国はほとんどなかった。
だが、その間も海魔の襲撃は止まらない。
各国がじわじわと受け入れ体制に移行していく中、ついにあの大国・アメリカが日本に協力を仰ぐ事態になった。
(日本とアメリカが協力して作り上げる部隊、琅玕隊紐育支部……その栄えある初代隊長がこの私……)
女だてらに軍人をする私の姿に母は複雑そうにしていたが、それでも私は嬉しかった。
かつて私の命を救ってくれた名付け親――海神 勝と同じ部隊に所属して、彼と同じように困っている人を助けることができる。
(見ていてください。お父さん――)
心の中で亡き父に思いを馳せる。
と言っても、写真も残されていない彼の顔を私は知らないけれど。
◇ ◇ ◇
「ミス・オルカ。もうすぐ到着いたします。ご準備をお願いいたします」
「ええ。ありがとう」
静かにスピードを落としながら、列車は暗い構内に吸い込まれていく。
とうとうニューヨーク到着だ。
到着駅であるグランドセントラル駅には、私と同じく日本から派遣された公爵令嬢がすでに着いているはず。
名前は姫宮 乙女、14歳のお嬢様で――あまり評判は良くない。
傲慢で冷徹で我儘。公爵家の政争で何人もの人間を蹴落としてきたとか、史上最高の霊力を持ちながらその力に溺れて人の心を失っているとか、言われ放題のお嬢様。
ご令嬢がアメリカに飛ばされるのもほとんど厄介払いだともっぱらの噂だ。
(まあ、我儘娘にはいい薬だ。不安も多いだろうが、そこは私が補佐してやればいい)
どんな我儘娘だったとしても、年上のお姉さんとして優しくしてやろう。
――だが、この時の私はまだ知らなかった。
『お前が海神織歌だな』
公爵家の我儘娘は敵前逃亡し、見知らぬ軍人を代わりによこしていたことを。
◇ ◇ ◇
誰だこいつは――
グランドセントラル駅にて14歳の公爵令嬢と待ち合わせ、二人で作戦本部に向かう予定のはずだった。
だが、そこにいたのは軍服姿の男ひとり。
濃紺の上衣に金ボタン、袖口には二条の白線、左肩には琅玕隊の象徴である蓮を模した階級章。
(紺色って……旧式軍服じゃないか。こいつ何のつもりなんだ?)
階級章の蓮の色が白だから階級は二等兵曹なのだろう。
精悍な瞳、薄い唇を割くような顔の傷、隙のない佇まい――直感でわかる、こいつは戦場を知っている軍人だ。
『迎えの者か? ここには公爵令嬢・姫宮 乙女殿がいるはずだが』
経験豊富な軍人だろうが、私は少尉でこいつは二等兵曹。
舐められてはいけない。
男の気迫に負けないよう、こちらも圧をかけて問いかける。
『…………』
だが、男は私の顔をぼんやりと見つめたまま動かない。
『何をぼんやりしている。名前くらい名乗ったらどうだ。公爵令嬢はどこだ?』
男の目線が不躾に投げられて居心地が悪い……何より無礼だろう、上官の顔をじろじろ眺めるなんて。
男をせかす様に再度問いかけると、男はやっと正気に戻ったようで、ハッと顔を上げた。
『……お、俺が、姫宮乙女だ』
『お前のような乙女がいるか!』
本名を名乗らないどころか、あろうことか公爵令嬢の名を騙ってきた。
そもそも極秘任務中の上官の元に軍服を着てきた現れた上に、口を開けば阿呆みたいな返答。
スパイにしては阿呆すぎる……呆れを通り越していっそ不気味ささえ感じた。
『……訳あって、乙女から派遣されている』
『ほう……公爵令嬢を呼び捨てか。貴様はさぞや高貴な人間なんだろうなあ』
正体を暴いてやる、と怒りに任せて男の襟首をつかんで顔を覗き込んだ。
『ぐっ、金色の瞳だと!?』
金色の輝きの瞳、龍のような縦長の瞳孔の周りには血の様に紅い輪が広がっている。
人間らしからぬ特徴的な瞳は間違いなく、公爵家の血――悔しいが、言っていることは全て嘘ではないようだった。
『え、俺の目、金色なのか?』
『貴様の家には鏡がないのか!』
だが、返答が阿呆すぎる。
佇まいからはとても公家の血統など感じない。
『わかったぞ。おおかたあの我儘娘、土壇場で恐れをなして逃げ出したんだろう! お抱えの兵に全部投げ捨てて!』
『まあ、何ひとつ間違ってはいないんだが』
男は再び私の顔をじろじろと見る。
女軍人が珍しいと言うよりは、慈愛に満ちている瞳だった。
故郷の娘の姿でも重ねているのだろうが、上官に対する態度ではない。
乙女といい、こいつといい、どこまでも私を馬鹿にすれば気がすむのか。
『とにかく、乙女からお前を託されている。今後は俺が隣で……っ!!』
何か言いかけた男の言葉を遮って、思い切り股間を蹴り上げる。
私が軍服を着ていないことに感謝すべきだな。
軍靴であれば完全に玉がつぶれていただろう。
男はぐっ、とうめいたが、どうにか仁王立ちのまま耐えた。
『口の利き方に気をつけろ、兵曹』
『……失礼しました。少尉殿』
名前も名乗らないこの男が公爵家の使いだろうが何だろうが、軍の上下関係は絶対だ。
男に身をもって叩き込んでやったところで、気分は少しすっきりした。
古い家の公爵令嬢は、ニューヨークという新天地に恐れをなして逃げ出したんだろう。
だが私は逃げない。
ここには私にしかできない重大な任務があるのだ。
『とにかくついてこい! ここはニューヨーク。古い奴は追いていかれるぞ!』
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次回からニューヨーク冒険編です!