01「乙女ゲームの始まり」★海神勝
※2025年8月。エピソード順番入れ替えを行いました。
初期に読んでくださった方、ありがとうございます!
以前と構成が変わっている箇所がありますが、ぜひ新たな気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。
物語は始まる。
たとえその結末が破滅に向かおうとも。
ヒロインがそれを望もうが望むまいが。
ただ淡々と、ゲームのプロローグは始まっていくのだ。
◇ ◇ ◇
【プロローグ】
”聖”暦1903年、対馬――
海が、吠えた。
荒れ狂う波の音に混じる亡者の咆哮。
空を割って飛ぶ黒い鱗、下半身が蜘蛛のような形をした女、頭を複数持つ蛇――子供のころにお伽噺で聞かされた化け物が俺たちの目の前に立ちはだかる。
それらは命も形も失い、魂だけになってなお現世を彷徨う、人ならざるもの。
「付け剣!」
混乱しきった戦場では、俺――海神 勝二等兵曹にすら現場指揮権が回ってくる。
海魔は長らく出没していなかったらしく、軍隊に討伐の技術はない。
それでもどうにかひねり出した対処法は、霊力を持つ人間に乏しい武器で特攻させるという粗雑な作戦だった。
自分の何倍もある化け物に対して、俺たちはこんなちっぽけな武器で特攻しなければならない。
「構えっ!」
この戦いももう2年になる。
海魔はいつ消えるのか、いつ故郷へ帰れるか……先の見えない戦いが続き、俺たちは未来のことなど考えなくなってきた。
「突撃っ!」
俺の号令で兵たちは化け物へ向かう。
「殺せ、殺せ、いっそもう殺してくれ」「死ねば帰れるんだ」そんな想いを咆哮に変えて化け物に突撃し――そして散る。
後に海魔大戦と呼ばれるこの戦い、散った俺たちは英霊と呼ばれることになるらしい。
だが今この戦場にあるのは諦めと絶望だけだった。
「クソ! こいつ絡みついて……!」
「誰か来てくれ! 海に引きずりこまれる!」
「そいつは駄目だ! 捨てて逃げろ!」
海魔の一斉突撃ですでに戦線は崩れている。
混戦になった白浜で味方の悲鳴が聞こえる。どうやら蛇型の海魔に足を取られたらしい。
「田丸、踏ん張れよ!」
「海神兵曹!」
海に引きずりこまれた仲間を救うため、俺は海魔の形が消えてなくなるまで、無心で銃剣を差し込み続ける。
呪うような気持で何度も剣を突き刺して、やっとそいつは泡になって霧散した。
「ここは俺が抑える。田丸、お前は引け。中村、肩を貸してやれ」
「兵曹ひとりでは危険です!」
「化物相手に、ひとりもふたりも変わんねえよ」
「すぐ戻ってきます!」
「頼んだぞ」
俺たちは戦い続ける。
死にたくなければそうするしかないのだから。
「……帰りたいな」
撤退する部下たちの背を見ながら思わず出た愚痴、誰にも聞こえなかったと信じたい。
生きて帰れたら、長年会っていない姉に顔を見せよう。
まともな人間じゃなかった自分だが、国を守った体面があれば顔向けできる気がする。
自分はあなたのために戦ったのだ、と胸を張って言える気がした。
――おぎゃあ、おぎゃあ
ふと、遠くから泣き声が聞こた。
荒波の騒音にも負けない大きな声が耳に届く。
「……赤ん坊?」
音の元をたどると、砂の上に白い布でくるまれた物体がぽつりと置かれている。
島民の子供だろうか?
なんでこんなところに、たったひとりで……だがそんな思考を遮るほど、その赤ん坊はけたたましく泣いている。
「…………はは、よく泣きやがる」
放っておくわけにもいかない、首も座っていないふにゃふにゃした体を拾い上げる。
赤ん坊は俺が抱き上げたとたん落ち着いたのか、泣き声はむにゃむにゃとした弱い声に変わっていく。
「なんだ。もう落ち着いたのか」
なぜか、心の奥が熱くなる。
その暖かい体が、脳まで響く鳴き声が、この子のすべてが、俺を人間にしてくれた気がした。
「好きなだけ泣けばいい、俺が守ってやる」
泣きわめく腕の中の赤子に、静かに歌ってやる。
歌うのなんて子供のころ以来、何の歌かは知らない。
それなのに、なぜか昔から知っているかのような、懐かしい響きが喉から勝手に漏れて出てきた。
だが、暖かい時間はそこで終わりだった。
海が再び荒れる。
新たな海魔が現れる。
波が大きなうねりとなって降りかかる。
それはまるで海そのものが襲いかかってくるようだった。
「……名前は、そうだな織歌にしよう」
後方から部下の叫ぶような声が聞こえる。
新たな襲撃を察知して、仲間が戻ってこようとしているのがわかる。
そしてそれが、到底間に合わないことも、俺にはわかった。
死が迫っていることを、どこか冷めた感情で迎え入れていた。
それでも戦うことを諦めるわけにはいかない。
片手に赤子を持ち、片手に銃剣。
襲い掛かる海魔にどれだけの時間が稼げるだろう。
せめて、この腕の中の子供だけでも、仲間に託せればいい。
「――お前の、家族になりたかったな……」
勝の言葉は、波音に襲われて消えていく。
波が引いたとき、彼の姿はもうなかった。
◆ ◆ ◆
これが正しいプロローグ。
しかし物語は狂ってしまう。
転生悪役令嬢、大いなる異物によって。
◆ ◆ ◆
次に勝が目を開いた時、手元に赤ん坊はいなかった。
「ここは……?」
目の前に広がるのは、何もない場所。
無限に続くような闇の中、宙には淡く光る物体が蠢いている――あれは海月だろうか?
闇の中で踊る海月は色とりどりに輝いていて、まるでお伽噺の竜宮城にでも来たような幻想的な光景だった。
「ここは海の底の底。あなたたちが戦った海魔の生まれてくる、死の世界です」
思わずぼうっと宙を仰いでいると、子供の声が聞こえた。
死の世界――そうか、俺は死んだのか。
不思議と自分の死は冷静に受け止めることができた。
手元に抱いていた赤子がこの場にいないと言うことは、あれはどうにか生き延びたのだろう。
「……私の名前は、姫宮 乙女です」
少女は乙女と名乗った。
年の頃は10代前半くらいだろうか?
顔立ちに幼さは残るが、ゆったりとした喋り口で物腰穏やかな雰囲気からは大人びた印象を感じる。
「……あの。私、本当は水神カナと言いまして……」
しかし、すぐに別の名を名乗りだす。
意味が分からないままぼんやりしていると、乙女は慌ててまくしたてる。
「ここは『海神別奏』というゲームの世界なんです。私が作ってたんですけど気づいたら転生してて、でもこの話オチがやばすぎるのでどうにか破滅フラグを回避しないとみんな死んじゃうんですよ!」
「何言ってんだお前は」
何だこいつは……さっきまで暗い雰囲気だったくせに、喋りだすと妙に早口で聞き取りづらい。
だが乙女の態度は真剣で、ふざけているわけではなさそうだ。
「何もわからないから、もう一回……おじさんにもわかるように教えてくれ」
「や、やだ。勝は28歳でしょう? まだ若いじゃないですか」
「下らんこと言ってないでさっさと教えろ……」
「ごめんらひゃい……」
子供らしからぬ口をきく乙女の頬を軽くつまんでゆする。
くだらないやり取りだが、それで乙女は少し落ち着いたのか、わかりやすく教えてくれた。
ここは『海神別奏』という物語の世界、俺が死んでから20年後――1923年に始まる。
その時代でも世界は海から現れる亡霊・海魔の脅威にさらされている。
物語の女主人公は軍人であり、海魔と戦う特別組織『琅玕隊』の隊長。
仲間と恋愛をして絆を深めながら海魔と戦い、【破邪の歌】と呼ばれる特別な歌の力で世界を浄化する――というお話らしい。
なんとも荒唐無稽な話を聞いて白けた顔になる俺を見て焦ったのか、乙女は最後に重要な言葉を残した。
「そしてこの物語のヒロインは、あなたが拾った「織歌」なんです!」
織歌、その言葉に思考が止まる。
それは死の瞬間に呟いた言葉だった。
誰にも届かなかったはずの俺の言葉を、子供の名前を、なんで乙女が知ってる……?
「……なんでお前が、その名前を」
「私が、この物語の作者だからですよ」
どうやら、この乙女という子供はただの狂人というわけではないらしい。
この世界は物語、物語の作者――信じがたい話だが、乙女の言葉には妙な説得力があった。
「前世の私はこの物語の作者でした。そして執筆中に心を病んで意識を失い、今は悪役令嬢・姫宮乙女に転生して……」
「前世? 転生? 悪役令嬢?」
話聞いてみようという気持ちが、訳の分からない単語の羅列で一気に冷める。
「……今は物語の作者の話をしてるんじゃないのか」
「それはほんと申し訳ないんですけど、そういうフォーマットがあるものだと受け止めてください」
「受け止められるか!」
しかし乙女の話はそのまま続いた。
もういちいち突っ込んでも意味ないだろう、俺は大人しく聞くことにした。
「……心を病んだ状態でお話を書いた結果、「全員死亡の破滅エンド」というオチになっちゃって」
原稿を書き上げたまま意識を失い、目が覚めると自分が描いた物語の中の登場人物の一人、悪役令嬢「姫宮乙女」になっていた――らしい。
「この乙女はヒロインと行動を共にする相棒でありながら、ヒロインをハメる破滅の元凶、最後の敵! だからこそ、私の行動を変えればみんなが助かるかと!」
「よし、やれ」
作者が作品の中に入って物語を書き直す、なんだ、簡単な話じゃないか。
だが、俺の言葉に乙女の瞳が曇ってしまう。
「……できません……私、どうしたらみんなが幸せになれるかわからないんです」
ああ、また暗い表情に戻ってしまった。
泣かれては話が進まない、だが子供をあやす慰めの言葉など出てこない。
彼女が再び語りだすまで静かに待つことしかできなかった。
「だから、お父さん……あなたが私のポジションを代行してください……」
少し待っていると、乙女も覚悟を決めたらしく言葉を続ける。
「ラスボスの私には絶大な力があるのであなたを蘇らせられます。そしてあなたは娘である織歌の元へ行き、全員を救うための“逆ハーレム戦略”を進めます!」
意味はさっぱり分からなかったのだが、「娘である織歌」という言葉に胸をくすぐられる。
いや、だが、育ててないのに父親面していいんだろうか。
「織歌はあなたのお姉さまによって、あなたを命の恩人であり名づけの父として教えられながら育てられています。だから、あなたしかいないんです。織歌を助けるために命を落としたあなたなら、きっと最後まで彼女を守り抜いてくれるから……!」
そんな俺の心を読んだかのように乙女の言葉が続けられる。
そうか、あの子は姉の手に渡ったのか。
「……つまり俺は、作者の代わりに悪役を引き継ぎ、物語をぶっ壊さずになんとか大団円に導けって話か」
「はい! そしてヒロインは全員に愛を注ぎ、誰も見捨てずに救います! ヒロインのためにイケメンたちをかき集めてください!」
「……俺の娘が、男たちと同時交際するっててことか?」
「そうですけど! 破滅フラグを回避する“唯一の方法”なんですよ! これは救済です!」
「わかった」と俺は呟いた。そう答えるしかなかった。
正直何が何だかわかってはいないが、こいつの話にのれば織歌に会えるというのなら。
「で、どうすればいい?」
「あなたにはとっても大事なアイテムをお渡しします! それを使ってください!」
そう言うと、乙女は大量の紙の束をカバンから取り出す。
「これは物語の原稿……これからの展開すべてがここに記されています。未来を知ればきっと物語は崩壊してしまう。これは私とあなただけの秘密にしてください」
乙女から渡された原稿には、紙の端に大量の走り書きのような分が書かれていた。
「これでは伝わらない」「無駄な文章」「倫理的にダメ」――他の人間からの指摘か、乙女自身の推敲なのか、辛辣な言葉が多い。
これでは執筆中に心を病んでしまうのもわかる気がした。
「……頑張って書いたんだな」
たとえ物語が碌な結末を迎えなかったとしても、こいつは苦しみぬきながら話を終わらせたのだ。
俺には創作のことなどわからないが、それでも原稿からは乙女の執念のようなものを感じる。
「いや、全然です……ダメ出しばっかりくらって、先輩に褒められたことは一度もないし」
「でもお前の作品だ。ちゃんと誇っていいと思うがな」
乙女の頭をポンポンと撫でる。
よく考えたらご令嬢なのだから無礼だったかもしれないが、乙女は黙って俺の手を受け入れていた。
話はついた。俺は乙女の指し示す道へまっすぐに歩いていく。
「俺が悪役令嬢、代行してやる」
お読みいただきありがとうございます!
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次話、バッドエンドに至る前のヒロインの織歌が登場です!