15「ふたりとも私の婚約者だ」★海神織歌
「その男は私の婚約者です」
兵曹を守ることが正しいかどうかも今の私にはわからない。
彼は自分の身分を明かさないし、ダミアンが言うには神父の判断は信用に値するもののようだ。
「いかなる理由があろうともあなたの独断で処刑はさせません」
だが、このまま兵曹を見殺しにはできない。
口から出まかせではあるが、真偽の判断は政府を通さなければできない。
多少の時間稼ぎにはなるだろう。
「はぁ?」
「いや、だから……!」
はったりは堂々とかますもの……なのに、エンゼル神父の冷たい瞳に心が挫けそうになる。
こちらは政府まで盾にしているのに、まるで話を聞いてくれる様子がない。
「こいつらは神が赦さなかった命のなれの果て。この世に存在してはいけないものです」
「彼の存在はこれから説明しま……」
「説明はいりません。庇うならあなたもここで殺します」
「いやいや! 私は日本の軍人ですよ!?」
「だから何だというのか」という言葉の代わりにエンゼル神父は侮蔑のまなざしでこちらを見下してくる。
家の片隅で死んでいる害虫を見るような、どこで生まれどう生きたのかなど知る必要もないと言わんばかりの、無感情な目。
(これが神父のする目か!?)
あまりの光景に言葉が詰まる。
だがその間にもエンゼル神父の刃は兵曹の喉元に食い込んでいく。
「ま、待て待て待て!」
「邪魔をするならあなたから殺します」
慌ててエンゼル神父を止めようとするが、エンゼル神父はこちらを振り返ることもなく空いていた片方の手で銃を向けてくる。
私は自分の身分を明かしたし、簡単に処刑されるような立場ではない。
だが、そんなことはこの男には関係ない――海魔の何がこの男をここまで狂わせているのだろうか。
そんなことを考えている間に、後ろからダミアンに引き寄せられた。
「織歌、もうやめとけ」
引き寄せられる、というよりは後ろから抱きすくめられたというほうが正しい。
もう無駄な動きはさせないと言わんばかりに胴に腕が巻き付いている。
「あいつは狂人だ。本当に撃つぞ」
耳元にダミアンの低い声が響く。
彼がまとっていた余裕のある雰囲気は消え、仕事中のギャングのトーンに変わっている。
ダミアンの視線の先にはシュヴァリエがいて、彼もまた銃を構えていた。
どちらが先に撃つか、緊迫した空気があたりを包む。
『よし……ダミアンとはいい感じだな』
緊迫しているのだ――このあほ兵曹以外は。
兵曹は喉に刃が食い込んでいるというのに、私とダミアンの様子を暖かい目で見つめている。
そうだ……こいつは英語を話せないから、私がこいつを婚約者扱いして切り抜けようとしていることすら知らないのだ。
『他人事だな貴様は! 今助けてやるからじっとしていろよ!』
幸い英語が話せないのでぼろを出すこともないだろう。
兵曹の間の抜けた台詞で冷静さも戻ってきた。
(兵曹の金色の瞳、これは公爵家の証だ。彼がどんな人間であろうが、公爵家の使いであることだけは間違いない)
胴に回されたダミアンの腕に手を添えながら、この場を凌ぐ言い訳を必死に考える。
彼の熱い体温に触れていると、エンゼル神父の冷たい瞳にも勝てる気がした。
「か、彼は……日本が長年秘匿してきた……海魔の能力を持つ特異存在だ。ほかならぬ貴国が協力を願い出たため、特別に送り出した」
「特異存在……?」
「殺せばすべての話は終わりだ。彼が何者か知りたければ、武器を下ろしなさい」
「……わかりました」
もちろんでっち上げだ。
だが、エンゼル神父の動きが止まった。
彼は兵曹を殺そうと思えばいつでもできたのに、話す機会は与えてくれる。
つまり、エンゼル神父も兵曹の正体をつかみかねているに違いない。
淡い希望ではあったが、文字通り首の皮一枚でつながった。
「なら、そこの犯罪者にしましょう」
だが、エンゼル神父は甘くなかった。
銃口は私の上に移動し、ダミアンに狙いを定める。
「待て! 彼は関係ないだろう!」
「彼は海軍大尉をたぶらかして自分の手元に置くような犯罪者……その上海魔を庇うのであれば、拘束する理由は十分です」
「俺かよ……ほんとにいかれてるな」
シュヴァリエの指先がトリガーにかかり、緊迫した空気が再び戻ってくる。
エンゼル神父の考えていることは手に取るようにわかる。
極秘任務中に私が銃撃戦などおこさせるわけにはいかない。
標的を変えることで私に選ばせようとしているのだ――兵曹を取るか、ダミアンを取るか。
(その手には乗るか……!)
人の立場と好意を利用した策略にだんだん腹が立ってきた。
誰かの引いた図の通りに動いてたまるか。
私の道は、すべて私の意思で決めてやる。
「彼も……私の婚約者だ。引き取りたいのなら政府を通じて全力で抗議させてもらう」
「はぁ?」
またもエンゼル神父の冷たい声が響く。
「……おい、さっきあの連れと婚約者だって設定にしてただろ。適当なこと言うな」
「適当じゃない」
頭上から呆れたようなダミアンの声が聞こえる。
だが、私は断じて適当を言っているわけではない。
兵曹とダミアンの立場を守ったままこの場を切り抜けるには――これが最適解なんだ。
「ふたりとも私の婚約者だ」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・歴史的出来事などはすべて架空であり、実在のものとは関係ありません。
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