14「掌返し」★海神織歌
※サベージ (savage)=野蛮な、未開の、残忍な。当時、ネイティブアメリカンを「サベージ」と呼ぶことは、彼らの人間性、文化、そして尊厳を否定し、白人による抑圧と土地収奪を正当化するための極めて差別的な言葉でした
ダミアンが現れると、周囲のざわつきが水を打ったように静まり返る。
「野蛮人」
――誰かの絞り出した小さな声だけが、あたりに響いた。
「……よ、よお……来てたのか」
「俺は今機嫌が悪い。消えな」
人攫いは笑顔を張り付けて取り繕うが、ダミアンの一言で逃げるように立ち去っていく。
さっき嫌味の応酬をしたばかりのギャング……困っているところに目をつけられたか。
ギャングに絡まられるくらいなら人攫いの嫌がらせの方がましだ。
(ここを離れるぞ)
私たちも離れようと兵曹に目線で合図を送る。
だが兵曹は目線をどう受け取ったのか、拳を胸の前で握ったっきり一歩も動かない。
(離 れ る ぞ !!!)
もう一度強く睨む。
だが兵曹はこちらをしっかりと見つめ、大きく頷くだけだった。
「ようこそ、ミスター・ヘイダル。お荷物は私どもで確実に管理いたします」
「連れの着替えを頼みたい」
「かしこまりました。サロンへご案内いたします」
私の無言の抵抗も空しく、劇場内から現れた別のポーターに荷物は運ばれてしまった。
ダミアンの姿を見つけて支配人クラスのスタッフとポーターが出てくるということは、ここがダミアンのシマなのだろう。
ここは軍施設として利用されるが、表向きは民間の劇場だ。
民間であることを装うために支配者であるギャングと関係を持つのはおかしくはないが――
(そういう事情があるなら事前に伝えておけ……!)
この劇場の地下にいるであろう軍関係者に悪態をつく。
知らないが故にしょっぱなから謎の因縁を作ってしまったじゃないか。
「着替えを用意する。それまではこれで隠しておきな」
だがダミアンには敵意はなさそうだった。
羽織っていたスーツを肩から掛けられ、ワンピースの汚れを隠す。
「いや、私は……」
「安心しろ、金なんて請求しねえよ」
「こちらへ」と案内人が恭しく道を開けてくれる。
既に注目の的だし、荷物もクロークの中だ。
ここは軍施設につながっているし、何かあっても対応可能だろう。
私は黙ってダミアンの親切を受け入れることにした。
◇ ◇ ◇
着替えだ、と渡されたドレスは手を触れるのもためらうほど上等な生地だった。
体のラインに沿いながら、膝丈より少し長めのアシンメトリーなスカート。
鮮やかな深紅の上を、金糸で丁寧に縫い込まれた花模様が踊っている。
着替えが終わると、待機していたスタッフに化粧と髪も直してもらう。
乱れたシニヨンはほどき、ゆるやかなウェーブで左肩に寄せて流す。
口には紅を引き、甘い薔薇の香水を体にまとう。
「お似合いですよ」
そういわれて差し出された鏡に映る姿は、さっきまでニューヨークで走り回りどぶ臭い地下通路で反省会をしていた小娘とは違う――劇場の格に合う立派な淑女だった。
「ミスター・ヘイダルとお連れの方は外でお待ちです」
兵曹とダミアンに会わなければならないと思うと妙に気恥ずかしさを感じる。
意を決してサロンの扉を出ると、廊下でダミアンが待っていた。
「思ったより早かったな、お嬢さん」
「あなたひとりか? 私の連れは?」
「あいつも今着替えてるぜ。シュヴァリエ――俺の連れが軍服は着替えたほうがいいって言ってな」
兵曹の軍服姿は悪目立ちするので気になっていたが、着替えを用意する時間はなかった。
ダミアンはそこまで見越して兵曹の分まで気を回してくれたらしい。
「何から何まで世話になってしまったな……その……」
「そんなことより」
余計なことは言わなくていい、と言わんばかりに、礼を言おうとした唇の前にダミアンの指が添えられた。
その手はそのまま首元へ下り、下ろした髪をひと房掴むと静かにキスをする。
「美しい、じゃ足りないな。今日の主役だ」
(く、くそ……このタイミングで一番うれしい言葉を……)
気を抜くと腑抜けた顔になりそうだ。
顔面に力を入れて浮かれた気持ちを静めていると、ダミアンは笑って額を軽く指で押した。
「そんな緊張しなくていい。これは貸しじゃねえよ」
彼の瞳は優しかった。
駅で見た時のギラギラしたギャングの雰囲気ではないし、恋人に対する甘いそれでもない。
私を通して何かを見ているような遠い目だった。
「…………どうして、ここまでしてくれるんだ?」
「アンタに、呪いをかけた気がしたから」
ダミアンは両手で私の手を包み込むように握る。
まるで神父に許しを請うようなポーズで、彼はゆっくりと喋りだした。
「駅で見たアンタはまるで物語の主人公だった。
恐れを知らず、現実を知らず、馬鹿で無知でどうしようもなく純粋な――誰もが一度は憧れて、そして棄てていく理想の姿」
彼の言う通り、私は馬鹿なだけだった。
おかげであちこちでトラブル続き――忠告は正しかった。
「でもアンタには、主人公でいてほしい気持ちがあったんだろうな」
しかし、ダミアンはそうは思っていないようだった。
「アンタを変えたのが俺の言葉なら、俺がかけた呪いなら、俺は俺を許せない」
「あなたが気にすることじゃない」
「これは詫びだ、エスコートさせてくれ」
彼はギャングだ、心を許してはいけない。
だが、彼の言葉に、瞳に、嘘はないように感じる。
「今回だけ……お願いします」
「ああ」
頭で考えるより先に、私は彼の提案を受け入れていた。
この判断が正しかったのかどうか、返事をした後に頭の中でもやもや考えてしまう。
だがこの程度の逆境、主人公ならどうにかできるだろう。
今は彼の好意をまっすぐに受け止めよう。
「ボス、こちらの方も準備ができました」
「ああ。その人はお前に任せるぞ、シュヴァリエ」
私たちの話が一息ついた時、タイミングを見計らったように白人の男――シュヴァリエに連れられて兵曹がやってきた。
濃紺のショールカラーのスーツに艶のある黒いボウタイ、前髪は無造作に後ろに撫でつけられている。
軍服姿の時は武骨な印象だったが、身なりを整えると印象ががらりと変わり、夜の雰囲気をまといだした。
(似合うんだが、なんかこう……ガラが悪いな)
シュヴァリエも無口な男だが、兵曹に至っては英語も話せない。
この二人がどうやって意思疎通したのか気になるが、二人の間に険悪な雰囲気は見えないため、どうにかしたのだろう。
『……兵曹、お礼を言っておけ。センキューだ』
「せんきゅー」
兵曹の拙い英語で礼を言われ、シュヴァリエは静かに礼をした。
教育の行き届いている所作――躾けたのはこのダミアンだろうか。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
ダミアンとシュヴァリエの異質な関係も気になるが、この場の主導権はダミアンが握っている。
私の手が添えられるのを待っている彼の腕に手を通し、私たちは劇場へと向かった。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・歴史的出来事などはすべて架空であり、実在のものとは関係ありません。
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