00「BADEND」
初めての連載作品です。どうぞよろしくお願いします。
※2025年7月 加筆修正を行いました。
初期に読んでくださった方、ありがとうございます!
以前と構成が変わっている箇所がありますが、ぜひ新たな気持ちで読んでもらえたら嬉しいです。
海神別奏
1923年――
日本の大正時代、アメリカの狂騒の時代を舞台にした歴史浪漫溢れる乙女ゲーム。
これは、そのバッドエンド。
愛されすぎて壊れたヒロインが、死の世界で男たちに飼われるお話――
◇ ◇ ◇
「織歌お姉さま。男を侍らす生活は楽しまれてますか?」
海の底の底、死の世界。
闇がどこまでも広がり、灯りになるのは宙に浮く淡く光る海月だけ。
怖ろしさと美しさが共存している空間に、鈴の音のような可愛らしい少女の声が響く。
「乙女……」
織歌の声はかすれ、かつての女性将校としての威厳は失われていた。
死の世界の屋敷の中に囚われ、光のない暗闇で瞳の輝きも失ってしまった。
「地上は……」
織歌はすがるように手を伸ばす。
長らく動くことを許されていなかった体は彼女の思うようには動かず、体を起こすこともできなかった。
「可哀そうなお姉さま。寂しいのね。大丈夫、すぐに”みんな”、この死の世界に送ってあげる」
「やめなさい……!」
織歌はかすれた声で叫ぶ。
かつて海軍将校だった誇りが、乙女の悪逆を許すことができない。
「うるさくってよ」
だが乙女の心には何も響かなかったようだ。
姫宮乙女――海軍将校の織歌と共に世界を守るために戦っていた公爵令嬢。
神の加護を受けた彼女の万能の力は、人のために使われることはなかった。
織歌を、人類を裏切り、その力をもって海に沈む悪霊である海魔を操り邪魔者を片端から殺してまわる。
そして死んだ魂は、死の世界へ送られていく。
乙女は地上の人間を選別し、地上と海底を支配しようとしていた。
かつての公爵令嬢はもういない。
ここにいるのは悪役と成り果てた令嬢だった。
「あなたたち、きちんと織歌お姉さまの世話をしておいて」
乙女はそう吐き捨てると踵を返して立ち去っていく。
「乙女、待ちなさ――」
「織歌」
乙女を引き留めようと織歌が声を上げた時、背後から掌で口を包まれる。
日本の屋敷には似つかわしくない洋装を纏った、白銀の髪に白い肌、海の底と同じ青い目をした男が織歌の声を止めた。
「シュヴァリエ……離して……」
「勝手に動いてはいけない」
シュヴァリエは背後から織歌を抱きすくめると、赤子に言い聞かせるように優しく囁く。
「今日はどんな服を着ようか?」
「……着替えなんかいらない。私は人形じゃない」
「そんなことを言わないで。私の可愛いpoupée」
織歌の制止も空しく、シュヴァリエの手は帯をほどき、着物の襟に差し込まれる。
フランス系の彼は着物に馴染みなどないはずだが、永い生活の中で毎日織歌の世話をするうちに慣れたのか、器用に脱がしていく。
着せられた紅い着物は暗い世界によく映えた。
「今日も綺麗だ」
シュヴァリエは織歌の顎に手を添えると、額に優しくキスを落とす。
うっとりと織歌の瞳を見つめると、その唇に唇を重ねようとした時、別の男の声がした。
「織歌さん……」
それは助けを求めて縋るような声だった。
亜麻色の髪、アイスブルーの瞳の神父服の男が、苦しそうに織歌の名を呟く。
「エンゼル」
シュヴァリエはその男を追い払うことをしなかった。
織歌を背後から抱きすくめる体制になると、エンゼルに織歌の顔を見せる。
「エンゼル神父は腹を空かせているようだ」
シュヴァリエが織歌の耳元で囁いている間にも、エンゼルは織歌に近寄り、神の救いを求めるように織歌の手を握る。
「……すみません、こんな………」
「……いいんです。どうぞ」
救いを求めるエンゼルを、織歌は拒むことができなかった。
自ら襟を広げ、首筋を晒し、エンゼルを招く。
エンゼルは苦しそうに顔を歪めながらも、織歌の首筋に喰らいついた。
ジュル――
血を啜る音が静寂の暗闇に響く。
聖職者でありながら海魔の子という穢れた血を持つ彼は、人の生気がなければ存在できない。
神への背徳、織歌への罪悪感に苦しみながらも命にすがる彼を、織歌は憐れむように抱きしめた。
「そんな顔しないでください」
「神よ……どうか……お赦しを」
ここには彼の信仰する神はいない。
それでも救いを求める哀れな神父を、織歌は抱きしめることしかできなかった。
エンゼル神父は補給が終わると、血まみれの口を裾で拭う。
「行儀が悪いぞ、エンゼル」
シュヴァリエがそれを見咎め、血をぬぐう布を探すため織歌から手を放した。
目の前にあるのは開かれた障子と、その奥に広がる果てしない闇。
そして一瞬の自由を得た体。
(今なら……)
織歌は隙を見て駆けだした。
立つことすら許可がいるこの生活で、織歌の体はすっかり弱っていた。
まともに走ることもできないが、それでも無理矢理足を動かす。
背後の男たちは織歌の逃走に驚くことはなく、不気味なほど静かだった。
その反応が怖ろしい。
まるで織歌の行為など、まったくの無意味だと言わんばかりのようで。
「どこ行くんだ?」
その想像は正しかった。
無理に足を進めた先で、褐色の男が道を阻む。
ぶつかった衝撃で、彼の赤い長髪がさらりと揺れた。
「ダミアン……」
立つ事もおぼつかない体は、ダミアンの体にしなだれかかる。
薄ら寒い深海の中で、ダミアンの体温はまるで炎のように熱かった。
「どこに行くんだ? 行く場所なんかねえだろ。どうして俺たちから離れようとするんだ。何が不満なんだ、言ってみろ」
ダミアンは静かに怒っていた。
織歌が逃げ出そうとする行為が怖ろしいのか、早口でまくし立てることで不安から逃れようとしているようだった。
「やっぱり、まだ鎖を外すのは早かったんだ」
ダミアンの厚い掌が肩に食い込む。
恐ろしい力で掴まれた肩が震える。
「や、やめて………」
「それとも足があるから、走りたくなるのか?」
ダミアンの光を宿さない真っ黒な瞳が怖ろしい。
懇願すらも耳に入らないのか、ぎりぎりと肩を掴む力が増していく。
男の力がこれほどまでに怖ろしいとは、かつて海軍将校だった織歌は知らなかった。
「ダミアン、よさんか」
「水虎」
それを止めたのは水虎だった。
日本とロシアの血が混じった彼は、日本人離れした大きな体でダミアンの背後に現れる。
他者が来て興奮が収まったのか、ダミアンは静かに手を離した。
「逃げんでもよかろう」
水虎は穏やかに織歌に話しかける。
織歌は、自分を囲う4人の男の中で水虎が最も恐ろしかった。
かつて幼馴染だった男。
太陽のような明るさを持っていた男。
だが、この深海で織歌を率先して囲うと決めた、織歌にとっては諸悪の根源である。
水虎は織歌の恐怖など知らないふりをして、優しく囁いた。
「もう全て終わったんだ。ここにいれば永遠の幸せがある」
織歌はすべてを諦めてその場に立ち尽くした。
水虎の温かい手が織歌の髪を撫でる。
「お前が逃げ出そうとしなければ」
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