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よろしくお願い致します!
サウルの瞳は澄んでいる。わたしを映していないだけで、弟は弟のままだ。
「姉さんが生きててよかったって思ってる。本当だよ。それが僕のためにもなるって思ってもいるけど」
言わなくてもいいことまで素直に教えてくれた。どちらかのためじゃなくてお互いのためになるのがきっと対等な関係だろう。
サウルはある意味で正しいと思った。自分を犠牲にするのが普通になったわたしが気づけなかっただけなのだ。サウルは悪くない。
「ぼんやりでも見えるのはきっとサウルの心が綺麗だからなんだろうね。今までセレナしかわたしのこと気づいてくれなくて」
素直な言葉を紡いだのはいつ振りだろう。勇者と呼ばれるようになって、勇者らしくならなくてはいけないと思うようになった。だから弱音は吐かなくなったし、嫌だと思うことだって思わないように無理矢理笑って過ごしていた。
「僕の心が綺麗かどうかは分からないけど……どうして姉さんの姿が誰にも見えなくなったかきいてもいい?」
わたしは魔王にかけられた呪いのことを話した。旅の過程を省略したのはわたしに行かせるしかなかった罪悪感を少しでも減らしたかったからだ。
何も考えていなかったとしてもわたしが決めたことにはわたしに責任がある。
村長以外はそもそも父が存在していたという記憶が抜けているのだから、彼らの仕打ちを恨むのは違う。仲良くしていたはずなのに急に避けられて悲しかったけれど、理由がわかれば仕方なかったのだと思えた。
だから魔王にかけられた呪いだとしても恨む気になれない。魔王のことを教えられた言葉でしか見ていなかったから、彼女をわたしはこれっぽっちだって知らないのだ。
「魔王には戦う意志がなかったってこと?しかも姉さんには美女に見えて、他の人間にはおぞましい姿に見えていた、か……」
「人間ではないのかもしれないけど、話の通じる相手だと思ったわ」
「へえ。だったらきっと姉さんの味方がしたかったんだろうね。多分、元々勇者って男のほうが多かったんだと思う。魔王と戦ったことのある者は少なくともみんな男だった。そして全員が敗れているんだよ。父さんも一回挑んで負けている」
「父さんはわたし達とずっと一緒だったじゃないの」
「その前だよ。母さんと結婚する前に一回ね、父さんの父、僕らにとって祖父から聞いていたらしいんだ。勇者になったからには魔王と戦わなくてはならないんだって」
「決まっている……」
「そうだよ、でも魔王が美女に見えたってのは聞いてない。きっと姉さんだったから魔王の姿を知ることができたのかもしれない。勇者が男ばかりだったってのは言ったでしょ?全部を調べることができたわけじゃないから言い切ることはできない。けど可能性はあると思う」
「姉さんには資格だけじゃなく才能があったんだよ。僕はきっと辿りつくこともできなかったと思うよ」
「そんなことないよ」
「はあ。自分の力を過小評価するのは勝手だけど認めてくれる相手にも失礼になることがあるって姉さんは知っておいたほうが良いと思うよ。とりあえず僕は少しでも力になれるようにできることはやっておくから。しばらく帰ってこないほうがいいよ。今は村に居てもいいことはないだろうし、姿が見えなくなった呪いを解くためのヒントになりそうなことも思いつかないし。あるとしたらきっと祠だろうけど、村長が自分の村から勇者が出たって宣伝したせいで観光しに来る人が増えてさ。祠に行くのも平地に住んでる人間には大変だろうにわざわざ苦労をしに来るんだから理解できないね」
「気になるんだったら行ってみればいいと思う。でも多分姉さんはきっと気分が悪くなるだろうから行かないほうがいいと思うよ」
そんな風に言われたらどうなっているのか気になってしまう。
「行ってみるね」
「そう。じゃ気をつけて」
しばらく会っていない間に話し方が変わっていてもサウルはサウルのままだった。迷惑をかけることになってしまうだろうから、わたしは村には帰ってこないほうがいいのだろう。
サウルの生活はサウルのものだし、わたしはもう存在しないことになっているのだから。
わたしはサウルと別れ、一人祠に向かった。セレナは村の近くで待っていてくれるようだった。急な勾配を登らせるのは気が引けたので都合がよかった。
歩いてみてもなかなか祠にたどり着けなかった。道を間違ってしまったのだろうか?
いや何度も通った道を間違えるはずがない。引き返してみると祠のあったはずの場所は瓦礫の山になっていた。ひっそりと静まり返っていた。
村は観光地化が進んでいるらしいのに、勇者を見つけた祠はすでに影も形もない。
壊してしまってよかったのなら、どうしてわたしが見出される前に壊してくれなかったのだろうか。
「早く行こう……」
気づけば呟いていた。でもどこに行ったらいいのだろう。
待っていてくれたセレナと合流する。わたしが落ち込んでいることが分かったのだろう。セレナはわたしの頬に鼻をすり寄せた。
いくつかの町や村を通り過ぎ、わたしはお金を置いてはひっそりと食べ物と交換した。
声をかけることはもうやめてしまった。話しかけてもきっと気づいてもらえない。
セレナの背に乗っていてもやはりセレナは誰も乗せずに歩いているように見えるらしい。何度か盗賊や警備隊の人間に追いかけられることになった。
セレナは必死に逃げた。わたしのことが見えていないということは献上品になるほどの美しい馬が一匹で歩いているということであり、捕まえれば金になるということでもあった。
そしてホルンの赴任した地へと辿り着いた。これまでたくさんの人の前を通り過ぎてきた。
誰もわたしを見た人はいなかった。
だからあの人にも気づいてもらえないのではないかと思うと会うのが躊躇われた。
セレナが降ろしてくれた場所にしゃがみこみため息を吐いた。
「そんな風にしゃがみ込んでどうしたの」
突然かけられた声にわたしは飛び上がりそうになるくらいに驚いた。向けばホルンが立っていた。
「見えるんですか……?」
「もしかして隠れようとしていた?だったら声をかけて悪かったね。私に見つかりたくなかったなら何も見なかったことにして……」
「いえ!違うんです!」
本当に見えている!
わたしは飛び上がり、思わずホルンにしがみついた。
「元気だね、よかったよ。左遷された文官なんて興味がないかと」
「え、左遷されたんですか?」
「もしかして知らなかった?勇者ご一行が旅立った後にね、溜まっていた仕事を片付けたらいきなり飛ばされたよ。もう二度と王都に戻るなと言われたんだよ。困るよねえ」
あまりにのんびりと言うものだから脱力してしまう。ホルンにしな垂れかかる状態になり、彼が両腕で支えてくれた。
「はいはい。勇者様は大分お怪我をされたようですね。彼らがいて傷をそのまま放っておくはずがないと思っていましたが、買いかぶりだったのですね」
やっと瘡蓋になった喉元の傷を見てホルンは眼光を鋭くした。
服の下にはもっと大きな傷がいくつもあるのに大げさだな、なんて思うのは。やっぱり怪我をすることに慣れてしまったせいだろう。
呪いをかけられてしまったことや旅であったことを説明すると、ホルンは何度も頭を上下に揺らした。
「なるほど。セレナは普通の馬とは少し違うんだよ。血は薄まっているけれど魔馬の一種のホワイトホースの血を引いているんだ」
「へえ……」
「勇者……ああ、伝説のほうのだけれど。その彼の愛馬だったのがホワイトホースだったらしい。勇者と共に人の国で暮らす間に普通の馬との間に子供ができて。勇者がいなくなった後に子供達と共に住処を変えたと言われているんだ。だからきっと名前を継いだあなたにだけ乗ることを許したんだろうね」
「え、他の馬に乗れなかったから同情してくれたんじゃ」
「そもそも他の普通の馬にセレナが乗せないように指示を出していたのではないかな。村から王都に向かう時、馬車を引いていたコ達には避けられていなかっただろう?馬達は興味津々で見ていたよ」
「そういえば撫でさせてもらいましたね」
「そう。私が教えたらきっとセレナに怒られると思って言わなかったのだけど。もし気にしていたのなら教えなくてすまなかったね」
「いえ、その気にしていたのは別にセレナにしか乗れないからではなくて」
「王女が馬に乗れないのは嘘だよ。彼女は小さい頃は競技会に出るくらいの腕前でね、年頃になってからお淑やかになろうと路線変更でもしたのか一切触れないようになったのだよ」
「え、じゃあ騎士団長が一緒に馬に乗せる必要はなかったってことですか?」
「マグドル殿が知っていたかは分からないな。彼は領地にいる時間が長かったからね。騎士団に入ってからは任務と鍛錬で社交には出ていなかっただろうし。でもまあ馬に乗った時の反応で分かってたとは思うよ」
「そうですか……」
「どうしたの。もしかしてマグドルと将来でも誓い合った?」
思わず言葉に詰まったけれど、嘘をつくようなことでもないと思い直す。
「いえ。わたしが勝手に思い込んでいただけで。約束したわけでもありませんし」
「一緒にいる時間が長かったんだよ。頼りになる年上の男がいたら気になってしまうのは当然では?」
「それは……」
最初に気になっていたのがホルンだったなんて言えない。今言ったとしても悪い冗談のようにしか聞こえないだろう。結局マグドルに流れたのだし。
「王女があきらめていないなんて誰も教えるわけにはいきませんからね。家格が合わないのではと言われつつも王女の希望もあって、ずっと婚約者候補に留まっていましたから。でも勇者がみつかって白紙になったんです」
「元々仲が良いなとは思っていたのですけど、婚約者だったなら納得です。どうして王女のことばかり庇うのかと思っていました。わたしが勇者で守る必要がないからだと言い聞かせていたのに、……違ったんですね」
「マーシャが女子だと知っていましたが。マグドルにも気づかれたということですよね?」
柔らかい表情のはずなのに目がまったく笑っていない。
「うえ?い、いやあのなんで名前」
「あの時村で名乗ってくれたではありませんか。気になる娘の名を忘れる程ぼんやりはしていないつもりなんですけど」
「え?ええっ?」
頭の中が混乱していて考えがまとまらない。
「言いたくなかったら言わなくて構いませんよ。私も聞きたいわけではないので」
ホルンはすぐに作り笑いを浮かべると何事もなかったかのように話を続けた。
「で?どうして見えていないなんて話になったんですか?」
「魔王がわたしにかけた呪いです。心の綺麗な相手にしか姿を見ることができないそうで」
「ふむ?呪いですか。それで私以外には見えないと?心が綺麗……?私の心が綺麗だとはまったく思えませんけどねえ。私以外に今までに見えた人はいなかったのですか?」
「はい。魔王が消えた後、すぐ近くにいた王女と騎士団長はわたしを認識することはできず……相打ちになったのなら好都合だと話始めました。わたしは二人が親密であることなんて全く気がつかないで一人で浮かれていて」
「元々婚約する予定だった二人ですから、それなりの交流があったのでしょう。マグドルも「勇者レオ」を敵に回す気はなかったでしょうし、いる時にはそれなりの節度を保っていたということだと思いますよ」
「初めて会った時に睨まれたと思ったのは勘違いではなかったということ、なんでしょうね。やだな、浮かれてて何も見えていなかったんですね、わたし」
「女だと分かった時に王女に話してしまえばよかったのに彼はそうしなかった、ということですね?あなたが魔王の前まで無事にたどり着けたというのなら王女はあなたが女だとは知らなかったということのなのでしょう。向上心があるのは大変結構なことですが、」
お説教の始まる気配を感じ取り、
「お、弟とは話せました!」と叫んだ。
「ん?確かサウルでしたっけ。弟さんにはマーシャが見えたのでしょうか」
「弟には声が聞こえたようです。姿はぼんやりと見えるくらいだったみたいなんですけど、久し振りに人と話すことができて、わたしってまだいるんだなって思いました」
「いるに決まっています。村に行って弟さんとは話せたのですね、よかった……。なぜかあなたのことを覚えている人間が村にほとんどいなくなって。彼の名前で王の下に呼んだはずなのに、書面すら名前は全てかき消えてしまって。村長が私がまた村を訪れるのをなぜか反対していまして、私の方も押しつけられた仕事が忙しくてなかなか時間を捻出することができませんでした。一度だけ話すことができたのですが、私があなたの名を出したら驚いていましたよ。それから忠告されましたね。もし勇者に会うことがあっても決して呼んではならない。呼んだ時には何が起こるか分からないから、姉の身を案じるなら呼ぶべきではない、と」
ホルンのつく吐息の音がした。
「多分、今あなたにかかっている呪いに近い性質のもの。それが元々勇者にはかかるようになっているのではないかと考えます。同じように魔王にも呪いがかかっているのかもしれません」
「魔王にもですか?」
「ええ。勇者にかかっている呪いが魔王のものだとするなら、一体誰が魔王に呪いをかけたのか……」
難しい顔をしてホルンは黙りこんだ。心配になって見るわたしに気づいたのだろう。すぐに口元だけ引き上げた。
「考えるべきことは山ほどありますが、全ては明日にしましょうか。疲れているでしょうからあなたはもう休んだほうがいい」
「でもご迷惑をおかけするわけにはいかないです」
「なら一休みして昔話をしましょう。わたしには見えていますし、他に誰も来ることがないのですから。見えないことなど忘れてしまいなさい」
二人で温かいお茶を飲みながら、初めて会った頃の話をした。わたしはまだ勇者ではなく、ホルンの名も知らないただの村娘だった。
何も知らないままで生きていられればそのほうがよかったのか。父を殺した人間の元で暮らすことが果たして幸せなのか。
ホルンに打ち明ける気にはなれなかった。優しいこの人をわたしの事情に巻き込みたくなかった。
震える肩に手が置かれ、あの日のように引き寄せられた。
人のぬくもりが温かいと思えたのは久し振りで、わたしはまだ生きているのだと思えた。
「大丈夫。大丈夫ですよ。あなたには私もセレナだっているじゃないですか。例え他の誰にも見えなかったとしてもあなたがここにいるのは確かなのです。消えてしまったわけでも、相打ちになったわけでもない。勇者レオの役目は終わったかもしれませんが。マーシャ、あなたはここにいる」
そっと抱きしめられた。わたしが嫌がればきっと解かれるだろうと思えるくらいに柔らかく、だからこそ身を任せることができる。
温かさがわたしを包み、眠気を誘う。目を開けているのがむずかしい。
耳元で遠くささやきが聞こえる。
「おやすみなさい。よい夢を……」
瞼に柔らかいものが落とされた。
目が覚めたわたしはいつになくふかふかしたベットに横になっていた。早く出て行かないと怖がらせるか迷惑をかけてしまうだろう。見えない何かがいた、怖い。言われる回数を重ねても慣れることはなかった。
しかしもう少しだけ横になっていたい気もする。だって。
「ホルン様出てくるなんていい夢だった……久し振りに会えたし。もっかい寝たら会えるかな……」
「誰に会うんですか」
まだ寝ぼけていたわたしに声をかけたのはそのホルンだった。
「会ってます、今」
「今?ああ、私のことでしたか。疲れが溜まっているでしょうからまだ寝ていてもいいですよ?朝ご飯は私が作っておきますから起きたら召し上がってくださいね」
「え、は?そんな!ホルン様にご飯を作っていただくなんてそんな恐れ多い!」
「ふふ、マリンの中デ私は一体どんな立場なのでしょうね?私だってお茶も淹れますしご飯だって作りますよ。他に人がいないなら何でも自分でしなくてはいけませんから」
夢かと思ったがどうやら夢ではなかったらしい。
「ともかくよく寝れたようでよかった」
「ご迷惑をおかけしました。その、すぐに出て行きますので」
「はあ。何を言っているのかよく分かりませんね、勇者ではなくなり、見える人が限定された状態のあなたが普通に生活していける場所なんて……私の側以外にはないだろう」
敬語が抜けたのに気づいた、薄く笑っているからきっとわざとなのだろう。勇者ではないわたしといるために変えることにしたようだった。
「勇者が魔王を倒す。それは既定路線だった。言い換えるとそうなるように仕組まれていたとも言える。魔王はずっと存在していたはずなのに魔物の数が急激に増えたのはこの数年だ」
「わたしが会った魔王は綺麗なお姉さんでしたけど、ヒューリーやマグドルにはおぞましい姿に映っていたようです」
「興味深い。それは勇者であるからなのか、それとも……」
「わたしだからという可能性は少ないのではないでしょうか。そもそも王様は勇者である男性を探していましたよね。勇者であると共に男である必要性があったということではないのでしょうか」
「私はてっきり王女との婚姻を考えているから男子を探しているのだと思った。これはマーシャがレオと呼ばれるようになってから知ったのだが、勇者の子孫であれば多かれ少なかれ素質はあるらしい。だから男とは本来は限らないはずなんだ」
「でも城でも町でも勇者が男であるということを疑うような人はいませんでした。気をつけてはいましたけど、体の線の細さでいつバレるかと不安でしょうがなかったのですけど」
「勇者は代々、初代勇者の名であるレオと名乗ることになっている。慣例になっていて深くは考えていなかったが、名を継ぐことにも多分意味があったのではないかと思う。レオと呼ばれている間、本当は女だと知っているはずの私でさえ勇ましい男に見えていたくらいなのだから」
「魔王の姿が違ったものに見えるように、勇者も姿が違って見えるということですか」
「いや、実際目に映る姿が変わるわけではないのだ。どちらかと言えば印象が変わるというか、特に遠くから見かけるだけであった時には見間違えたかと思うくらいに違ったな」
「遠くからでも見かけたなら声をかけてくれればよかったのに」
「そうしたい気持ちはあったが、してはならないような気持ちになったのだよ。最初だけだ、見つけてうれしいと思ったのは。段々と勇者にしてしまったことを後悔するようになった。こんなにか弱い身で前線に送り込むために日夜鍛えていただろう。会う度にもうやめてしまえと言いたかった。特に血筋であれば程度の差はあっても資格があったはずなのだよ」
「サウルにもあったのですね」
もしかしたらわたしに役目を押しつけたかったのかもしれない。今の弟には負い目となっているようにも思える。
「勇者となるからには必ずレオと名乗らなくてはいけなくなると知っていたのだよ。誰も呼ぶことのなくなる名を私だけは覚えておこうと思った。勇者となるからには過去に遡って名がレオであったとさせるから」
「知りませんでした。でももしかしたらサウルは知っていたかもしれませんね。少なくともわたしよりも詳しかったです。ホルン様もご存じの通り、勇者は男ではなくてはならないのだと思ってサウルの名を借りました。だからサウルはわたしの振りをするはずだったんです。でも久し振りに会った時、サウルはサウルとして生活していました」
「ふむ」
「弟が言っていました。わたしの父が先代の勇者であったらしいんです。わたしは全く知らなかったので、亡くなると次の世代に引き継ぐことになるなんて知りませんでした。弟は父から話を聞いていたようで。だからもしかしたらわたしが勇者である可能性があると知っていたようでした」
わたしは大きく息を吐いた。
「サウルは頭の良い子です。必要なことが何か、理解していて立ち回っているのでしょう。わたしはわたしが何を欲しいのかも考えたことがなくて。父を殺した人を頼っていたなんて恥ずかしい」
「殺した、ですか?」
「ホルン様も会っています。村長がやったのだそうです。今、村に住んでいる人間のほとんどが隣の村の者だと知っていますか?」
「ああ、そんな話を確かに聞きましたね。もしや移り住むため、でしょうか」
「そうらしいです。わたしの姿が見えないことはお話しましたよね?一応隠れていましたけど。声が聞こえる位置にいたのに気づかれませんでしたので、サウルとの話を聞いたんです」
「守るべき人間がいるというのはわかります。守る相手とそれ以外に分けて考えるということもわからないでもありません。でも、だからって同じ人間を押しのけてまで」
「生きるためにそうするしかない、ということもあるかもしれません。私は村長その人とは違う考えを持っているでしょうから、きっと参考にはならないでしょう。でももし、大切なたった一人の人間の命と名も知らない大多数の人間の命が天秤にかかっていたならば、私は誰に非難されてもたった一人を選ぶでしょう」
「ホルン様に好かれる相手がうらやましいです。なにがあっても選んでもらえるなんて」
「どうでしょうか。そんな覚悟、しなくていいなら私だってしないですよ?まあそういう人間だから遠くに飛ばされたのです。人の上に立つには私人としてよりも公人としての行動が必要になってきますからね。例え世界が救われるのだとしても、私の大事な人が不幸になるのならば、そんな世界なんていらないです」
「たくさんの人を優先することはそんなに大切なことでしょうか。全部否定するつもりはありませんが、自分にとって大切な人を守ることすらできなくて、なのにその他大勢は楽しそうに笑っていたら嫌だと思うのはむしろ人間としては当たり前のように思えるのです」
「ホルン様?」
「あなたの父君も勇者でしたか。どうして勇者が同じ一族から生まれるのか、考えてみたことはありますか?」
わたしは首を横に振った。
「ありません。勇者と言われてもわたしには全く実感がありませんでしたから。城で他の人と剣を合わせて、弱くて驚いてしまっただけで」
「それまで剣を合わせたことがあったのは前の勇者であったお父君でしょうか」
「はい、父はわたしにとっては狩りの師匠でもありました。剣を握る時は女だとも子供だとも思わないからそのつもりでいろ、と言われて」
「厳しい指導だったんですね」
「当然のことだと思っていました。命がかかった状況で男か女かなんて関係のないことですから。父と剣を合わせて、数回に一回は勝てるようになっていました。父はわたしになら自分が見ることのできなかった景色を見れるかもしれないと言っていました。きっとお世辞でしょうけど」
「そうでしょうか。手を抜くような人ではないと他でもないあたなが一番知っているはずですよ」
「弟は自分が後継者ではないだろうと思っていたそうです。村長もきっとわたしがそうなのだろうと思って、利用するつもりだったようでした。勇者が消えた今はきっとサウルが次なのだと思っているみたいですね。サウルに弱みを握られていることもありますけど、娘と結婚させて次の村長に据えるつもりです」
「弱みですか」
「村長は娘さんが大切なようで、自分のしたことを娘にだけは知られたくないそうです。その娘がサウルのことが好きで、話がまとまったようでした」
「弟さんもわざわざ仇と分かって毎日顔をつきあわせることをしなくてもいいでしょうに」
「ふふ。確かに。わたしにもよくわかりません。」
「勇者のいる村は繁栄するなんておとぎ話でしかないと自分が村長をする間によくわかっていると思うんですけど」
「わかっていても人間にはすがりたくなる時もあるのだと思いますよ」
良いか悪いかは別にして。
今、わたしも彼に縋ろうとしているのではないかと思うと怖くなる。