近衛兵士
通勤・通学ラッシュで混雑する電車の中に、一つ異様な恰好の男がいた。
金属の鎧と大きな盾。そして長槍を携えた大男。
夏が過ぎたとはいえ、秋口の人込みでは暑苦しいはずだ。そもそも、スーツや制服で押し込まれた電車内では目立つし、何より迷惑極まりない。しかし、ほとんどの人はそれを気にしている様子がなく――いや、それどころか男の身体は半分透けていて、彼の立っている場所には別の人々が車内で揺られている。ぶつかりもせず通り抜ける様は、まさしく幽霊のようだった。
≪羨ましいぞ全く!≫
“申し訳ありませんマスター。マスター殿を霊体にすることはできませんので……”
≪あー……ただの愚痴だ気にするな。いつも通りの事だし≫
“こ、これがマスターの世界では日常なのですか……!?”
驚いた様子の男に、樋口 慎が頷こうとして、身動きが取れず失敗した。心苦しいと言わんばかりに、男が顔を歪める。
“これでは魔境と変わりありませぬ……”
≪いやいや! お前らの世界のが魔境だからな!?≫
“いいえ、これなら魔物と戦う方がまだ楽な気が……どうにも世界の常識にズレがあります。しばらくは我ら一同、学ばせていただくことになりますが、よろしいでしょうか?”
≪全然オッケーだ。手が離せない時はアレだが、分かんねぇことは聞いてくれていいからな?≫
“はっ! ありがとうございます!”
敬礼と共に顔を引き締める様は、生真面目な彼の性分を明確に表していた。堅苦しいともとれる態度だが、鎧の男が『何』かを考えれば当然のことだろう。
彼は、オルタナティブ・ラグナロクでのキャラクターだ。今朝の出来事――ゲーム世界の住人がこちらにやってきて、共に過ごすためには“触媒”が必要だと慎に訴えた。彼は使わなくなったスマート・フォンを差し出し、ゲームキャラクターたちはそれに宿っているらしい。
電車を待つ空き時間の間に、慎は触媒に触れると、電池の入っていないスマホが液晶を輝かせた。見覚えのあるキャラクターの名前の羅列が浮かび上がり、その中から慎は彼を指名し、こちら側へ呼び出したのである。
レアリティN『近衛兵士』ゲーム内での王国を守る兵士の一人。設定上では人間の中では腕が立つ方だが、最低ランクのレアリティでは、木の葉のように敵に散らされるのがオチだった。名前だけの……ドラマのエキストラに近い扱いだ。
最も慎はそのように評価してはおらず、縛りプレイ中盤までは『近衛兵士』を軸にした戦術を取っていた。このキャラクターは、Nの中では防御性能に優れていて『近衛兵士』が敵の攻撃を受け止めている間に、他のメンバーで総攻撃を行い、敵ユニットを殲滅する戦法を採っていた。
この戦法は汎用性が高く、ほどほどに遊んでいるプレイヤーたちにも、簡単に応用できる方式だ。様々なゲームでも似たような戦法が存在し、ある意味基礎戦術とも言える。『N』でこの戦術を安定して行使できるのは、彼だけだった。ただ、それも中盤ぐらいまでの話である。
≪……正直、もう少し拗ねてても仕方ないと思ってたんだがな≫
“は……? あ、いえ、失礼しました。マスター”
懸念そうな顔をする『近衛騎士』の反応に、慎は軽く笑った。思うところが全くないらしい。腹の内に憤懣を溜め込んでいては、こんな反応は出来ないだろう。ゆっくりと慎は、騎士に説明を始めた。
≪ああ、その……『近衛騎士』はさ、中盤ぐらいまでしか上手く使ってやれなかったし……≫
ステージを進めるほど敵が強くなるのは、どのゲームでも変わらない。
ただ、ソシャゲーにおいて敵が強くなった時に頼れるのは、レアリティの高いキャラクターだけだ。確かに、レアリティの低いキャラクターも成長させることで、能力を高めること自体はできる。しかし、レアリティが高ければ高いほど、より高い能力を保持しているのが、ソシャゲーの基本的な仕様だ。同じように鍛えても、レアリティが低い方が能力限界値も低くなってしまう。特に最低ランクのキャラクターは、本当に最序盤での数合わせ以外では使われることはない。
――だから『近衛兵士』では、ゲーム中盤以降、敵の攻撃を受け止め切れなくなってしまった。なので、彼の出番はそこまでだったのである。
“何を仰いますか! 受け止め切れぬのはわたくしめの鍛錬が足らぬからであります。マスターのせいではありません”
≪それはそうかもしれないがな……≫
“マスターの事を良く思っておらねば、今こうしてこの場にはおりませぬ。あなた様を慕っているからこそ、我ら一同はあなた様の下へ赴いたのです。ですから、そのようなことは仰らないでください”
影なく笑う『近衛兵士』につられ、慎も微笑みを返した。使役された彼が気にしていないと言っているのだ。自分がうじうじしていては情けないと、慎は話題を変えた。
≪そういや、俺の下に来たメンバーって何人だ? 確か『N』の総数は15だったはずだが、全員来てるのか?≫
“あー……それは……実は一人欠員がおります”
ばつが悪そうに、『近衛兵士』が質問に答える。扱いが雑だったキャラも何人かいたから、慎としても覚悟はしていた。少しだけ寂しい心持ちにもなったが、遠まわしに自分のせいでもある。ただ、逆に一人だけなのは意外だった。
≪一人だけか。思ったより少なかったな≫
“え? そうでしょうか”
≪もう二、三人居ないだろうな~なんて勝手に思ってたからな。『オーク』とか『BBB』とか≫
“その二名は所在しております。といいますか、『オーク』殿は魔王討伐の英雄ではありませんか!”
≪……ちゃんと使えたのは、その最後だけだったからな≫
そんなことは――と励ます近衛兵士は、慎の表情を見て言葉を失っていた。
慎としては『オーク』を使えたのは最後の魔王討伐戦のみ。一応、何度か使おうと努力をしたことはあったのだが、別のキャラの方が使い勝手が良く……いわば『不遇』のキャラクターだった。最後の最後だけ、都合よく頼ったと慎は思っており、合わせる顔がないとさえ感じていた。
≪いっそ、怨まれてても仕方ねぇとさえ思ってる≫
“マスター……そう仰らずに。一度、落ち着いた所で『オーク』殿と話してみては?”
≪……そうだな≫
表情は冴えないまま、流される学生の群れの一員になって、慎は電車を降りる。
その後も、どこかぼんやりとしたまま、何も変わらない日常を歩いて行った。