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火事場でも現実は世知辛く

「皆さん! 落ち着いて! パニックを起こさないよう、一人ずつ順番に階段を降りてください!」


 こんな避難誘導を耳にするのは、小学生や中学生以来だろう。激しい振動と煙は、本能が生命の危機を訴えてくる。何の指示も無ければ、気弱な人間は錯乱しかねない。


「エレベーターは使わないで! 非常階段も使いましょう! 前方の人間を押さないように! 転倒による負傷もそうですが、余計避難に時間がかかります!」


 恐怖をかき消すように、地上からやって来た消防隊員の衣服が声を張る。その声に反応したのか、上等なスーツを着た人物の一団が、奥の方からやって来た。不安げな表情を見せながらも、横柄な態度で社員たちを押しのけつつ言った。


「来るのが遅いじゃないか。全く何をしていたんだか」

「高い税金を払っているんだ。こういう時こそ迅速に動いて欲しい物ですねぇ」


 ――『公僕』たる救出者は、内心で反論する。これでも完璧に事態を予測し待ち伏せていたから『本物の消防隊』より早く到着しているのだが……

 猛烈に腹を立つけれど、こんな時に言い合っても仕方ない。ぐっとこらえて、避難誘導を継続した。


「ご意見は後ほどお伺いいたします。まずはビルからの避難を優先していただけますか?」

「それは、まぁ……」


 火事場の真っただ中で、責任云々押し付け合う余裕はない。無駄に時間を使い、避難が遅れて死ぬようでは無能の極みだ。素直に指示に従ったかに見えたが……去り際、高圧的な口調で言い捨てた。


「おっと、脱出前に社のデータを吸い出しておけよ! バックアップがあれば、すぐに復旧できる」

「クラウドサービスに提携しています。問題はないかと思いますが」

「すべてのデータを預けている訳でもなかろう? 何かの間違いで、断線しているかもしれない。念には念を入れて置きたまえ。紙媒体も可能な限り回収しつつ避難を」


 ……会社の利益を考えるなら、この発言は間違っていると言い切れない。不慮の事件、不慮の事故だとしても、データや社外秘の資料を失うのは避けたい。現代はネットに繋ぎ、外部サーバーに情報を保存して置けるサービスが主流だが、万が一のリスクに配慮するのは当然。データ化の終わっていない紙媒体の資料や、社外秘の情報もある。持ち出し指示自体は順当なモノかもしれない。

 ただ――後回しの社員には強い反感と不満がある。そそくさと脱出する上司どもに、平社員は危険な地に取り残されて仕事三昧……これで嘆かない人間はいないだろう。何の疑問も持たずに従っていたとしたら、それはそれでブラック企業に洗脳されているとも言えよう。こんな状況でも世知辛いと、同情を交えつつ社員に言う。


「我々は消防隊です。企業の事情より、人の生命を優先します。順次ビルから脱出させますので、それまでに作業を終わらせて下さい」

「部外者は黙っていろ。これは社内の――」

「社内のルールより社会のルールが上位です。これをきっかけに、労基の介入をお望みですか?」


 不服そうな顔を見せたが、声を荒げて反論しないだけ、ここの役員は多少マシな頭をしているらしい。近年派手な炎上をやらかす企業は、社内ルールと権限を振るいすぎたツケを払う場面が多々ある。それなりに発展した企業であれば、後ろめたい事の一つや二つは抱えている方が自然だ。横暴なふるまいは、身を滅ぼすきっかけになり得る。理解した役員は、外部からの振動を感じ、そそくさと退室し避難に入った。


「あ、あの。まだ猶予はありますよね……?」

「……何とも言えませんが、可能な限り急ぐべきです」

「でしたら……おい! ファイルケースを持てるだけ持ってくれ!」

「データの抽出も進めて……あぁ、今終わりました! USBメモリーに持っていきます!」


 こんな火事場で『仕事』を続ける人々に、救出に入った人物はめまいがした。命が惜しくないとでも言うのか? さすがに見ていられず、思わず声を荒げた。


「……順序があるので仕方ないですが、どうしてそこまでするのです! 死ぬんですよ⁉ 下手をしたら!」

「そうかも知れないですがね……ウチらも働かないと死ぬんですよ」

「こんなトラブルで足を止めたら、他社にシェアを取られちまう」

「ユーザーは短気でこらえ性が無いし、今じゃ娯楽なんざいくらでも替えが効く。定期的に更新しないと、あっという間に廃村になっちまう……って、こんな事消防隊の方に言っても仕方ないか」


 またしても救出者はめまいに襲われる。このまま居座っていては命の危険があるが、働き先の会社が潰れれば、結局その後の人生に響く。分かりやすく目の前に迫る生命の危機と、これからの人生という長い単位で見た危機。二つの危機に板挟みの、悲しき社会人の姿にげんなりした。

 これも社会、これも人生。決して珍しい話じゃない。どこか一つ歯車がズレれば、あの場所に立っているのは自分だったかもしれない。業界の単語は理解できずとも、平社員の世知辛さは共感できた。


「……可及的速やかに作業を終わらせて下さい。可能なら点呼の方もお願いします」


 本当は最優先で脱出させるべきなのだが、消防隊員は『本業』ではない。幸い、周囲は『術者』達で封殺しており、実際は避難に時間をかけても問題ない。どちらかと言えば人払いをして、後々の行動を通しやすくする目的だった。

 が――ここで一つ、致命的な問題が浮上する。


「あれ、あの二人は?」

「どうしました?」

「新プロジェクトのチーフと……その相棒役の人物が見当たりません……」


 社員たちの顔が青くなり、感情が伝播していく。もしや犠牲になったのではと。

 だが、後々『消防隊員の衣服』は知る事になる。

 先手は確かに打った。相手方に損害も恐らく与えた。

 しかし『黒幕』達は、運か偶然か……真の目的を達成してしまった事に。

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