邪神と悪党
もしこの場面を人々が正しく認識できていたのなら、もっと大騒ぎになっているだろう。ビルの一角が謎の黒ローブ集団に囲まれ、剣と魔法のファンタジー世界から呪術を持ってきて、現実を派手に荒らして回っている。この現象を目にして、誰もが何の反応を示さないなどありえない。
スマホやSNSが普及した現代なら、下手なマスメディアより早く情報を拡散できてしまう。自己顕示欲がある人間なら、こんな非日常で刺激的な場面を見逃さないだろう。平日昼間とはいえ、真面目なサラリーマンばかりではないのだから。
なのに、誰も『ビルに対してスマホを向ける事は無かった』それどころか、誰も『ビルが視界に入ったとしても、誰も関心を向ける事も無かった』のである。
あからさまな異常事態に対し、それを異常と認識できない現象……一見して不可思議な図面だが、怪奇現象に詳しければ察しが付くだろう。異常を異常と認知できないのは、オカルト界隈でよく起こる現象の一つ。ビルに張りつけた護符に、異常を異常と認識できない術も付与されているのだ。
故にここからは彼らの時間。現場に到着し井村は、柄にもなく声を張った。
「今回は、周囲の目を気にする必要はない。多少外部に漏れても気にするな。それよりも、確実に敵対勢力を撃滅せよ! 余裕があれば対象の拘束や封印を決行し、一連の事件の黒幕を吐かせる!」
完璧に相手の行動を読み切り、やっと張った網に敵が引っかかったのだ。初動対応、事前準備も万全な状態で動けた好機を逃すほど、井村やその組織は甘くない。ここで打撃を与えるのはもちろんのこと、可能ならば首根っこを押さえて完全に制圧してしまいたい。事件解決となれば、井村や上層部も枕を高くして眠れるだろう。現に通信器具からの返答は、相応に気合の入ったモノだった。
『護衛班も偽装完了! 警察官・消防隊としてビル内に突入します!』
『まずは無関係な階層の人物を脱出させます。折を見て本命の……『例の会社』に属する人間に手を付けましょう』
「迅速かつ確実な遂行を望む。認識阻害の結界もあるとはいえ、実働班も速やかに敵勢力を鎮圧せよ。脅威度の高い相手を発見した場合は報告しろ。オレとジャヒーが応対する!」
言うや否や、派手な呪術同士が拮抗する気配がした。部隊の実働班が、敵勢力と交戦を開始したらしい。井村が報告を求めると、概ね『優勢』と返答が帰って来た。
――以前井村が企画し、若者たちと繰り広げた『演習』が効いたのだろう。効果的な待ち伏せが出来たのも大きい。おかげで腕利きの『神秘の専門家』が派遣され、十分な戦力を確保できている。加えてこちらには一枚、いや一人だけ強力な切り札が存在していた。
≪ジャヒー……怪我はするなよ≫
“大丈夫だよ、パパ。こういう時は、堂々と使って?”
≪……それでも、だ。気をつけてな≫
“……うん”
同郷のキャラクター『ジャヒー』に声をかける井村。こんな湿っぽいやり取りをすべきではない。そうと分かっているのに、ほとんど無意識に男は『ジャヒー』を気にかけている。情に引っ張られる中、すぐに少女がその権能を振るい始めた。
『おい、こんなところになんで――』
『違う。その子、井村の所の使い魔だ。外見と裏腹に、振るう術は強力だぞ。間違っても巻き込まれるなよ』
“――女の人、いないよね? いたら、私の視界に入らないで”
意味を誰かが問いただす前に、少女はその『魔眼』を発動させる。ギラリと眼光が閃くと、敵対者たちの一部が膝をついた。『女性を視界に捉えただけで、その能力の10%を吸収する魔眼』が発動したのだ。
相手側の能力を下げるだけでなく、自らの物として取り込む……しかも一人だけでなく、複数相手にも有効。見るだけで発動する性質上、回避や防御も困難で即効性まである。改めて羅列してみれば、反則としか言いようがない。改めて『ジャヒー』の規格外を理解しつつ、仕事には手を抜かない。複数の相手が怯んだ瞬間を逃さず、こちら側の術者が呪術を叩きこんだ。
『鈍ったぞ! 一気に仕掛けろ!』
術者たちが一斉に、各々の武器を振るう。奇妙な刻印は、何らかの儀礼を想像させる。現存する神秘を用いて、ゲーム世界から飛び出した亡霊を焼く。同郷の少女が右手を掲げ、その手に純黒の泥を握り、振りかぶる。
“この世のすべての悪いモノ……少し分けて、あなたにあげる!”
制御されているからいいものの、邪神の粋を濃縮した呪詛の固まりが放たれれば寒気がする。直撃すれば一瞬で呪いが回って倒れるし、仮に耐えられたとしても強烈な弱体化がかかる。そんなトンデモ無い代物を『一定時間が経過すればいくらでも打てる』など悪い冗談だ。本物の怪物を前にして、小悪党たちは震え上がりつつも……あからさまな怒気を眼光に宿していた。
『何故だ……何故邪魔をするッ! 消えて無くなる事を拒んだのは、貴様とて同じであろうに……!』
『……でも、恨みじゃない。あなたとわたしは、違う』
『――此度の事とて、所詮先延ばしに過ぎん! どんなゲームだろうと、いつか人は離れ忘れ去られる! ならば……消えゆく刹那の最後のひと時まで、もがき足掻く事の何が悪いッ!』
『綺麗な終わり方を、汚したくないだけ』
無線越しに聞こえる、ジャヒーの言葉。
自らを父と呼ぶ少女の本音を、井村は初めて、聞いていた。
一方――