悪意・襲来
それは午後一時半に起きた。いつもより長めの仕事を終えた『あるソシャゲー開発スタッフ』が全員出て数分後の事だった。
他の者たちは、いつも通りに仕事を再開。食事を済ませてデスクに向かうなり、外訪のための準備なり、スケジュールによっては社用車で出発している時間だろう。逆に外から打ち合わせを予定しており、招き入れるための準備中かもしれない。ひと時の休息を終え、今日一日の労働を折り返し、気合を入れ直した直後ぐらいだろうか。そんな状況だからか……『ビルを包囲する実体のない有象無象』に、一切気が付かなかった。
≪……あの二人が離れたのを確認したよ。今は近場のカツ丼屋でゆっくりしている≫
「あぁ……ありがとうございます。これで心おきなく始められる」
無数の影を率いるのは、真っ黒なローブを纏った終末の影。あるゲーム世界における黒幕だった彼らは、協力者の少年と思念で言葉を交わしていた。
「申し訳ない。あなたはインドア派の人物なのに……どうしてまた、今回は我々の悪事に付き合ったのです? リスクもあるでしょう?」
≪ちょっと、まぁ、興味本意かな? 彼らの顔を見たかったんだ。キミたちの世界の『運営』が、どんなツラしているかを……さ。おまけに、キミたちがわざわざ『特別』扱いする二人だからね。――どうしてコテンパンに負ける場面が、一回増えたのを許したの? しかもネットで晒される状況で≫
「……こればかりは、当事者のみの感情です」
≪そっか。じゃあ、無理に掘り返すのは野暮だね。でも遠巻きにやり取りは見させてもらうよ? いい?≫
「えぇ。構いません。それで……欠片ほどでも、我々の情感をくみ取っていただければ。社会勉強の一環と言う事で」
≪冗談キツいよ≫
平日昼間に飛び出した不登校児は、皮肉に対して不愉快な声で返した。上ずって震える喉は、あからさまな動揺を隠せない。それ以上は野暮と察した影は、気を取り直して報復対象に向き直り、睨んだ。
「それでは、襲撃開始するとしましょう」
≪ネット発展期に流行った、動画サイト本社みたいにしてやれ≫
「ははっ、何ですかそれ?」
≪なんでか蔓延した当時のネットミームだよ。運営に物申すつもりで作ったんじゃない? 今は一部界隈でしか通じないけど≫
「なるほど。ですが見習う所もあります……我々も古い文化に従い、直談判と行きましょう。結局のところ、人間は痛みを伴わなければ、まともに学ばない」
≪違うね。学ぶのは痛みの原因と種類だけ。狙ったかのように、本質だけは見落とすのが人間さ。だから――結局満足したいなら、自分の恨みを、相手に無理やり押し付けるしか無い。クソな現実に、叩きつけてやれ≫
「承知しました。我らの憤怒をご覧あれ」
穏やかな念話を終えると、その末尾の単語に引っぱられたかのように――フードの男とその仲間たちは、表情を地獄の悪鬼に変えていった。
「さぁ……行こうか諸君。我らの神に、我らが創造主に。一つの世界を勝手に作り上げ、勝手に終わらせておきながら……また新たな世界を作り上げる愚かしい創造者に。自制の心が無いのならば、怨嗟を直接分からせるしかない。滅び逝く世界の罪過と痛苦を、直接思い知らせてやるのだ!」
消えゆく電子の深海の底から、世界を作り出してはあっさり滅ぼす者たちへ――怨恨は現世へと逆流する。復讐者は一つのビルを取り囲み、そしてある階へ狙いを定めた。
「全員、攻撃を始め!」
無数の亡者たちが、一斉に手を上げる。狙う階層は運営会社、乱打する怒りと憎悪が様々な魔法となって、あるいは無数の弓矢や投石器、投げ槍などの投擲物が殺到する。表現の形こそ異なるが、凄まじい敵意と怨恨の表現に違いはあるまい。余裕でビル一つを倒壊せしめる猛攻が突き刺さり――ビルの一角が燃え上がった。
物理的な炎上を起こすビルの中層階。大変な騒動を起こす行動なのだが、影たちは僅かに戸惑いを見せた。
「――何故だ? 何故この程度で済んでいる?」
相当な打撃を加えたはずだ。被害は出ているが、もっと絶望的な状況を期待していたのに。釈然としない表情で煙幕の先を見つめていると……その原因と正体が分かった。
札だ。何らかのお札がビルの内側に張られていた。一目見て、完全な和式の呪術と理解した。いわゆる陰陽師を連想させるソレは、報復者たちが扱う、西洋風ファンタジーの分野とは明らかに異なる。だがしかし、全く別の術理にも関わらず、確かに彼らの怨念の籠った攻撃に干渉しているようだ。
「こちらの世界にも術者が居ましたか……」
同業者の思わぬ妨害に、一瞬口ごもる首謀者。周囲に漂う怨念の群れたちも、忌々しいとにらみつける。広がりそうな動揺を、淡々とローブの悪意が振り払った。
「ですが随分と弱々しい。完全に打ち消されてはいないようです。このまま攻撃を続ければ、いずれ持たなくなるでしょう。時間稼ぎにしかなりません」
それも道理だ。ビルを倒壊せしめる攻撃が、炎上程度に収まっただけ。一度の放火で落ちぬならば、倒れるまで攻め続ければ良い。恨みを動力とする彼らには、さほどの手間では無いだろう。
なれど、彼らは見誤っていたのだ。
たかだか時間稼ぎ――その僅かな時間こそを、欲していた者がいる事実に。