滅亡世界からのアヴェンジャー
混乱、驚愕、恐怖――一瞬で押し寄せる様々な感情に、運営の脳は悲鳴を上げていた。
理解できないのか、それともしたくないのだろうか? 目を見開いたまま泳がせ、けれど最終的には獣を見つめるしかない。人の言葉を語り、二足で歩き、凄まじい怨恨と、赤い光弾を放つソレから、意識を逸らすことなど出来なかった。
「俺の名は?」
「――は?」
「俺の名を言ってごらんなさい。出来るのなら、溜飲を下げましょう」
初対面相手に無茶を――すぐさま思いついたのは、相手に対する悪態。が、反論はケダモノの目つきで止められてしまう。人では無いケダモノについて、運営の男はぼんやりと思い出した。
自分が運営していた、ゲームのキャラクター……その一つに酷似している気がする。断言できないのは、日々の積み重ねの時間で、終わったゲームの事を記憶の奥へと押し込み、消し去りつつあったからだ。こうして対面しても、曖昧にしか思い出せない。当然、名前など出てくるはずもなかった。
無言のままの運営に、一度ため息をついてケダモノは言う。
「あぁ、それがあなたの答えですか」
「ま、待て、私はまだ何も――」
「答えられない。その事実が答えでありましょう? 画面越しに作り上げる世界なんぞ、あなた側の都合だけを優先した。相手側の都合など知った事ではない。いちいち名前なんぞ覚えていられない。でしょう?」
事実だ。間違いなく事実だ。もしこれが対面でなく、ネット越しや画面越しであるなら、素直に回答した。されど――対面で、未知の手段で、こちらを害する用意がある中で――正直に答えられる一般人などいるはずがない。
「その程度の感覚で、あなたは一つの世界を終わらせた。ならば――我らが痛みを、思い知らせるしかありませんな。実力行使を持って」
「は、はははは……冗談、だよな」
「世界を一つ終わらせておいて、あなたは冗談で済むのですね? 例えば――この世界に神様がいて、うっかり冗談で隕石を落とした後……その神々が、平気なツラで生きていて、冗談と言われても笑って済ませられるのですね?」
何を言っているのか分からない。理解しようにも及ばない。ゲームの世界など、所詮はプログラムと依頼されたイラスト、規定された行動と商品に過ぎないではないか。そんな相手が自分の前に現れ、自分たちを糾弾する? 誰だって想像できる訳がない――
だが、理解不能な事象であろうと、生命の危機だけははっきり認識できた。目の前の人外が手を振りかざすと、赤い光弾がいくつも浮かぶ。あの破壊力を直撃しようものなら、命の保証はない。二歩ほど後ずさりして、右の手のひらを向けて静止した。
「っ⁉ いや待て! こんな事をして何になる⁉」
「溜飲が下がる」
「たったそれだけのために……⁉ もっと有意義な使い方があるだろう!」
「どうでも良い事です」
憎悪と殺気が膨れ上がる。現代日本において、命の危険にさらされるなんて事は――せいぜいテレビやネットメディア、作り物しか存在しない。あるにしても不慮の事故や、性格や言動に問題のある人間が、運悪く対面するだけのものに過ぎないと、無関心でいた。
光弾が足元をえぐり、飛び散ったコンクリート片が肌に傷を作る。夢や幻ではない。和解は不可能、命の危機と知り、やっと運営の男は背を向けて走り出した。
「ひっ……ひぃぃぃいいぃっ!」
情けない悲鳴を上げ、運営は路地裏の脇に駆け抜けていく。知らない場所であろうと、何が何でも逃げなければならない。地球上の頂点種族となった人類は、天敵に対する恐怖を忘れがち。でも――こうも異常と向き合えば、敵に対する恐怖が理性より先に逃避を促すのだ。
「助け……た、助けてくれぇ~っ‼」
大人なのに情けなく、必死に逃げ回る運営スタッフ。またしても派手な物音が聞こえて、足は限界を超えて駆動する。運動不足であろうと、逃げなければ死ぬ。汗をびっしょりと流して、ひぃひぃ悲鳴を上げて表通りに出た。
数発の敵意を潜り抜け、男は化け物から逃げ切った。闇の中からは出てこないが、裏路地から暗い気配が滲んでいる。激しく脈打つ心臓が命じるまま、筋張った太ももを動かす。過呼吸気味になりながらも、突然の危険から逃げ切れた――
「はぁ……はぁ……け、警察に……」
通報してどうなる? 自分が終わらせたゲーム世界から出て来たキャラクターに、復讐されそうになりましたと言えばいいのか? 頭がおかしくなった奴だと、面倒くさそうに対応されて終わり。
現に見よ。命の危機を感じ、逃げ切った運営の男を見る者はいない。いるにしても、一瞬だけチラリと目線をやって、足早に自分の世界、自分の日常に戻るばかり――
誰かの命の危機も、苦痛や恐怖も、無関係、無関心で生きていける……そんな周囲に苛立つ感情の直後、奴らの言い分が脳裏に走って恐怖した。
“世界一つ滅ぼして、冗談で済ませられる――”
運営の男は、確かにそのような感覚だった。相手の心象なんぞ読まずに、迂闊な発言が多かった。
まさか――まさか、現代人はみんな同じなのか? 社会人たる自分が、他者の精神を想像しないように……自分一人悲鳴を上げた所で、周囲は何も自分の事を慮らないのか?
分からない。分かりたくない? 鍛えることを忘れれば、筋肉が衰えるように……他者への心情を配慮して来なかった自分たちは、他者の心象への想像力が落ちている?
分からない。分かりたい。何とか考えたいのに、頭が痛くなって、回らない。
結局何もかも、面倒になって……いつも通りの自分に戻ってしまうのだろうか。
迷い、恐怖し、逡巡は刹那。喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまえるのだろうか。
周囲は、いつも通りの夕暮れ――仕事の終わった人々が家路に急いでいる。
何も変わらないその世界が、ひどく歪で恐ろしいモノに、運営の男には見えた。