古き神話からの声
何故『タタリ神』がそのような事をしたのか、自身でもよく分からない。命じられたのではなく、己の意思で祠に手を伸ばしていた。
接触した瞬間『パチリ』と視界が切り替わる。強引に例えるなら、テレビのリモコンでチャンネルを変えたような感覚だ。目の前に見える視界が、何の前兆も無く全く別の空間に切り替わる。『タタリ神』が認識したのは――宇宙に飛び出したような光景だ。
「これは……? 主殿? 巫女殿?」
足場は無い。前後左右、上も下も、深く青い宇宙が広がっている。瞬く星が流れる中、タタリ神はあるモノを発見した。
樹だ。タタリ神の背中側に、まばゆい光を放つ樹が生えている。地面ではなく、宇宙に根を広げて……いや広げようもないし、それでどうやって固定しているのかも分からないが……ともかく、軸をブラさずに枝葉を広げているのだ。
その輝きは、遠巻きに見える星の光にも似ているような気がする。遠方だから光点にしか見えないが、もしや目に映る星々は一つ残らず光の樹なのか?
「ここは一体……」
星の海で一人きり……元々条理の外にいるタタリ神だが、この唐突な展開は流石についていけない。困惑と孤独に惑うタタリ神に、やっと一つの意思が接触した。
虚空に反響するように、何者かの思念が虚空に響く。雄大で、膨大で、しかし決して明確な形を持たない『何か』の意思。声も無く直接、胸の内に染み入る思念を受け止めたタタリ神は、畏敬を込めて腰を折った。
「あなた様が……我を呼んだ御人であるか?」
タタリ神は――力関係を即座に理解した。元々最低能力者扱いだったタタリ神は、腰が低くて当たり前。ましてや、遊戯の舞台で踊るまがい物に過ぎないと自覚している。故に『本物』と思しき存在へ、礼節を怠らなかった。
しかし『それ』は、タタリ神を決してぞんざいに扱わなかった。再び虚空に意思を放つと、タタリ神は星空へ視線を向けた。
「本物も偽物も無く、我もそなたも『ある』だけと? ……しかし、上か下かの話をするならそなたの方が上に違いあるまい。現に、我はそなたの事も、こちら側の事も理解出来ておらぬ。ここは如何なる場であるか?」
星の海……もっと言うなら宇宙空間に近い場所に、唐突に飛ばされれば誰だって混乱する。タタリ神の問いかけは……虚空の果てで反響した。
「――……なるほど。あなた方でも、すべてを把握している訳ではないと。ただ、実体を伴わない世界である事は確かである、か。我をこの場に招いた理由は……」
虚空の意思は、初めて明確な声を発した。どこから、どのように発音しているのか、さっぱり分からないけれど、凛とした中世的な男性の声で話した。
“貴殿の生まれと成り立ちは、興味深い。恐らく、我らの遠縁の存在故……一度言葉を交わしてみたく”
「遠縁……」
“然り。我も祟る神の側面を持つ一柱”
「なんと! では我の原点であるか?」
“否。貴殿は……『祟り神』の概念を、あやふやにこし取ったモノ。明確な『何者か』ではなく『祟り神とは恐らくこうしたモノ』と、人々の無意識をカタチにしたモノ……”
「となると……多くの『祟る神』をまぜこぜにしたのが『我』であると」
酷い有様と思いつつも、様々な概念を闇鍋状態にしたゲーム世界では……しかも最低限のレアリティでは、この扱いも残念ながら当然か。現実はそうだと飲み込もうとする直前、相手の思念が――微笑むような思念を伝えた。
“貴殿の半分以上を構成する要素は、今貴殿が述べた通りである。しかしそれだけではない。『主殿』との関係性が、今の貴殿を貴殿たらしめている”
「主殿との関係……我が形を得たのは、主殿の影響であると?」
“然り。魂の本質は過程である。貴殿と『主殿』の旅路が、貴殿の魂を形作ったと言えよう”
「なるほど……友人や主従ではなく、父と子の関係性が近いとおっしゃる?」
“実際はもっと複雑な……言葉で表せぬ運命のほつれがあるが、その理解で良い”
タタリ神は、あやふやに理解する。自らが存在している『ゲーム世界内部の設定』と『プレイヤーとの関係性』が合わさり、自分たちは現実に顕現したのだと。彼の『マスター』とその友人が仮説として立てていた『キャラクターへの思い入れが条件ではないか』と話していたが、当たらずとも遠からずのようだ。
“我らが神の素養と、貴殿のいた『世界』の素養、そして貴殿の『主殿』との関係性……他にも細かな因果が絡み合い、此度の事象は生じているように見える”
何か一つ『これだ』と断言できる事柄ではない……だがタタリ神は、一つ強く言わねばらなぬ事柄があった。
「……災いを呼ぶ者たちも、であるか? 美術館やモールで暴れ散らかし、この世に害を成すかの者たちも……我らと主殿の関係の様に生じたと?」
“……因果は、複雑である。近い因果、共通の因果はあるのだろうが、別の因果も保持している。しかし……この世の表層に顕現するモノは、すべて生じるべくして生じるモノ。多くにとって悪であろうと、誰かが望むが故に生じる”
「…………」
不服だが……巫女と主殿が話していた事柄を思い出す。遠回しな邪神信仰であろうと、邪神の存在を肯定したい者たちがいる現実を想起する。それと同じように……悪であろうと生じるには理由があり、求められてこの世にカタチを成すという。理解は出来るが、納得したくない。憤慨を隠すタタリ神に、存在は微笑んだような気がした。
“だが……その悪を討たんとする心意気もまた、生じるべくして生じるモノであろう”
「堂々と言われると、羞恥の極みであるな……」
“されど、貴殿らだけでは、難儀する事もあろう。我らが神雷の一端を、そなたに授ける。有用に用いると良い”
タタリ神がふと見上げると。頭上から小さな光の珠が落ちてくる。水を掬うように手を添えると、そのまま手のひらに収まった。これが『神雷の欠片』なのか? しばし見つめていると、荘厳な思念が響く。
“実に愉快な対話であった。貴殿らの在り様を、楽しく思う。さぁ、貴殿を主殿の下へ帰そう”
急な言葉を受け、戸惑うタタリ神。手にした光珠が閃光を放ち、一瞬目を閉じて開くと――
「『タタリ神』? どうした?」
“え? あ、主殿?”
「どうかされました? 祠に触れて、一瞬震えていましたが……」
“一瞬……そうか、一瞬であるか”
現実に戻るが、それは――『古き神の声』の響く世界に入る直前の状況。しばらく言葉を交わしていたと思うのだが……あちら側では『時』の流れが異なっていたのだろう。
“巫女殿、主殿。そなたらにとっては一瞬の出来事であろうが……我は今、恐らくは神と呼ばれるものと交流を終えた”
「お、おぅ……急に別ゲーみたいな事言うじゃん?」
「そう、ですか。お姿は?」
“形こそ目に出来なかったが……贈り物を一つ。神の雷を賜与していただいた。悪を討つ際は、有用に使えと”
「わぁお太っ腹! んじゃ賽銭入れとくかー!」
巫女と『タタリ神』の苦笑を横目に、五円玉をお供えする慎。
丁寧に礼を述べてから……時間が迫っている事実を思い出し、もう一度巫女に頭を下げてから、彼らは神社を去った。