神職の目線
改めて神社を見上げると、樋口慎は思わずため息を吐いた。古めかしく立派で、境内も周囲もぴっかぴかで、よく手入れがされている。近年のパワースポット巡りブームもあるのか、入り口から見える社務所も立派。平日にもかかわらず人が並んでおり、有名どころなのかもしれない。
「んじゃ行くかー」
独り言をつぶやいて、鳥居の下をくぐり、砂利に足を踏み入れた瞬間――何か「ぴり」とした感覚が背筋に走った。すぐに鳥肌が立ち、えも言えぬ寒気がぞわぞわと胸の中に広がる。初めて味わう奇妙な気配に、思わず慎は神社の本殿を見た。
――何か、いる。いや何かが――あって、こっちを――認識ている?
慎は震えた。得体のしれぬ恐怖を感じた。彼はオカルトや心霊体験は経験が浅く、話半分に聞く側の人種だ。そのはずだった。
だが今、感じている『何か』の視線『何か』の気配は、明らかに実体を伴っていない。にもかかわらず、存在し得ない『何か』の意志を感じてしまう。オカルト話をどこか遠い『向こう側』と認知していた世界が、急にグイとこちらに迫ったような感覚だ。慣れない青年は対応出来ずにいる。
そんな彼を呼び止めたのは――仲間たちではなく、神職の人間だった。
「あなたが……樋口慎、ですね?」
「え、え、あ、あぁ……はい、そうです」
心臓が飛び出るかと思った。慎の肩が大きく跳ねた。おっかなびっくりの彼の姿に、やって来た神職の人間……いわゆる巫女衣装の女性が、上品にくすりと笑った。
とりあえず答えはしたものの、慎の動揺は止まらない。オッサンを通して『今日伺います』と連絡は入れていたが、こちらから出向く前に何故見抜けた?
それに疑問はもう一つ。
何故、ここまで接近されるまで、こんな特徴的な衣装の相手に気が付かなかった? 視界には確かに、社務所から向かう女性の姿は映っていた。思い返せば確かにそうなのに、ちっとも頭に入らなかった。妙な気配に飲まれていたから? 混乱しっぱなしの彼に対して、巫女は少々神妙な声を発した。
「――なるほど。井村同様、あなたもこちら側への知見は薄いようです」
「えぇと、霊的なモノについて……ですよね? そうです。今回の現象に触れるまで、全くの素人で」
「無理もありません。一生の間、一度も関わらない人間もいますから。ですが……正直に申し上げて、今回の事はどう解釈した物か、こちら側としても分からないのです。ですので――あなたにお越しいただいた。と言うことです」
「敬語はやめて下さい! 恐れ多いっす!」
何かの気配を感じ、早口で慎は巫女を止めた。未知の体験と存在に、少年も少年で浮足立っている。過剰な彼の反応に、神職の女性は微笑みつつ手のひらで道を示した。
「そう恐れる事はありませんよ。最近は……神も寛容になりましたから」
「寛容? 昔はもっと厳しかったと?」
「えぇ。今も厳しい神も御座しますが、古の時代に比べれば……祟りも障りも控えるようになられましたから」
「すんません、全然わかんないっす……」
不思議と若輩者は、咄嗟の時に軽薄な後輩キャラを演じがち。そんな彼の態度も慣れているのか、巫女は笑みを崩さず神社に向けて歩いた。
慌てて慎も後に続く。妙な気配は濃くなるが、巫女さんもいるし恐れる必要は無さそうだ。慣れない空気に慌てつつも、境内の奥地に足を運ぶ。
招かれたのは、正面の本殿ではない。側面の社務所でもない。小さな小さな社――その一角に通された。
履物を脱ぎ、靴下で畳の上に上がる。巫女さんも慣れた様子で下駄を脱ぎ、白い足袋をすり足で進む。たったそれだけの所作なのだが、恐ろしく足音がしない。非常に洗練された挙動は、巫女として長く勤めている事実を慎に示していた。
気づかぬうちに、強く視線を持っていたのだろうか? 巫女が立ち止まり、浮足立つ青年に問いかける。
「どうかされましたか? やはり、こうした場は不慣れで?」
「は、いえ、あぁえぇと、はい! 慣れてないです!」
「そう固くならず。落ち着いて下さい。あなたは……悪意を持ってはいないでしょう? 私もまた、あなたに悪意が無い。ならば、何も恐れる事はない。そうでしょう?」
「う、うーん……スンマセン、俗な人間だからか、相手を素直に信用するのはちょっと……」
ネットトラブルを目にしていれば、人間不信を抱くのは致し方なし。何せ慎は幼少期に、ネットの悪意に巻き込まれた経験がある。他人を無条件に信用するのは危険と、どうしても一瞬心によぎってしまうのだ。
加えて、近年日本の宗教事情もある。神通力めいた読みで、巫女は自ら話題にした。
「率直に言ってしまうと『胡散臭い』でしょうか? 最近は……日本で宗教絡みの悲しい事件が多いですから」
「……そうッスね。平成初期の事件は、一部界隈でネタ扱いが始まっているっすけど……この前の『暗殺事件』で、また冷たい目で見られそうっすよね」
ここ近年に起きた、宗教関連の事件……『地下鉄事件』『暗殺事件』と、社会に大きく話題に取り上げられるような事件が起きた。なのでどうしても……慎としては、いや現代日本人の無意識には、少なからず宗教に対して警戒心がある。信仰の自由は特に侵害されていないが……『宗教に対して真剣な姿勢』は、どうしても偏見の目で見てしまうのではないだろうか?
どこまでを一般的と言っていいのか、この手の話はややこしい。しかし無視も良くないと感じた巫女は、最初に今を騒がす事件より……巫女なりの宗教観について語り始めた。