契約
ささやかな祝宴を終え、樋口 慎は屋上をキッチリ片付けた。
不法な侵入だ。痕跡を残すのはマズい。チャラいようでいて、意外と根は真面目らしい。ひとしきり騒いだ後は、せっせとゴミ袋を二重にし、学生カバンの中に押し込んだ。ありがたい事に……彼が積極的に動くと、宴の面々も協力してくれた。プライドの高い餓狼も、後片付けを手伝う。ゴミを咥えて運んできた彼は、尻尾をバッチリ振っていた。
「よーし! 綺麗になった! 偉いぞー!」
「馬鹿者頭を撫でるな主っ!! 己は誇り高き餓狼だぞ……!」
「ふはは! 後片付け出来て偉い! 偉いぞぉ!!」
「喉笛食いちぎられたいか!?」
険しい顔、殺気も本物。グルルルルル……と威嚇する獣の声と裏腹に、尻尾は元気に揺れていた。あまりやり過ぎるとキレそうなので、程々にして慎は手を引く。まだ唸る『餓狼』の瞳は、どこか満足そうにも見える。つい慎も、漏らしてしまった。
「ありがとうな。ホント……こうして触れるって、いいなぁ……」
「生ぬるい目線で見つめるな! えぇい! 己は主のペットではない!!」
「お、おう! 今度敵が来たら、ブッ倒してくれ! そん時まで牙を研いでおけよ!」
「フッ、任せておけ」
「……もう決まらねぇぞ」
「やかましい!!」
そんな『餓狼』と慎のやり取りを最後に、楽しい時間は過ぎ去った。周りにいた英雄たち……『オーク』『タタリ神』『デミエルフ』『リビングアーマー』に囲まれながら、後片付けを終える。そんな時間さえ愛おしい。決して叶わない望みが、不意に叶った幸福。全く別の世界で共に辛酸を舐め、最後には最低レアリティ・ランクのみのパーティーで、魔王討伐を果たした仲間たちとの祝いの席は、とてもとても、楽しい時間だった。
「あぁ……いいもんだな。ホント」
何を大袈裟な、と思うかもしれない。タダのお菓子とジュースで、学校の屋上でちょっと騒いだだけ。ショボイと言われても止む無しだ。けれど、たったそれだけのやり取り、それだけの行事が、酷く心身を充実させる。誰が見てもつまらないが……『Nマスター』と『N』のキャラクターたちにとって、大切な事だった。
「ホントは家で、にぎやかにやりたいんだけどなー」
残念ながら、慎の家には家族がいる。あまり騒ぐと母親の機嫌が悪くなるし、かといって他人に話せる事柄じゃあ無い。他の人たちはどうしているのだろう? ぼんやりと考えながら屋上の扉を開き、もう一度『ゴブリン』を呼び出して施錠を頼む。嫌な顔一つせずに終わらせた仲間について、慎はふと問いかけた。
「……そういや、他にも『マスター』がいるかもしれない……って話だったな」
鍵を閉めたと同時に『ゴブリン』が彼を見る。少し周りを気にする様子を見せたので、自然と霊体に切り替え、二人は脳内会話に切り替えた。
“確証は持てやせん。誰が『マスター』かも分かりやせん。が、全くいない……って事もあり得ません”
≪どうして断言できる?≫
“例の……今日の魔物事件が根拠でさぁ。今のオレ達は……誰かを『マスター』にしねぇと実体化が出来ない。そして誰でもいいって訳でもねぇ。オレ達と『波長が合う』人間でないと、そもそも会話も契約も出来やしません”
≪……契約?≫
“あぁ、ダンナが触媒を選んだアレです。本当はもっと細かく、お互いに話し合って、細かく色々と決める事もできやしたが……”
≪オイオイ、そんな話無かったぞ?≫
“あっしらの関係なら、変に縛るより緩い方がいいかなって……それに、基本的にダンナの方が上位ですし?”
≪それでも、いきなり言われるとヒヤッとする。せめて一言頼むぜ≫
“ハハハ。マジスイマセン。でもせっかくの再会を、グダグダと契約で濁すのも……”
≪あぁ、うん。確かにヤだな≫
彼らと再会した瞬間の喜び……あり得ない再会と、彼ら自身の言葉を聞いた時、確かに慎の心に染みるものがあった。彼らとの信頼関係を、細かな説明で冷めては嫌だろう。彼らに悪意は感じないし、慎の指示にも聞いてくれる。知らない事もこうして、何も隠さず話すのだから良いだろう。改めて『ゴブリン』の説明を聞いた。
“で、話を戻しやすが……あっしらがこの世界で自由に動くにャ、人の思念が必要でしてネ”
≪契約者……お前らにとってのオレか≫
“ソソ。んなモンだから、あの雑魚エネミーにも契約者がいたにちげぇねェ。波長の合う相手に話しかけて、使役される代わりに思念をちょっとだけ貰う。まァだいたい、ダンナ側に……実体持ってる側の優位に進む契約ですけどネ”
≪……って事は、あのばぁさん襲ったエネミーと、契約したヤツがいる?≫
まるで犯人捜しのような慎の口調に“どうでしょうね”と慎重に『ゴブリン』は答えた。
“ダンナが懸念している通り……あのばぁさんを狙ったって可能性もありやス。けどあっしらみたいに軽い気持ちで契約して、エネミーが暴走した……って線もあるんですヨ”
≪契約ってそんな簡単なのか?≫
“相手を互いに認知出来るなら。こっちだって、文字を読まなくても契約書にハンコを押せば有効ですぜ? んで一回成立しちまえば、後からは簡単に変更できねぇ。そんな気が無くても後の祭りさね”
≪おっかないな……≫
その話が事実なら……軽い気持ちで契約を結んで、その後に霊体が暴走する事になる。事前知識のある慎ならともかく、何も知らない人間が、口八丁で契約を結ぼうものなら……
≪しばらく、荒れるかもしれないな……この辺り≫
“なんともいえやせん。でも、ダンナの事は全員で守って見せますヨ”
≪こいつぅ≫
――自分たちは、これでいい。
けれどこれから、世界はどうなるのだろう?