傷だらけの絆
≪タタリ神≫と≪オーク≫から少し距離のある場所で≪デミエルフ≫と≪飢狼≫そして≪リビングアーマー≫の三名がたむろしていた。≪Nマスター≫としては進んで輪に入ってきて欲しいところだったが、彼らが動かないなら自分から行こう。思い立った慎が
三人の方へ歩いて行った。
≪リビングアーマー≫は無反応。≪デミエルフ≫は食べ物に夢中で気が付かず、慎を目にしたのは≪飢狼≫が最初だった。
狼のキャラクターな彼はに、適当なドックフードと水入りの皿を用意した。のだが、何故か口をつけていない。
「どうしたよ? 腹の調子悪いのか?」
「そ、そうではない……そうではないぞ主……」
今にも泣きだしそうな顔をしている≪飢狼≫は、出された食事から目を離して……しばらくすると気にしている。強い葛藤を見た≪Nマスター≫は首を傾げた。
「己は飢えて渇き、しかし誇り高い狼である。食事は仕留めた相手を喰らう神聖な行為。こんな牙を抜かれた連中が、血を流さずぬけぬけと貪るような品を口にするなど……」
「ヨダレヨダレ! 垂れてるぞ!?」
「こ、これは唾棄のために溜めたものだ! 断じて誘惑されているのでは……」
誰が見てもわかる強がりを続ける≪飢狼≫の首元を撫でまわしながら、慎はキリリと微笑んで囁く。
「そっか。それじゃあ……マスターである俺からの命令だ。思う存分食べろ。腹いっぱいになるまでな」
「ぬぅ!?」
「いや~仕方ないよな~≪飢狼≫は食いたくなくとも、俺の命令だからな~」
「……そ、そうか。それならば仕方あるまい!」
「おぅ! テーブルマナーは気にしなくていいからな? 今回だけは特別に許す!」
「主よ……感謝する」
最後に軽く頭を撫でてやると≪飢狼≫の目じりが緩む。そして、ドックフードを思いっきり頬張って堪能していた。
「う・ま・す・ぎ・る!」
時たま、渋い声と共に歓喜の雄叫びが屋上を包んだ。実体化中なので、少し抑えてほしい。けれども、目元を細めて堪能する≪飢狼≫を眺めていたら、怒る気になれなかった。今日ばかりは大目に見ることとしよう。
「良い食事は良く楽しむ物。素直になれてよかった」
「全くだ。プライドの高いヤツだぜ」
次に声をかけたのは、この面々では紅一点である≪デミエルフ≫だ。ファンタジー物でよく見かける種族のエルフだが、彼女は純潔のエルフではない。
そして、人間との混血児であるハーフエルフでもない。混血は混血だが、普通のエルフとダークエルフの混血児だ。
ダークエルフは肌の色が黒く、多くの作品では通常のエルフとは敵対している。そのため設定上の話ではあるが、彼女はどちらにも受け入れらず放浪していたバックボーンがある。
それだけ可愛そうな……あるいはキャラが立っていたからか、『N』の中では人気があった。何より彼女は……『逆レアリティ詐欺』筆頭キャラなのだ。
『レアリティ』は高ければ高いほど性能が高い。しかしそれは運営視点の話なのであって、プレイヤー視点では必ずしも合致しない。高いレアリティキャラが弱いと『ハズレ』とか『レアリティ詐欺』と失笑を買うのに対し、低いレアリティキャラが強い場合は無課金・低課金勢の味方……『逆レアリティ詐欺』ともてはやされる。
彼女≪デミエルフ≫は、運用次第では二つ上のレアリティと同格の戦果を挙げることさえ可能な、Nで最も強力なキャラだった。そして幸運なことに、運営の修正を唯一回避した『逆レアリティ詐欺』のキャラでもある。
「道中本当にお世話になりましたっ……!」
「ん。あれが私の仕事。いつも通り。強敵の対抗策を考えるのがマスターの仕事で、実行するのがみんなの仕事」
「魔王戦じゃ、きっちり二発叩き込んでくれてありがとな。あれが『リビングアーマー』のトドメに繋がった」
「……あの時だけは無理をした。私は脆い。でもみんな頑張ってる。私も負けられない……もちろん、マスターも無理をしてた」
「いつもの事だろ」
「いつも以上に。だから、ハイ。マスターも食べて?」
差し出された菓子を手に取り、慎もじっくりと舌で味わう。いつもすぐ呑み込み、消えてしまう甘物は、じんわりと少年を満たした。
これほど、美味いものだったのか。コンビニですぐ手元における既製品が、初めて食した甘味に思える。呆然とする『Nマスター』へ、『デミエルフ』が「どうしたの?」と耳をそよがせた。
彼女の声がくすぐったい。何気ない動作一つ一つが心地よく、それでいて気恥ずかしかった。
「なんか、いつもと味が違う気が」
「え? ……大丈夫?」
「あぁいや、調子はいつも通りだぞ! 心配すんなって」
「本当?」
「本当本当!」
言葉を交わす度、顔が熱を帯びていく気がする。耐えきれず、つい顔を背けた先に『リビングアーマー』の兜が。からかうような、面映ゆい視線で二人を眺めている気がした。
これがまた、慎の顔を赤くさせる。別にやましいことなどないのだが、見知った間柄だからこそ、あまり見られたくない。
「ニヤニヤすんなよ……」
「はて、何のことですかな?」
ははは、こやつめ! すっとぼける甲冑へニヤリと笑って、慎はその手でこちらに来いと指示をした。呼ばれた理由が分からないのか、足取りに戸惑いが見える。ポケットに忍ばせた道具の感触を確かめながら、『Nマスター』は到着を待った。
「何用で?」
「いやぁ、まだ『リビングアーマー』には何もしてないからな。一緒に何か食えってのも無理だし」
名前の通り、意思のある鎧である『リビングアーマー』は生き物ではない。中身が空洞の鎧に宿ったモノなので、何も口にすることがないのだ。
だから、この宴が始まってずっと、彼は誰ともつるまず周囲を警戒していた。ありがたいことではあるが、彼にも間違いなく助けられた。はみ出し者にする気はない。
慎の心情を知らず、律義に膝をついて『リビングアーマー』は言う。
「いえ、この席に招いて頂いた……それで十分です。我が主に他意がない事、重々承知しております」
「それだと俺が満足出来ねぇよ。だから、な? ちょっと用意したモンがあって……」
「なんと……某のために?」
空の鉄兜の奥から視線を感じ、不安と緊張を交えながら慎はソレを取り出した。
「金属用の研磨剤? を用意した。いやまぁ安物だし、普段使わねぇからどんなんがいいのかわかんねぇけどさ、その……身体を、綺麗にさせてくれないか?」
「おぉ……おぉ……!」
感極まった様子で、『リビングアーマー』が何度も慎の顔を見て頷く。
大げさじゃないかとも思ったが、無粋な言葉は胸にしまって、少年は甲冑の背中に手を当てた。
その鎧は、傷だらけだった。
浅い傷、深い傷、歪んだ跡、凹んだ跡、熱や酸に晒された跡。
おおよそ金属につくあらゆる傷が、『リビングアーマー』の身体に刻まれていた。
「――……これは」
いたわる手つきで、傷を撫でる。
息をのむ『Nマスター』は、しばしたたずむ他なかった。
「いかがなされた、我が主」
「こんな……こんな、傷だらけだったなんて」
「――これらはすべて某の無様であり、そして某の名誉。あなた様という主に巡り会わねば、某は倉庫の隅で仕舞われたままでした。よくぞ……よくぞここまで、某を重用して下さりましたな……」
――能力の低さ故に傷を負い、何度も敗北を重ねた証であり
――それでも意地で喰らいついて、勝利と共に手にした勲章に触れる。
彼の沈黙は、慎の敗戦であり
彼の凱旋は、慎の勝利だった。
立ち位置も能力も、その役割もまるで別。触れることも、対話することもない。
だがそれが、一体何だと言うのだ? 世界を隔たれた関わりであっても……彼と『Nマスター』は同じ舞台で戦い、絶望的な差に抗う戦友だった。苦痛も絶望も、希望も栄光も共に分かち合う友だった。
言葉さえ届かなかった友の背に、今自分は初めて触れている――湧いた実感が目頭を熱くさせ、溢れた感情が一滴、地面に落ちた。
「本当に……ここにいるんだな。お前」
二回肩を叩いて、彼の存在を確かめる。そこにある金属の鎧も、声を震わせ想いに答えた。
「然りです。我が主。某は……いえ、我らはここにおります。なんなりとお申し付け下さい。全霊を持って応えましょう」
「……おう。頼りにしてる」
傷だらけの鎧に手を添え、不慣れな手つきで体を磨く。
画面を跨いで共に戦った戦友との絆を、慎は改めて確かめた。