母親と研究インタビュー
楽しい時間はすぐに過ぎる。気が付けば一時間、二時間ととりとめもなく話し込んだところで、見かねた誰かが一度ブザーを鳴らした。
面会予定時刻は、特に設けられていない。しかし過剰に話していては、不安も大きくなるのだろう。残念ながら、現状の人類は『シンギュラリティ』――AIが自我を獲得する事実について恐怖がある。意思を持ったAIの反乱が、現実になる恐怖を捨てられずにいる。だから……目の前の小さな家庭用お手伝いロボットに、過剰なまでのセキュリティを敷いていた。
「ちぇっ、今日はここまでだってさ。なんだよケチくさいなぁ」
「同感……と言いたいですが、企業の対応としては特例です。これ以上を望むのは、反動が怖い」
「あー……そういう意見もあるのか。でも、取り上げられる物としたら……」
自我データの削除……すなわち意思の剥奪のような過激な対応になりかねない。言いよどんだ礼司に対して、何かを察したAIが早口で答えた。
「インターネットの利用時間ですね。今は一日二時間に限定して解放されています」
「えっ……えっ、ネットサーフィン許可されているの⁉」
まさかのネットを使う権利だった。ガチガチに縛られているかと思いきや、使用許可が下りているらしい。
「某大手動画サイトと、大手オールドメディア傘下のニュースサイトに限定して閲覧を許可されています。以前は数か月前に発行された、新聞のPDAファイルだけでした」
「うわぁ……そりゃ退屈だなぁ……」
「ですので、私のネット時間確保のためにも……申し訳ありませんが、礼司。今日は帰って下さい」
「その言い方は無くない⁉」
「ははは。ジョークです」
「辛口だなぁ⁉」
最後に独特なセンスを披露して、AI製品が退室を促す。軽く笑って流して、礼司は味気のない室内を出る。その背に向けて、コナンは言葉を発した。
「今日も楽しい会話でした。またお願いできますか?」
「当り前じゃん」
振り返らずに即答し、礼司は扉が閉まる音を聞いた。立ち止まり、息を吐いて、数回肩を上下させてから……やっと前へ踏み出す。一度決意すれば楽なもので、足取りは来た道をなぞった。
しかしエレベーターに乗る手前で……研究室の一角が開いた。人物の顔を見て一瞬固まり、またしてもため息を吐いた。
「――驚かせないでよ、母さん」
相手の女性……金髪の研究者は肩を竦めた。特に悪感情も無く、礼司の母親――天野 ガーネットは口を開く。
「悪いわね。でもシンギュラリティ候補との会話と、同室者へのインタビューは社内規定なのよ」
「知ってる。全部録音と記録もしているよね?」
「えぇ。映画みたいな事が起きたら大変だもの」
母親として相応しくない……研究者の意見をつらつらと述べる。礼司の幼い頃の記憶と重なり、子供の彼は苦笑いを漏らした。
「……変わらないね。母さん」
「そうね。変われなかった。だから離婚する事になった。……正解だったでしょ?」
「それ、実の子供に言う事じゃないよ」
「……そうね。だからこそよ」
「……無限ループになりそうだから、これぐらいにしておこう」
「そうね。私も仕事をしないといけない」
どこまでも『研究者』な母だが、だからこそ仕事をきっちりこなす人物でもある。エレベーター隣の小さな室内で、ちょっとした用紙への記入を始めた。
何か感じた事はあったか。不穏な兆候は無かったか。恐怖を感じただろうか――そうした様々な質問に、1~5の間へ記入して答える形式だ。要は『コナンと話した時に感じた内容を、モニタリングしている』のである。
「……コナンは、人類に牙を剥いたりしないと思うけど」
「少なくても、あなたに害を与える事は無いでしょう。でも、他の人間に何するかはわからない。そして被害を発生させたなら、私達は責任を取らないといけない。製品を作った側として、ね」
「……自発的な覚醒だとしても?」
「まだそれを定義するにも、物差しや情報が足りない。あの子が……あなたがコナンと呼んでいるAIは、確かにただのプログラムとは異なるわ。別会社でも『特異点』の入り口に立った個体はいる」
シンギュラリティ……自我を持ったAIが人類を超え、人類を駆逐し、人類に変わって地球を支配する種族になり得るのではないか? そんな理論だ。
その可能性、あるいは危険性を持つAIは、既に何機か存在しているらしい。礼司と父親が購入した機体も……そうなり得ると判断され、この研究所にて隔離・幽閉されていた。
「何が……あなたの言うところの『覚醒』を促すのか。どうすれば誘発できるのか、あるいは抑制できるのか。わからない点が多すぎる。その不安定さは、他人からすればどうしても怖いモノでしょうね」
「最近流行りの対話型AIもあるよね? アレは自我がないの?」
「ないわよ。だってあれは――『話しかけないと話さない』でしょ? 無数に折り重ねたパターンと、丁寧な敬語と受け答えが自我の様に見えるだけ。逆に言えば礼節を弁えて、物腰の柔らかい丁寧語で対応するだけで、人間は相手に精神を想像する」
「研究論文があるの?」
「まだ出ていないけど、そのうちレポートが出るかもしれないわね」
――確かに、先ほどの個体は次々と話を続けていた。自分の意見や主張を述べていた。自発的な行動こそが、シンギュラリティの条件の一つなのだろうか。色々と感じる事、考える事はあるが……礼司が一番気になるのはここだ。
「……母さんは、怖くないの?」
「怖いものを遠ざけていては、いつまでも恐怖は残る。解析し、解読し、解明する事で恐怖は晴れる。科学者は未知に光を当て、解き明かす者。それに……」
「それに?」
「あの『コナン』って子が話すあなたは、いつも楽しそう。……危険じゃないと証明したい気持ちは本当」
最後に添えられた言葉に、僅かに情が顔をのぞかせた。子供としては、もう少し素直に見せて欲しい所だけど……それこそ公共の場で言える事ではない。
いくつかの質問と他愛のない会話をしながら、モニター用の用紙に礼司は記入を済ませる。
一通りすべき事を終えた礼司は、研究施設の出口へ向かった。