「一発クサレ野郎を殴らせろ!」
闇の中……ブルートゥースに耳を傾けていた井村は、腹を決めた。
樋口の言い分は子供じみていて、ゲームにドップリと浸かった人間の言動だ。かの少年の人柄は信用出来るが、真剣に取り合う気になれない。
が、そうだとしても――唯一の『治癒能力持ち』を移動させ、事態解決の希望があると樋口の託した行動は、無碍に出来ない。つまらない大人を自認するが故に――自己犠牲の精神は、井村には眩しすぎた。
「ったく! オレはそんなに立派じゃねぇんだけどな!!」
高校生のガキが腹を決めたのだ。大人の井村がやらなくてどうする。能力のない人間が無駄にプライドを張って、返って足を引っ張るより――力ある人間に託し、リソースを集中した方が、はるかに良い。複雑な思いに駆られながら、屍の群れを睨むと……やって来た『巫女シスター』が咆えた。
「なんだっていいの。早く『ゾンビ』を倒すの!」
「……わかってら」
ふざけた格好のお目付け役だが、これで何もしませんでした。失敗しましたでは話にならない。大量の化け物の……化け物になってしまった人を潜り抜け、ゲームから飛び出した『ゾンビ』を探す。すぐに思念を『ジャヒー』に送り、現場へ対応させていた彼女に呼びかけた。
“わかった! 急ぐねパパ!”
今まで『ジャヒー』には、周辺にデバフスキルを使って『ゾンビ達の進行遅延』を頼んでいた。能力値の低下は、リアルの人間相手にも有効。調子に乗った契約者どもの粛清中に実証済み。ならば『ゾンビ化』した人間相手にも効果あり。元々鈍めの挙動が更に遅くなり、確実に感染拡大を抑えていたと言える。
≪『ジャヒー』! お前には――『HPバーのあるゾンビ』は見えたか!?≫
“三体ぐらい見た気がする!”
≪は!? 三体!? ま、まぁいいや。ともかく『HPバーのあるゾンビ』を片っ端から倒せ!≫
“うん!”
どういう事だ? 感染源は一体の『ゾンビ』では無いのか? ちらりと『巫女シスター』に目を向けるが、すぐに彼女は首を振った。
「樋口に聞ければ……」
「今、向こうも向こうで修羅場なの!」
「ちぃっ! 全滅させるしかねぇか!!」
何にせよ『HPバー』が存在するなら、そいつが『オルタナティブラグナロク』キャラクターな事は確定だ。樋口や井村、そして怪盗でないのなら……どれかが確実に『感染源のゾンビ』に間違いない。
≪『ジャヒー』! オレも出来る限り探す! このクソッタレな状況を終わらせるぞ!≫
“わかった! でも無理しないでね!!”
≪無理でも、オレがやるしかねぇんだよ!≫
英雄なんて柄じゃないが、他にやれる奴もいない。ここで井村が止めなければ、本当に収拾がつかなくなる。明かりの落ちた美術館内は、警官による封鎖と避難が進んでいたが、それでもやはり、全てに目は届かない。完璧なのは出入り口が限界で、ゾンビの群れへ向かう井村を止める奴はいなかった。
「! こっちも一体見えたの!」
「孤立してる。やれるか? 嬢ちゃん」
「不向きだけど……やるしかないの!」
腹を決めたのは井村だけじゃない。補助役、回復役として派遣された『巫女シスター』は、最弱な上に補助役だ。戦闘は圧倒的に不向きな人材だが、そんなこと言ってる場合じゃない。不向きだろうが何だろうが、今この場にいる者がやるしかないのだ。
『巫女シスター』が首の十字架をかざすと、清浄な光が放射される。悪魔祓いの何かだろうか? ゾンビ物映画なら、祈りは届かず悲鳴だけが木霊するが、ゲーム出身者は一味違う。摩訶不思議パワーを投射されたゾンビたちはよろめき、ぐらりと揺らいだその間を、井村と『巫女シスター』が駆け抜けた。
「って、あなたまで前に出る必要あるの!?」
「一発クサレ野郎を殴らせろ!」
「……気持ちは分かるの」
柄じゃないと言いつつも、独特な空気に井村も飲まれたのだろう。程よい長さの『美術館内の立て看板』を鈍器にして持ち、よろめいたゾンビどもを押しのけつつ進む。HPバーの見える個体もゆらゆらと動き、大きな隙を晒していた。
「この……クソ野郎がぁっ!!」
ポールを鉄パイプの代わりにして、腐った死体にフルスイング。腐敗したバスケットボールの芯を捕え、大きく人型が吹っ飛んだ。
怒りを込めた一撃の評価は、HPバーによって示された。ゴリッと削れた表示に、隣の巫女シスターが表情を変えるが、憤怒に飲まれた井村は気づかない。ブチ切れた大人の本気が、案内板を返り血で濡らす。連続で殴打を繰り返すと、意外な事にあっさりと事切れた。
抵抗らしい抵抗もなく、HPバーの尽きた『ゾンビ』が消滅。まだ溜飲が下がらない井村だが、巫女シスターの眼差しで冷静さを取り戻した。
「……すまん」
「頭に来るのは分かるの。でも……ハズレみたいなの」
「……そうなのか?」
「感染源を倒せば、即座に『ゾンビ化』は治るハズなの。でも……」
「周囲が騒がしいままか。ま、でもこうやって一つ一つ潰して行けば、いつか本命を潰せるだろ」
「……」
前向きに事実を述べたつもりだが、何故か『巫女シスター』の反応は優れない。
――奇しくもその表情は、彼女のマスターと酷似していた。